アメリカの古い歌と変遷 大分前,高石ともや氏のアルバム『ザ・ナターシャ・セブン・107song・Bookシリーズ』をVol.1からVol.11完結編まで買って,よく聴いた。その楽譜の端書に氏は,アメリカン・オールド・タイミー&ブルーグラスについて書いている。これを見て,フォークソングの歴史は永いことが判った。ブルーグラスについて,「このブルーグラスこそが土と人間の香りを失うことなく新しい感覚を加えて’70年以降,着実に光を放ち始めている」と結んでいる。土と人間の香りを失うことなくって・・とは,
何とも,素朴ないい表現ではないか。それで,アメリカの歌の歴史に興味が湧いて,古い歌のことをまとめてみた。 アメリカの古い歌を分けると,カントリー,ヒルビリー,フォークブルース,コットンフィールズとなるそうだ。これらの違いは,カントリーとヒルビリーが白人の世界の歌で,フォークブルースやコットンフィールズは黒人の世界の歌ということである。更に氏は,ここでスティーブンフォスターのあの愛唱歌集にも触れ,それが白人,黒人の両方が渾然一体となった分離できない歌だと言っている。フォスターの歌には「オールドブラックジョー」というのがあったり,「金髪のジェニー」というのがあったりするから,確かにそうかもしれない。 また,カントリーは,特徴があって,イギリスから伝わってきた音楽がアメリカのアパラチア山脈地帯(特にその南部一帯)で独自の伝承音楽の形を作り,農業地帯の変化や商工業の発達に伴って商業化された音楽ということである。 ヒルビリーはカントリーと趣を異にし, 同じアパラチア南部から生まれた民族伝承音楽を基に生まれて商業主義とも結びつかず独自の形式を維持しながら派生したものである。このヒルビリーは,黒人のフォークブルースやジャズに影響を受け民間伝承音楽と密接につながって,後にプロフェッショナルが発展させていくことになる。そしてプログレッシブな性格を持ちながらもアパラチア山間部の民族伝承音楽の流れにもとずく形態を維持してブルーグラスと呼ばれる音楽に変わって行った。 氏によると,まだまだ複雑な区分ができるそうだ。初期のヒルビリーやブルーグラスやストリングバンドの音楽は,総称してマウンテンミュージック【別名:サザンマウンテン音楽(南部山地の音楽)】と呼ばれる。このマウンテンミュージックの中で,オールドタイムという区分の仕方があると言う。オールド・タイムとは,1920年代30年代のヒルビリー・レコードに見られるマウンテン・ミュージックをさしており,1945年以降に確立したブルーグラスと区分けしているということである。 1945年には幾度かの編成替えのあとに今に言うブルーグラス・スタイル演奏が始まったそうだ。レスター・フラット(ギター),アール・スラックス(バンジョー),チャビーワイズ(フィドル),セドリック・レインウォーター(ベース),ビル・モンロー(フラットマンドリン)がメンバーだった。この演奏から,ブルーグラスが生まれたと一般に言われている。ここでビル・モンローの功績と同じに注目すべきことは,スクラッグスのスリー・フィンガースタイルの演奏だ。この編成とこのバンジョー奏法がブルーグラスのゆるぎない柱となったのである。それ以後ビル・モンローとブルー・グラス・ボーイズは,
スタートアールのフォギー・マウンテン・ボーイズを結成し,ブルーグラスを更に世に広げた。一方土の香り充分な唱法のスタンレー・ブラザーズ等がブルーグラス・ファンの数を増やしていった。 そして,このブルーグラスは’60年代には,フォークブームと共に都会にも広がったのである。右の年表に音楽の推移を書いた。こうしてみると,白人の歌が目的によって,あるいは年代によって随分と変化してきたことが読み取れて興味深い。 |
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