むつ犬のおまぬけ日記
平成18年1月
1月31日 うすぐもり
笛や太鼓、三味線の音に合わせて、下手からむつ犬当場。まだ前座見習いなので名はない・・・・本名の「睦(むつ)」で出ている。

ようこそのお運びでありがとう存じます。毎度馬鹿馬鹿しいおまぬけなお話を一席お付き合い願います。「なんだってねぇ、飼い犬がトラクターの下をくぐったんだってね。」、「そりゃぁ、家にトラクターがあれば大概の飼い犬はくぐるよ」、「そうかい?」、「そうだよ。別に珍しい話じゃないやね。これが、虎の股下をくぐったたってぇなら、話は別だがね。」、「それが、2度、3度となるとどうだい?」、「まぁ、そういうこともあるだろうなぁ・・・」、「三度くぐったなら、*われ、奇襲に成功せり!!*ってところだね。」、「なんだい?」、「トラ、トラ、トラってね・・・・」
ええーっ、シャレがお古いところで恐れ入ります。・・・・・

ええ〜と・・・実は、僕・・・・またまた、また、トラクターの下に潜り込んで引っかかり、身動きがとれなくなってしまったんだ。2度ある事は3度あるって、やっぱり本当の事だったんだね。それで僕、ありのままをお話しするのが恥ずかしかったので、こんな茶番みたいな書き方をしたんだ。このことは、これを読んでいるみんなだけの秘密だよ!!!

1月30日 あめ・・・・
やれやれ・・・、昨日は、あんなに良い天気だったのに、今日は一日中雨降りになってしまった。雨が降ると、積もった雪が溶けて、少なくなって良いのかも知れないけれど、今から雪がすっかり無くなってしまったら、風景がよけい寒々しくなってしまいそうだ。
今日の僕は、朝散歩へ行き、おやつもいつも通りにもらったんだけれど、一日中、犬小屋に閉じこもっていなくてはならなかったよ。夕方散歩も雨降りなので、「なし」って事になってしまったんだ。
今日はつまらない一日だったよ。明日、もし散歩に行けたら僕の自慢の「真っ白なお腹」が泥んこになってしまうかもね。最も、しばらくシャンプーされていないので、「灰色がかった白いお腹」って言うべきかもしれないかな・・・・

1月29日 はれっ!!
今日は、久しぶりにお日様が一日中顔を出したので、僕も一日中外へ出て、雪のない所へ寝そべってうたた寝をしたりしたよ。今日のお日様はとても暖かいんだ。まるで春がやってきたようだ。御主人なんかは家の中へいると汗が出るぐらいだと言って、時々、僕のところへやってきてはちょっかいを出していく。せっかく久しぶりに会えたお日様と、会話を楽しみながら幸せな気分にひたっているというのに、じゃまするとは無粋な人である。このようにして、僕は一日中、お日様の光と暖かさを毛皮いっぱい、身体いっぱい受け止めたのだった。至福の時とは、まさにこのような事を言うのではないだろうか?寝るのに飽きると、いつものようにプラスチックの植木鉢をカミカミ、ナメナメして遊んだり、ぼろぼろになったシーツを引っ張ってきてみたりと色々な事をやったよ。晴れていると、することがたくさんあって、楽しいねぇ〜!!今日は良い日曜日になったよ。

