相模野のこと
 

 


今東京と地方を往復する通勤をしている。東京からずっと西の川崎市で、そのはずれで麻生区に勤務している。大げさな言い方ではあるが通勤時間を取られるのであたかも旅をしている気分になる。四季折々に自然風景が都市部よりずっと大きく変化するのを感じる。また都市部との文化の違いが見つかったりする。それ故,この通勤を旅と捕らえるわけである。

出会う人や物が異なれば,そこはもう「旅の世界」の始まりである。ただ歳をとってくると余計にそれを感じるのだろう。

 ところで人生のうち,転勤や長時間通勤を経験しない人は果たして何人いるだろうか?期間の短い範囲で何かしら経験するはずである。しかし旅と感じているかどうかは判らない。ここが人様々なところである。

ここでは,通勤している麻生区のことについて書いてみた。このあたりを自分で相模野と呼んでいる。この相模野という言葉であるが,そう呼ばれる場所は実際にない。そういう固有名詞の付いた場所は無いのである。

相模野は,大きな古い屋敷も歴史の面影を残していたりする。そして果樹園や野菜畑が広がっており壮大な景観がある。

そんな思いから,私は何となく愛着が湧きそう呼んでいるだけである。

相模原という地名はある。麻生区の西にある相模原市である。その西に相模川が流れている。古来より神奈川全体が相模と呼ばれていたからその名残があるようだ。

相模野の夏−稜線伝いの住宅

 

相模野の勤務地

新宿から小田急線に乗って30分,鶴川という駅で降りる。

鶴川の北側は開発中でマンション,居酒屋が建ちつつあり新興住宅街の風情である。随分以前から開発中のようだが,ここのところバブル崩壊が挟まって建築促進も鈍い感じだ。駅の近くに旅の土産売り場がある。これを見るだけでも旅に出た気分になる。

一方,南側は商店街が無く草原(くさはら)が少し広がって,民家が建っている。梅雨明けから夏にかけては草原にクサキリが朝から鳴いていた。

相模野夏−植物園のフラワーガーデン

どこか田舎で見たことのある風景を時々思い浮かべる。これを郷愁というのだろうか?

駅南から勤務場所まで,なだらかな坂を上って12分で辿り着く。所々に大きな庭の豪農の屋敷がありその隣に集合住宅が建設中である。建設ラッシュの感は否めないが新宿へ通勤するにしても,結構田舎でないとこうした広い持ち家が実現しないのかもしれない。

高台にある勤務場所の周りは,ほとんど農園の景色である。このあたりは,関東山地のなだらかな裾にあって低い山が連なり盆地といった感じである。水田よりも果樹園や野菜畑が多い。

相模野初秋−台風の後

昼の散歩

 お昼休みに,健康のために辺りを歩いている。これは,都心で勤務しているときも欠かさなかった。でも都心では人の往来が激しく緑が少ないので風景というものにあまり関心が湧かなかった。ただ運動不足解消が目的であった。でもこんな相模野のような自然風景に出くわすと趣が違うものである。四季の花や果樹が少しずつ変化するのを確かめに歩く運動でもある。

時間が限られ勤務場所から遠くへ行けないが,それでも車の往来が少なく,信号が殆ど無いので結構足を伸ばす。

相模野中秋−雨上がりの通勤の朝

歩くコースとしてある程度起伏に富んだ風景のいいところを選んでいる。盆地の形状にあって坂を上れば遠くがよく見渡せるのだ。晴れた日には関東山地がはるかによく見える。勤務地のすぐ裏手は小高い山である。その山に園芸農場が広がっている。園芸農場の手前には民家が建っているが建て込むようにはなく,ほとんどが山と畑の風景で,お気に入りのコースである。

そこを約20分かけて廻る。墓地が山の麓の竹藪の中にあって日本式の墓の入り口に十字架が見えたりする。こうした風景はあまり見たことはない。所変われば品変わるであろう。

相模野中秋−街道屋敷の柿

また山の稜線伝いに部分的に集合住宅が建設されている。山の稜線に小屋が一軒あり,お昼時に「早朝取れたて野菜・果物」と看板を掲げている。下から登って来た人もいるのだろう,主婦たちがここで買い物をしている。私も何回か,夏の果物,秋の果物を買った。特に富有柿は美味しかった。

このあたりでは柿農園や林檎農園や蜜柑農園が多い。この秋,農園でそこかしこに柿がたわわに実った風景を見た。鶴川の手前,東京寄りに柿生という所がある。昔は柿生の駅から南の街道にずっと柿並木があって,それは見事であったらしい。この話を同僚から聞いた。そのころは本当に民家の少ない,のどかな田園地帯が広がっていたのだろう。かつて調布に住んでいたときも田園地帯が広がっていたのを目にしている。調布は,ここから近く北に位置した場所であるが平坦な土地でここと違うイメージである。いわゆる武蔵野の風景であった。

同僚から聞いた話では,昔,鶴見川という川が増水してよく災害が起きたらしく,また駅側からこちらの丘側に渡るための橋が少なく,渡しが浮かんでいたそうである。

この美しい平和な風景も人間の知恵と時代が築いたようである。

 

相模野晩秋−農園の紅葉・黄葉

相模野晩秋−出荷の終わった富有柿

旅の心 

相模野へ通勤して6ヶ月になる。月日の経つ中に,あるいは変わる四季の風景を見るにつけ旅心地というのを次第に感じるようになった。

この相模野,長い間転勤もなく都心の方ばかりに向いていた自分にとって郷里のようにもなっている。

それは,都心から遠いとはいえ,限られた時間で毎日通える懐かしい場所なのかもしれない。

 

相模野晩秋−冬がそこに・・