五箇山を訪ねて

 

歴史ある合掌造りの家で

 

この夏帰省の折(2003年8月),家族で五箇山へ行っ

た。五箇山は, 富山県南西部の平家落人伝説がある秘境

である。平村,上平村,利賀村の三村の総称で,庄川沿い

に赤尾谷,上梨谷,下梨谷,小谷,利賀谷の五つの谷間に集

落があり,「五ケ谷間」を「ごかやま」と呼ぶようにな

ったのが名称の由来と伝えられる。積雪は2mを超え,

平地が少なく狭い段丘面と山腹の緩斜面に小さな集落が

点在するそうだ。

この五箇山に合掌造りという構造の家屋がある。屋根

が両手を合わせた急勾配な形となっており,それで合掌

造りと言うそうだ。この合掌造りは,世界遺産に指定さ

れている。以前から興味を持っていた。合掌造りが世界

遺産に指定される前,妻は五箇山に一回行ったことがあ

るという。子供たちは,東京暮らしだから,もちろん初め

ての体験である。そんなことで皆好奇心わくわくの出発

となった。

東京から新幹線で越後湯沢へ行き,ほくほく線から北

陸線へと乗り継ぎ,高岡で城端線に乗り換え終点の城端

で降りる。高岡から城端駅までは60分,今日泊まる五箇山荘へは,タクシーで30分位である。でも東京からだとかなりの長い旅に感じられた。

城端に着いてから急に雨が強く降り出してきた。タクシーの中からは,遠景は雨に煙ってほとんど見えない。合掌造りの村上家のある下梨で降りる。子供たちは萱葺きの屋根は見たことがないので物珍しいようである。村上家の中は意外と暗かった。柱が黒光りしている。囲炉裏の煙で燻されたようでもある。受付をすませ,先ずおいの間で囲炉裏を囲みながら語りべの話を聞き,五箇山伝承楽器(ささら,こきりこのお竹)の演奏や民謡を聴いた。

語りべと観光客

村上家は,石山の合戦の際に建築された

 

村上家外観

 

 

村上家の合掌造りは,二階建てである。玄関からすぐ左斜めに煙硝まやがある。ここで煙硝や和紙が作られ,二階で養蚕が営まれていたそうだ。江戸時代,夏は山草から煙硝を作り冬は和紙を作って加賀藩に納め生計を立てていたという。

合掌造りの中は結構広い。玄関から見て右側に水屋がある。当時近所から女中奉公人を沢山抱え,ここで炊飯作業が行われていたという。  

まっすぐ行くと,家の真中においと裏のでいという座敷があり,それぞれ真中に囲炉裏がある。語らいの場所だったようだ。

更に奥に行くと家長の立派な部屋(ちょうだ)や,嫁や姑の部屋,子供の部屋がある。一番奥の奥のでいには,床の間と仏壇がある。

また一階と二階の間にまやのねどこという狭い場所に近所から出入りしていた下人の部屋などがある。

どれも歴史を物語っている。子供たちには案内する語りべの話がよく判ったようで頷いていた。  観光客と一緒に,まやのねどこのところから二階へ急な階段を上がる。二階には長い間使用されていた色々な道具が陳列されている。せんばこぎや鍬,鋤などがある。演出効果が行き届き微かに,こきりこ唄が流れていた。

村上家平面図(一階部分)

庄川峡と雨に煙る山々

 

山紫水明の下梨村を散策

村上家を見学した後,辺りを散策する。少し小降りになった。村上家でも聴いたこきりこ唄が,どこからか流れている。下梨地区には土産売り場が結構ある。何軒か廻って子供たちは和紙細工などを買った。東京の友達へのお土産にするそうだ。      

土産物売り場の近くに庄川峡が流れており見下ろせる。雨に煙っているが,ここから遠く山が重っているのが見え時々雲間から日が射していた。山紫水明とはよく言ったものだ。この美しさは,雨が降って時々晴れ間が見える瞬間の味わいだろう。そうそう見れるものでもない。子供たちと代わる代わるこの風景を背景にして写真を撮った。

この庄川峡の橋から少しばかり坂を登ると五箇山荘に着ける。ほぼ今日の日程が終わったので皆ゆっくり登ることにした。宿に着いたときは5時過ぎだった。早速風呂に入ることにした。夕食前に丁度よい時間である。風呂から上がって皆で食堂に向かう。つい先ほど小降りだったがまた急に雨が強くなった。食堂の大きな窓に稲妻が光っている。梅雨明けが近いのだろうか? 