1月28日 くもり
今日は曇り空で、雪もチラチラ降ってくるけれど、積もるような天気じゃなかったよ。こんな日は僕も御主人も「ホッ」と、一息ついて安心して過ごす事が出来る。それに、今日は日曜日の前の日だからね。
ところで、今日は久々におまぬけな事をやってしまって御主人を喜ばせてやった。なぜ御主人が喜ぶのかというと、この日記でもたびたびご紹介したけれど、最近の僕は余りにも「おりこうさん」になってしまったので、この「むつ犬のおまぬけ日記」のネタが少なくなってしまったのだ。だから御主人は、僕の行動を「鵜の目鷹の目」で監視して、その行状を「針小棒大」に脚色して、この日記に書き上げるのだ。前置きが長くなってしまった。自分のおまぬけぶりを白状するのは、いささか恥ずかしいのだけれど、仕方がない。
それは、お母さんがお仕事から帰ってきた夕方から、散歩へ行くまでのわずかな間に起こった出来事だった。どういう理由があったのかは、僕自身もわからないけれど、トラクターの下に潜り込み、反対側から出て来たまでは良いのだけれど、僕の紐がトラクターに引っかかって戻れなくなってしまったのだ。くどいようだが、なぜこんな事をしたのかは記憶にない・・・・覚えているのは、困り果ててトラクターの側にぼんやりとたたずんでいる所を御主人に発見されたという事だけだ。このことは、僕が良くやる「おまぬけパターン」ではあるけれど、普通は、梅雨が終わり「日本の夏」が始まる頃良くやるパターンなのだ。厳冬のこの時期にこんな事をするなんて、自分でも「信じらんない〜ぃ!!」・・・・

1月27日 くもり
今日は、僕におもちゃが一つ増えた。と言っても、この前に話した「ホームセンター」という所で売っている犬用おもちゃではない。御主人が着古したトレーナーである。御主人が、朝に着替えようとしたら「ビリッ」と破けたので、捨てるのももったいないというので僕のところへおもちゃ替わりに持ってきたらしい。「ほら、おもちゃだ!」と、犬小屋の中に放り込んだんだ。僕はうさんくさそうなものが来たと思って、匂いを丹念に嗅ぎ、くわえて振り回した。これは、犬が狩りで獲物を捕まえた時に確実に息の根を止めるための動作だ。このトレーナーも僕にとっては獲物の一部だ。第一、僕はこれが何なのかわからない。わからない時は、すべて獲物であると言う事を前提に所定の動作を行う事にしている。だから振り回してみた。「ピクリ」とも動かない・・・僕はつまらなくなって放り出した。御主人は、僕がもっと喜ぶものだとばかり思っていたようで、僕の仕草に不満のようではあったけれど、何も言わずに家に帰っていった。しばらくして、再び僕のところへやってきた御主人が目にしたものは・・・・!!雪まみれ、泥まみれになって外に放り出してあるトレーナーの変わり果てた姿なのであった。

1月26日 ふぶきのちくもり
今日は、また寒い一日に戻ってしまったよ。朝方は吹雪だった。でも、日中は風がすこし強かったけれど曇りになった。
ところで、僕は、誰かが(家族の事)帰ってくると、プラスチックの植木鉢をくわえて見せつける。帰ってきた人の気を引くために、それをくわえてはしゃいでみせるのだ。「可愛い!!」と思われて頭を「ひとなで」、身体を「ひとなで」されるだけでもうれしいけれど、あわよくば、何かおやつをくれるかも知れないとも思っている。別に、そんな事を期待してやっているわけではない。身体が自然に、そういう風に反応するのだ。でも、何かしてもらえれば、それに越した事はない。僕が一人でいる時は、このプラスチックの植木鉢だけが唯一のお友達(一人遊び用おもちゃの事)だ。ドッグフードを売っているというホームセンターとやらには、犬用、猫用のおもちゃが色とりどり、形も様々に並んでいるという。どんなおもちゃなのかは知らないけれど、いつかは、そんなおもちゃを買ってもらって、お友達を増やしたいと願う僕なのであった。

