大連ファン広場

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発展を続ける大連・・・昔の面影も少しづつ消えていきます。そして新しい大連が生まれています。そんな大連へ郷愁を求めて訪ねられる方,あるいはビジネスの場を求めて訪ねられる方,色々あると思います。ここでは,こよなく大連を愛する方々の情報を写真で紹介できればと思って「大連ファン広場」を立ち上げました。

 

門岡さんの大連情報1

03.9.912にかけて大連を自転車でツーリングされた門岡さんに,大連飯店(旧遼東ホテル)の写真を撮ってきて頂きました。門岡さんのお父さんは,大連生まれだそうです。旧大連富士が台山と今呼ばれていることと,その場所を教えてあげました。

 

 

大連飯店(旧遼東百貨店・遼東ホテル)(20039)

北東から撮った写真です。1階は食料品店の集合体で

す。スーパーマーケット方式ではなくデパ地下方式で

す。売っているものは・・食料品一般です。さまざま

な種類・部位の生肉および加工品,鮮魚および生魚,

野菜,漬け物,菓子・・何でもあったような気がしま

す。(門岡さん)

 この旧遼東ホテルで, 母は終戦後引き揚げまでし

ばらく働いてました。市販薬品の陳列をする仕事だっ

たそうです。母も懐かしがるでしょうね。お世話にな

った方がいたそうです。昔は1階が遼東百貨店で2階

から上が遼東ホテルと呼ばれてました。

大連飯店(旧遼東ホテル) (20039)

南東から撮った写真です。大連飯店は勝利広場(とは言わないか・・勝利橋の南詰)と中山広場を結ぶ交通量の多い通り(友好路)にあります。勝利橋から中山広場へ一方通行になっています。大連飯店近くの天津街と友好路の交差点にある友誼商城でおみやげのティーマグ(茶葉受け付き)?を買ってきました(^-^)(門岡さん)

 窓枠の,細かな彫刻いいですね。黒の壁に白のコントラストも,昔のままなんでしょうね?DALIAN FOOD SUPERMARKETとあります。何か市民が気楽に入れるような雰囲気ですね。この大連飯店・・。手前の通りは,かつて大山通と呼ばれてました。

  

大連餃子さんの大連情報1

大連餃子さんは,20012月から、大連に留学しておられる方で,老虎灘近くの桃源街の古い町並みの写真を頂きました。2003427日に撮られた 夕焼けの桃源街です。

   

解放路沿いにある桃源街一帯に写真を撮りに行った。

壊される前に解放路沿いにある古い家々を写真にお 

さめようと思い・・・  出典(大連餃子日記より)

昔,桃源台と云われた所です。12年前に訪ねて,老 

虎灘のホテルへ向かう夕方,こんな風景を見ました。

でも高台には新しい建築物が建っていますね。春の

時期で桜が満開です。

 

中国らしいようで、でも建物は中国風じゃなくて、何 とも言えない不思議な風景・・・4月の終わりから解放路沿いにある古い建物の解体作業が始まるので、近隣住民の移転も既に始まっているらしい。・・・出典(大連餃子日記より)

ノスタルジックな雰囲気が出ています。

 

去来川さんの大連情報1

去来川さんは,、大連によく仕事に行かれる方で,連鎖街の写真を頂きました。連鎖街の変貌を紹介します。去来川さんによると,連鎖街のビルも近いうち壊されるかもしれないということでした。

 

19929月の連鎖街,私が訪問した時見た,この特徴

ある連鎖街のビルは,昔の写真とよく似てました。た

だし,遠くに郵電大厦が建っていましたが・・・。昔,

左の建物の角の丸い所は東亜煙草, その左側は島根

内科,その左側は郵便局となってました。右の建物の

角の丸い所は中央楽器店でした。また真中突き当た

りの茶色の建物の所には金鳳堂書店が入ってました。

左側の建物の手前の通りは,広小路と呼ばれていまし

た。「たうんまっぷ大連(辻武治氏編修)より」

20044月の大連駅前の商店街。戦前は連鎖街と言

われ東京の銀座を思わせる程であったとのこと。取

り壊しが進んでいます。(去来川さん)

右の建物はガラス窓がぐるりと取り囲んでイメージ

が変わっていますね。しかし,左側の建物は全体が

ベージュの壁になっているだけで窓の形も同じよう

です。他の場所の建物もそうでしたが,落ち着いた

感じでいいですね。背景の郵電大厦は変わったので

しょうか?

 

 

中国留学館さんの大連情報1

中国留学館さんのホームページで,友好広場の建物(旧西広場の建物)を拝見し掲載させて頂きました。中国留学館さんは,中国遼寧省大連市における留学生受け入れ可能な各8大学の最新留学情報,大学生活、周辺情報、学費等の詳しい情報を紹介されております。

 

19929月に大連訪問時,見かけた建物。壁が水色で

一際目立ちました。1988年出版のアルバム「写真集

旧満州」(発行所:池宮商会,発行者:池宮城幸興氏)

から,中山広場の直ぐ西の旧西広場(現友好広場)

北西にある旧救世軍南満大隊本部と判りました。この

左に旧土田写真館(1999年時には新新照像館)があ

ります。この建物と右の茶色の建物の間の通りは,旧

岩代町(現普照街)です。

2001年,中山路にある勝利広場と中山広場の中間に位置するのが友好広場です。 広場の中心にある印象的な球体モニュメントには約3000枚のガラスが貼られており、ライトアップされたモニュメントは美しい夜の大連をいっそう演出しています。・・(中国留学館さん)

見違えるようですね。堅固な造りの旧救世軍南満大隊本部は,大切に使われている様子が判ります。どんな企業が入っているのでしょうね。赤い看板がついています。