五箇山は,きわだって高い山というわけではない。でも五箇山荘が高い所にあって見晴らしが良いからだろう,窓からずっと遠くまで山並みが見えた。明日晴れてくれればいいが・・・。家族皆そう願う。マイカーで来ているのと違い,歩いて廻らなければならないから雨だと辛いのだ。

食事後,部屋で明日見て廻るところを家族で相談する。バスを利用する予定でいたが,当地へ来て本数の少ないのが判った。マイカーであれば解決する問題ではある。見て廻る場所も結構分散しているので,全部は1日で廻れないだろう。

 

観光場所を検索

 

 

 


五箇山地図

五箇山荘から西に4.5km程行けば,菅沼合掌造り集落があり,五箇山民族館や煙硝の館がある。

そして更に南へ4km程行けば,重要文化財の岩瀬家や道の駅上平[ささら館]がある。

一方,五箇山荘から北東へ2.5km程行けば相倉合掌造り集落があり,相倉民族館や五箇山和紙作りの体験ができる場所がある。

更に東北へ8km程行けば,道の駅たいら[五箇山和紙の里]があって,和紙体験館,和紙工芸館,[やま]との対話館,平村郷土館,道の駅たいら物産館・情報交流センター等がある。

それぞれ上平村,平村,利賀村と五箇山の三村に観光施設が建てられている。全て見るわけには行かないので,結局ロビーで見た合掌造りの集落のポスター(子供たちが惹きつけられた風景である)を目当てに,そこへ行くことに決めた。相倉合掌造り集落である。五箇山和紙体験ができる所は,相倉合掌造り集落に行く前にあり集落入り口まで歩いて30分ぐらいである。先ず合掌造り集落を見てから和紙制作体験をし,それから昼食をして実家に帰ろうということになった。

早朝のバスは朝早いのがそこへ行っているが,その後はしばらく無い。結局タクシーで行くことにした。

 

 

相倉合掌造り集落高台へ − 親切な運転手さん

翌朝は,見違えるような良い天気となった。昨日の雨で雲がさらわれたようだ。廻る場所は限られているので,ゆっくり朝食を取る。昨日長旅のあと歩いたので,全員疲れも溜まっていたからこれでいいだろう。9時半になってチェックアウトを済ませ,タクシーを呼んでもらう。

宿の外でしばらく待っているとタクシーがやってきた。見晴らしのいいところで合掌造りを撮りたいこと,廻りたいところを言って交渉する。昨日見ていたポスターの合掌造りが見下ろせる場所は高い所にあるので少し登らなければならず時間を要するのだ。気さくな運転手さんで,そこまで登ってくれると言う。でもそこへ行く途中,道が狭くなっていて地元の人でもないとあまり車で行かないらしい。秘境の地だからそうだろう。全てお任せすることにした。

この運転手さんはタクシーの運転をずっとしている

そうだ。タクシーメータの所の運転者名を見ると私より2歳下の人だった。里帰りで来ていることを話すと土地の話題を出して昔と今の話を色々してくれる。狭くうねった道をハンドルを切りながら高台に登る。目の前に遠く山々が見える。

しかし,相倉合掌造り集落がポスターの風景と違って手前に木が生育しているのでなかなか見下ろせない。あのポスターは,大部以前に撮ったもので,その後ここの傾斜部に植林されそれらが結構延びたのだと言う。そのころは,また合掌造りの家々も多かったらしく今よりは,簡単に撮りたいアングルを選ぶことが出来たということだ。年代がそれだけ経ったのである。この相倉合掌造り集落でも町に出て行く人がいたりと色々あったようである。

 

高台から見た相倉合掌造り集落−1

遠方に見えるのは悲しい伝説のある人形山

 

 

この高台は幅が狭いがかなり平坦な道が長く続いている。木と木の間から所々集落が見えるが,方向によってイメージが随分違う。ポスターで見たアングルと同じものを見たいと子供たちが言い出したので,運転手さんは車に全員乗せたまま,色々アングルを変えて撮ればいいとタクシーをゆっくり移動してくれた。

どうにか,いいアングルの合掌造りを写真に収めることが出来た。今日は晴れているので山に雲がかからず遠方まで,ほんとに良く見渡せる。残雪のころ姉妹が手をつないで駆けている姿に見えるという悲しい伝説の山-人形山もよく見える。またこの相倉合掌造り集落が,かなり深い谷部にあるのがよく判った。

 

 

 

高台から見た相倉合掌造り集落−2

 

高台から見た相倉合掌造り集落−3

 

 

相倉合掌造り集落で

 