1月25日 くもりいちじゆき
やっと、吹雪が治まった。今朝は最低気温が2度ほどになったので、暖かく感じられる。夜中に雪はほんの少ししか積もらなかったようだ。日中になると、昨日、御主人が除雪した所の一部分の雪が消えて地肌の見える所もある。今日はお日様も顔を出したから、雪が薄く積もった所が溶け出したのかも知れない。何しろ、冬場はお日様が顔を出しても「お飾り」みたいなもので雪なんか消えてくれない。でも、無いよりはましで、暖かく感じる時もある。夏のあの暑さをすこしでもこの冬のためにとっておけたらなぁと犬ならではの考えが常に頭をよぎる。「夏のお日様」は犬にとっては天敵みたいなものだからね。今日の僕は外には出なかった。吹雪の間中、すっかり「引きこもり」の癖が付いてしまったのかも知れない。せっかくお日様も顔を出してくれたというのに・・・・でも、今日は雪が降らなかったものの、すこし風があったからね。もっと穏やかで気温がもう少し高くて、お日様がでていたら、外へ出て雪の上に寝ころんだかも知れないけれどね。

1月24日 ふぶきふいたりやんだり
今朝は、吹雪がひどいし、ご主人も風邪を引いているので、ハウスの中で遊ばせてもらう事にした。しかし、ハウスに入ろうにも入り口が雪でふさがれてしまっている。仕方なく御主人はスコップで入り口の前の雪を寄せ始めた。ハウスは3分の一ほど雪に埋まっている。雪が吹きだまったり、ハウスの屋根から落ちてきた雪が積もり積もったりしているところなんかは2メートルの高さがある。全体の積雪としては、50センチはとっくに超えただろうと思う。まぁ、山沿いの地域から比べたら、どうと言う事もないけれど、僕達のところでは大雪と言える。さて、ようやくハウスの中へ入れた僕は、紐をはずされて「ほら、駆け回れ!!」と言われたけれど、スズメたちもいなくなったハウスの中はキャベツやハクサイがゴロゴロしているだけで、つまらないのである。ただ一つ興味があるのは、中に生ゴミが捨てられているプラスチックで出来た大きな物体。これからは犬が好みそうな匂いがしてくる。御主人は、この匂いが嫌いなようだけれど、このかぐわしい匂いが嫌いとはかわいそうな事だと思う。生ゴミの匂いを嗅いだり、あちこちにオシッコをしたりして、ぶらぶらしている僕に、御主人は、走り回る意志がないと見て、僕の首に紐を付け「散歩替わりのハウス行き」は終わったのであった。僕は吹雪の中でも、たんぼ道を歩きたかったんだけれどなぁ〜、でも当分そんな散歩は無理かも知れないぞ・・・「早く風邪を治せ、御主人!!」

「犬よりも 吹雪に耐える 冬木立・・・・禄食」

1月23日 ふぶき・・・っ!!
今日は一日中吹雪だった。一日を通して向こう先が見えない状態だった。積雪も吹きだまりでは40センチぐらいもある。朝は零下5度まで気温が下がった。もちろん僕の飲み水も底まで凍り付いてしまっている。御主人は、昨日から風邪を引いたのか「熱がある」と言っていたけれど、散歩に連れ出してくれた。その後は、トラクターで除雪だ。こう雪が降ると、うっかり風邪もひいていられない。除雪が終わり、僕はいつものようにオシッコであちらこちらに結界を張り(つまり、縄張りの主張って事だよ)、おもちゃであるプラスチックの植木鉢を犬小屋からくわえてきて、雪の上で転がして遊んだ。御主人は、しばらく目を細めて僕を見ていたのだけれど「風邪は大丈夫?」というと、急に寒気がしてきたのか家に戻ってしまった。この吹雪の中でしばらくいたので症状が悪化しなければいいのだけれど、心配である。えっ?、「優しい事を言うじゃないか」だって、でも御主人が居なくなったら散歩にも行けないし、御飯も、おやつも、もらえないじゃないか・・・などと(落語の「厩火事」うまやかじ)の様な事を思っている僕なのであった。

1月22日 ゆき・・・
今日は、一日中雪が降り続いた。夕方まで15センチも積もっただろうか?。東京と言う所では9センチも雪が降って列車や飛行機が止まったと聞く。だとすると、ここのように15センチも降ったら、犬も歩けなくなるのかも知れないと、よけいな心配をしたりした。ところで、今朝は朝散歩に行くつもりで、御主人がやってきたので元気に犬小屋を飛び出したら、「むつ、足をどうした。痛い痛いしているじゃない」かという。僕は自分で気付かなかったけれど、たしかに左後ろ足をすこしひきづりながら走り回っているようだ。どうしてこうなったのかわからないけれど、覚えている事と言えば、昨日の夕方散歩の時に、滑って転び足首をひねったのかも知れない。そこで、散歩へ行くのは中止して、家の玄関先におやつだけをもらいに行った。いつものように、犬用煮干しと犬用ビスケットをもらった。しかし、これをもらったからと言って、すべて終わったわけではない。この後にお母さんが何かくれるのだ。毎日違ったものが出てくるので飽きない。僕はこれを一番の楽しみにしているのだ。だけどお母さんは来なかった。まだ寝ているのだという・・・・「さあ、帰ろう」という御主人の言葉に、僕は後ろ髪を引かれる思いで玄関を後にして犬小屋へ帰ったのだった。

そこで一句
「雪道を 曲がって家路を たどりけり・・・・禄食」

1月21日 くもり
今日の御主人は、「むつ、ドッグフードを買ってきてやるからな」と、犬小屋の中で居眠りをしていた僕に声をかけて出かけていった。しばらくして帰ってきた御主人は、僕に大きな袋を見せて「ほら、良いなぁ。ドッグフードと犬の缶詰だぞ」と見せつけた。匂いを嗅いでみても、余りおいしそうな匂いはしなかった。それよりは、別の小さな袋をのぞくと御主人用に買ってきた菓子パンが入っていた。おいしそうなので、さらに鼻先をつっこむと、「これは犬には関係がない」と言われてしまった。でも・・・本当は「菓子パン」を一番食べたい僕なのであった。ああっ、よだれが独りでに「だらだら・・」と。まるで壊れた水道の蛇口のようだ。

「よだれかな? つららのしずく 春近し・・・禄食」

1月20日 くもりときどきゆき
きょうも雪、犬小屋の中に引っ込んでいた僕は、午前中に御主人とすこし遊んだよ。ところが、午後になるといつの間にか御主人は何処かへ出かけていってしまっていた。僕に「お留守番を頼むぞ」という一声もかけないで出かけてしまった。いくら飼い主だからと言っても飼い犬との間にはそれなりのルールというのかマナーがある。飼い犬は、何も言わなくても「お留守番」をするのは分かり切った事だ。しかし「お留守番」をやってくれるだろうという飼い主の一方的な思いこみだけで、一言も声をかけないで出かけていくなんて、失礼だ!!だから、僕もあえて失礼なことをすることにした。犬小屋の中に引きこもり、誰が来ようといっさい「吠えない」事にして、ぶつぶつと一人で日頃の不平不満をつぶやき、プラスチックの植木鉢を「カミカミ」して時間をつぶしたのだった。
それでも、御主人が帰ってくるって言うのはうれしいものである。しかも、今日はどういうわけかお母さんと御主人が一緒の自動車で帰ってきたんだよ。僕は二人の廻りをはしゃぎながら「お帰りの踊り」を踊ったんだ。でも、二人は、そうは思わなかったようだ。僕がやっと御飯がもらえるというので「狂喜乱舞」したと見ているようだ。あのねぇ〜、飼い主が帰ってきて無邪気に喜ぶ飼い犬の姿を人間のにごった心で見ないで欲しいなぁ!!「がうん、がるるるる〜」