高台を降りて,相倉合掌造り集落へと向かう。高台からはそんなに時間が掛からず直ぐ着いた。

ここへ来れば,もう平坦地である。タクシーを降りて運転手さんと皆で一緒に少しだけ歩く。ここから見ると先ほど登った高台がかなり急傾斜の所にあるのが判った。

合掌造り集落を挟むようにして,北と南に山が迫っている。山腹は杉が多いようだ。梅雨明けを告げるかのように蝉時雨が澄んだ青空へ鳴り響いている。

一本の細い道が入口からほぼ真っ直ぐに走っていて両側に立派な合掌造りの家々がある。家々は結構広い間隔をおいて建っている。見上げれば,茅葺屋根の茅がすごく厚く屋根の占める割合が多いので重厚感がある。昨日下梨で見た村上家の合掌造りよりはずっと規模が大きい感じがした。

少しづつ違った格好の合掌造りの家々が並んでいる。中には,民宿のたて看板をつけた合掌造りの家もある。障子戸を開けた家があり中の畳部屋や板の間の様子が判る。敷布や浴衣などが干してあり普通の生活をしてこの世界遺産の中で暮らしているそうだ。運転手さんから,農業だけでは食べていかれないのでサラリーマンの家庭が多いことを聞いた。

田畑があって花壇もある。それらの区画整理も無いところから昔のままのようだ。田の草取りをするお婆さんの姿も見えた。平家の落人が切り開いた集落である。昔のことなどを暫し想像する。

ここでタクシーの運転手さんに御礼を言って別れることにした。親切な方でほんとに有り難かった。

 

相倉合掌造り集落の入り口にある事務所

 

道の奥へ行くと,皇室が参拝された神社があり歌碑もあるというのでそこへ向かうことにする。この神社は,地主神社と呼ばれている。境内には樹齢の古い杉の木が伸びていた。しかし,そんなに鬱蒼としているわけでなくまた広い境内でもなかった。皇室の歌碑がいくつかある。

参拝を終わって帰り道,沢山の外国人観光客とすれ違う。お昼近くになりとても暑くなった。汗がたらたら落ちる。きっと梅雨明けだろう。夏空が合掌造りの向こうに広がっていた。子供たちも妻も皆喉が渇いてしょうがないようだ。

皆先ずは,日よけのために売店に入ることにした。デ-バッグを下ろすと背中がぐっしょり濡れている。売店のベンチで腰を下ろすとしばらく動きたくないくらい暑い。ジュースや冷たい飲み物を注文して結構時間を費やす。

子供たちは友達にまたお土産を買うと言うので,店内をぐるぐる廻っている。気に入ったのをそれぞれ時間をかけて見つけたいのだそうだ。このままずっとゆっくりしたかったが,予約してある和紙つくり体験が予定の時間を過ぎると出来ないので,ここを発つことにした。

地主神社を出た所の南側の風景

梅雨明けかと思わせる夏空が広がっていた。

 

和紙すき体験

相倉合掌造り集落から和紙体験の場所までは,歩いて結構ある。調べた時間では30分ぐらいである。

「殆どが車で来ている人達だよ。この暑いのに,歩いている方がおかしい・・・」

と長女が言う。

暑くなければ景色もいいから気持ちがいいはずだが・・。でも幸いここからは和紙体験の場所まで緩やかな下り坂で救われた。日陰を捜して道路の脇へ右左・・。そうしているうちに,和紙体験の場所(五箇山和紙)が見えてきた。どうにか予約時間に間に合った。受付の人が言うには今日はまだ空いている方だそうである。荷物を工場の横の部屋に置いて,早速和紙製造工場へ入る。

 おばさん二人と若い男性が働いていた。前の体験客が和紙造りを終えかけていたので,先ずそれを見た。意外と根気の要る作業である。

 子供たちから,一人づつ手助けをしてもらい和紙造りをする。紙材料の匂いが結構強い。なかなか和紙から簾を剥がす作業がうまく行かず,おばさんが失敗だと言って,粘剤として入れる薬の加減を2〜3回調節してやり直してくれる。ようやく全員うまく仕上げることが出来た。暑いから,教える方も教えられる方も汗を拭き拭きの作業だった。出来上がった和紙は乾燥させるため,しばらく別の作業がなされる。熱いプレートに貼り付けて,刷毛でなめしながら水分を撮る作業である。こちらの方は,専門家のおばさんがやってくれるので,皆で見学した。

 乾燥させて出来上がってきた和紙を皆手に取って窓の光に透かして見た。何とも味わいのある白だ。

和紙の間に入れた紅葉の色までもが透き通って見える。和紙は,よく見ると厚みに変化がある。繊維の方向や太さも違う。だからこそ温もりがあるのかもしれない。

 子供たちも皆それぞれに,夏休みの良い体験ができたようだ。おばさんたちに御礼を言って五箇山和紙を後にした。外は,お昼になっていよいよ暑さが厳しいようである。真っ青な空が,前よりも深く高く広がっていた。

 

(終わり)

和紙すき作業−乾燥工程

出来上がった和紙