1月19日くもりときどきふぶき
今朝、目が覚めたら「春」になっていて、様々な草花が咲き乱れ、その間を蝶々が飛んでいた。・・・・と、思って犬小屋から外に出て驚いた。一寸先も見えない「吹雪」である。しかも気温は零下4度・・・今日はこの気温が一日続いた。いや、夕方散歩から帰った今も、この気温なのだ。御主人は息を吸い込むと、あまりの空気の冷たさに「矢が喉に突き刺さるようだ」という。矢が喉に突き刺さるとどういう感じになるのか知らないけれど、相当痛いはずである。しかし、何度も言わせてもらうなら、「犬は平気である」今日なんか、「寒い、寒い」と言っている御主人に向かって「ボールを出せ!!」とせがんで、雪の上でボール遊びをしたんだ。それに、夕方5時の時報に合わせて、高らかに遠吠えもしたし、その後、御主人が散歩に連れ出しにくるのを雪の上で「伏せ」の格好で、しばらく待っていたんだよ。しかし、犬も寒いと感じる。ただ、寒さを感じる度合いが人間より感じにくいだけなのだ。外の気温が零下4度、作業小屋の気温が零下2度だ。すると、僕の住みかである犬小屋は、零下1度か0度ぐらいだろうと思う。人間だったら、こんなところに寝ていたら「凍死」は間違いないだろう。そこで、僕が言いたいのは、人間がこの地球上から滅びても犬は生きていけるだろうという事だ。ただし、飼い犬はどうなるのかすこし心配だ。なぜかというと、飼い犬は一種の人間に依存する「寄生動物」と言えるからなのである・・・・果たして、飼い犬は飼い主の手を離れた後、食糧を確保できるのだろうか・・・?

そこで一句、「大寒を 迎えし犬の 雪遊び・・・禄食」

1月18日 くもりときどきゆき
今日も一日中、零下の気温だった。でも雪は時々降ってくるけれど積もりはしなかったよ。でも、困ったのは僕の水飲み器だ。朝散歩から帰ってきて水を飲もうとしたけれど、中の水は鏡のようになってしまっていて飲む事が出来ない。御主人が、この前に日記でお話しした「氷り割棒」でたたき割って「ほら、水を飲め」と言った。けれど、割った氷の断面がギザキザになっていて、僕が舌をつっこんで水を飲もうとしても、舌を怪我しそうだったので止めた。変わりに、外にある雪が解けて、また固まってしまった「氷」をボリボリとかじり、喉の渇きをいやしたのだった。
まったく、この寒さは例年にないぐらいだ。御主人のお話によると、この冬は寒暖の差が激しすぎるのだという。僕は、すでに一冬分の寒さを味わったような気持ちなので、明日から、すぐ「春」そのものの「季節」になって欲しいと願っているのだった。

1月17日 くもりいちじゆき、はれまあり
昨日、一昨々日と雨が降ったので、雪がだいぶ消えたようだ。犬小屋の周りも雪が消えてアスファルトの地肌が見え、所々乾いたりしている。僕は、その乾いた所へ寝ころんで、気温7度という暖かさを楽しんでいた。昨日までは・・・である。ところが、今日は一転して寒い朝になった。日中もマイナスの1度で、雪が時々、ちらほらと落ちてくるといった案配の天気だった。まだ一月だから、これからも雪が降るだろうし、寒くもなっていくんだろうなぁ〜
ところで、雪がしんしんと降り積もっている時は、意外に今日みたいな雪も少なくなって吹きさらしの日よりは暖かいものだと言われている。僕も、そう思う。だから、「もう少し雪が降ってくれ」とは、この前も話したけれど口が裂けても言えない。あとは、春までに紐が柱にぐるぐる巻きに引っかかり、犬小屋に入れずに一晩、零下の気温の外で丸くなって寝なければならないような事がないように祈りたい・・・・・(ちょっと、回りくどい言い方だったかな?、去年の冬は、そんな事が2,3度あったからね。)

1月16日 くもりのちあめ
御主人は、今「決算」というお仕事をしている。2月15日から始まる税金の申告のための準備らしい。机の上にはたくさんの数字が並んでいて、御主人を悩ませたり、惑わせたりするのだそうだ。犬には数字なんて関係ないけれど、いつも朝散歩から帰ってきた時にもらう「犬用ビスケット」の数だけは数える事が出来る。「3」という数だ。僕は毎朝、これを3個ずつもらう事になっている。何かの都合で1個だったり2個だったりする時は、不思議そうな顔をして御主人の顔をのぞき込む。ただし、数が3個より多い場合はこの限りではない。「多くて得をした」と思うだけである。犬の単位は「多い」と「少ない」、これだけである。実にわかりやすい。単位が一桁足りなかったり多かったりして、大損したり大もうけしたりする人間は犬にとっては不可解そのものだ。犬の数の概念である「多い、少ない」だけで世の中が維持されていくのなら、暮らす安い世の中になるだろうと思うよ。「人間の生き方は犬に学べ」という本が「犬新聞社」から出ているので読んでみたらいいと思うよ。でも・・・・・犬語だからなぁ〜・・・・

1月15日 くもり、はれまあり
「雪国生まれの秋田犬には雪景色が似合う」と、御主人は言う。たしかに「きりりっ!!」と冷え込んで辺り一面真っ白な雪景色の中にたたずむ秋田犬の立ち姿は、一幅の絵を見ているようで美しい・・・かも知れないけれど、白い雪の中では秋田犬の自慢である「裏白」つまり胸からお腹、そして尻尾の先までの美しい白さが目立たなくなってしまうんだよね。秋田犬の価値は、なんと言ってもお腹の白さにある。それに、雪が純白の美しさであるのに対して、僕なんかシャンプーもしていない、薄汚れた白さで雪の上に立つものだから、みすぼらいしい事限りない・・・だから、出来れば冬は写真撮影を断りたい。シャンプーしてもらってからなら大丈夫だと思うけれど、外犬は、こんな寒さでシャンプーをしたら風邪を引いてしまいそうだ。歳をとったら、ぜひ「内犬暮らし(家族と一緒に家の中で快適に暮らす犬の事)」をしたいというのが僕の夢なのであった。

1月14日 あめがふったりやんだり
今日は、どういうわけか雨降りの一日になってしまった。明け方から降っていたんだけれど、おかげで地面に降り積もった雪がグズグズのシャーベット状になってしまったよ。雪のお山もすこし縮んだような気がする。僕達の住んでいる地方では、雪はすこしぐらいお日様にあたっても消えない。逆にお日様が出てくると「放射冷却・・・?」って言う現象が起きて雪の日より寒くなるので降り積もった雪は氷みたいになってしまう。これを「かた雪」とか「凍み雪(しみゆき)」とか言う。雪の上に上がっても「ずぼり」と沈まないで、一面、コンクリートかアスファルトが敷き詰められているのと同じような状態になる。こうなると、雪の原は何処までも自由に行き来できるフリーウエイになる。雪の下に水路があろうが、田んぼがあろうが思う存分、雪の上を自由に駆け回る事が出来るんだ・・・・と、御主人の子供の頃はそうだったのだという。温暖化が進んだ近頃では、こんな光景は余りないという。それに水路の上に降り積もった雪の上を歩いていて、すっぽりと抜け落ちてしまったら、はい上がれなくなって「凍死」という事にもなりかねない。散歩に行くと、たまに雪の上に犬か、猫の小さな足跡が何処までも付いていて、自由に駆け回ったんだなって思うけれど、僕は「デブ犬」なので、そんな恐ろしい事は出来ないでいる。とにかく、今日は気温がプラスの7度にもなったので、屋根に降り積もった雪が落ちてきて怪我をしないように気をつけなければいけない。僕達の住んでいる所は、西側の屋根にはものすごい風が吹き付けるために、ほとんど雪は降り積もっていない。東側にはいくらか積もっているので、それが落ちてくる心配があるのだ。特に僕の犬小屋がある作業小屋の入り口は東側に面していて、僕としても頻繁に出入りする場所なので危なくてしょうがない。現に、屋根の上の雪は怪獣の牙のような形になってせり出してきて、滴が止めどなくしたたり落ちているような状態だ。
御主人に「すこし、屋根の雪下ろしをしたら」と言ったら、「俺は子供の頃から今まで一度も雪下ろしなどした事がない」と変な威張られ方をされた。ヤレヤレ・・・である。こうなったら犬小屋の外へは出ないで、犬小屋の中で俳句でも詠んでいた方が安全なようだ。
そこで、季節はすこし早いけれど一句
「水仙の まだ咲き初めし 余寒かな・・・・禄食」

1月13日 はれのちくもり
今朝の気温はマイナス6度だったよ。雪がたくさん降る上に、気温も低いとなったら、「踏んだり蹴ったり」というものだ。猫さんなんかは「踏んだり蹴られたり」は、山寺の和尚さんから、いつもされているので、慣れているから良いだろうけれど、犬にとっては「踏んだり蹴ったり」はつらい・・・・
ところで、この頃、雪が降らなくなったので僕たちは平穏無事な生活を送っている。除雪して積み上げた雪の山も、心なしか小さくなったように感じる。でも、これは雪が消えて小さくなったのではない・・・・正確に言うと雪が水分を含んで氷になったから小さくなったと言える。僕にとっては、こっちの方がありがたい。ふわふわの雪をいくら積み上げても、積み上げたお山に登ろうとすると、身体が埋まってしまいそうになる。その点、氷のように堅くなった雪山は、駆け足で昇っても頑丈なものだ。なぜ、雪山に登るのかというと、ここは冬場における僕の見張り場の役目を果たしているからだ。この上に座って、あちらこちらを見渡すと、落ち度無く番犬の仕事が出来るし、第一、ここに座っていればすべてが見渡せるから楽である。もう少し高くなれば、見張りがもっと楽になるのになぁ・・・と思い、もっと雪が降ってくれればお山が高くなるのになぁ・・・と、大きな声で言ってしまえば「袋だたき」になりそうな事を心の中で考えてしまう今日この頃の僕なのであった。

1月12日 くもりいちじゆき
最近、御主人は僕の事を「デブ犬」とか「ボテボテ犬」などと呼ぶ事が多い。身体がふくらんだという事を言いたいわけだ。「飼い犬を馬鹿にしている」と思うのだが、たしかにその通りで、自分で納得してしまっているので腹も立たない。秋から冬にかけて僕の食欲が日増しに増えていったという事は前にもお話しした。御飯の前の儀式である「犬の作法」(お座りから伏せ、そして、よし、までの一連の動作の事)の間も、よだれがたらたらと、口からこぼれ落ちて地面がびしょびしょになってしまうぐらいである。見た目でわかるぐらいだから太っている。体重も最近は計った事はないけれど、夏の頃よりは増えているだろうと思う。だいぶ前に、嫌々をして暴れながら体重を計らされた時は35キロぐらいだったから、今では40キロを超えたのではないかと思う。そこで、ふと思い出した。年末から年始にかけて、おやつや、御飯の時に食べさせられた「高級牛肉の脂身」のことである。上のお兄さんがお店から大量にもらってきたものを「犬用おせち料理」と称して、食べさせられたものだ。「これだ!これに間違いない!!僕の身体は、これを食べた事による脂肪太りだったのだ!!」しかし、これを食べたおかげで僕はいつになく寒いこの冬を乗り越える事が出来るって言うわけなんだ。最も、寒い冬の先には暑い夏が待っているわけだから、どこかでやせなくては暑さを乗り越える事が出来ない・・・でも、「飼い犬の管理」は御主人の仕事なので、僕は与えられた食べ物を食べていくしかないのである。それに、夏なんて言う、遠い未来の事など考えて心配するのも犬らしくないので、「今が良ければ、それで良いじゃないか」と犬の思考原点に立ち返って、そう思う事にしている今日この頃の僕なのであった。

1月11日 はれたりくもったり
昨日の夜から、今日の午前中にかけて「寒気」がゆるんで「暖気」になった。僕達の住んでいる所では、今までの厳しかった寒さが「フッ」と無くなって暖かくなる事を「暖気」という。暖かいと言っても最高気温が1度から3度ぐらいと言った所だ。温暖な地方の人から見たら、暖かいとも言えないような気温だけれど、僕達は、今まで厳しい寒さにさらされてきているので、不思議な事に暖かく感じてしまう。僕の飲み水も凍っていなかったし、地面に積もった雪なんかはシャーベット状になっている。ところが、シャーベット状になっても、これが消える事はない。しかも、また寒さがぶり返すと、これがやっかいなものに変わってしまうのだ。「氷」である。今日は午後から、また寒くなって地面が凍り始めてしまった。夕方散歩の時なんか気をつけないと「ツルツルリン」の「スッテンコロリン」と、転んでしまう事になる。僕がいくら爪を氷に引っかけながら歩いても、駄目である。なるべく凍っていない所、雪が踏み固められていない所を選んで歩くしかない。御主人の長靴なんかは、防寒靴とは言うけれど、僕の爪付きの素足には遠く及ばない。僕と一緒の散歩の時も、おっかなびっくりの腰つきで、つま先で歩くような状態だった。なぜ、つま先で歩くのかというと・・・?、普通に歩く時は、かかとから先に地面に足をおろす。ところが、凍った道でかかとから足をおろすと、後へ転んでしまう可能性が高い。後へ転ぶと頭をまともに打ってしまう事にもなりかねない。だから、凍った道を歩く時は、つま先から地面に足をつけるように歩く。こうすると、転んでも前に倒れるから、手をつくなり、身体をひねって横倒しになるなり、とっさの対応が出来るし、怪我をしても重傷になる事はまずない。人間は二本足で不安定に立っているので、こうして知恵を働かせて自分に害が及ばないようにする。その点、犬などの4足歩行の動物は、安定しているのでこの限りではない。最も、猫さんなんかは4足歩行だけれど、凍り付いた雪道なんかを歩く事は、まず無いだろうと思う。きっと、コタツの中でぬくぬくと丸まって寝ているんだ!!!うっ、うらやましぃぃぃ〜い!!!

1月10日 はれのちくもり
ひえぇぇぇ〜、今朝の最低気温がマイナス7度にもなってしまった。さすがの秋田犬でも、これはすこし厳しい。外に寝ていても凍死をすると言う事はないけれど、さすがに寒い!!。幸い、防寒対策として犬小屋を保温材で囲ってあるから、犬小屋の中までマイナス7度という事はない。でも、こんな程度の気温で「寒い!!」などと言っていたら、昔々・・・南極大陸に取り残された「タロー、ジロー」の艱難辛苦幾年月、涙なみだの物語に比べたら、ぬるま湯につかっているようなものだ。北国の犬は、この2頭の犬の事例に学び、原点に帰らなければいけないと思うなぁ〜。
ところで、昨日の僕は御飯を残したんだよ。50グラムぐらいだったけれどね。あまりの寒さに食欲が減退してしまったのかなぁ・・・それとも食べている側から凍ってしまって、食べる事が出来なくなったのかも知れないなぁ・・・・「腹ぺこ犬」である、自分自身の事ながら不思議である。

1月9日 くもりときどきゆき
犬は人に言われた事しかしない。つまり、御主人の命令を受けて初めて動くのだ。「忠実」と言われればそれまでだが、人間の世界にも、人に言われないと物事をしない人もいると言うから、犬と似たようなものだ。しかし、犬は「命令」されても、自分が嫌な事はしない。人間なら、嫌な事でも渋々しなければならないだろうけれど、犬は絶対と言っていいほど、嫌な事はしない。こうしてみると、どちらが生きる上で自分に対して自然なのだろうかと考えてしまう。
こんな犬の性格は、のんびり、ゆっくり、と人に寄りかかって長い歴史の中を適当に泳いできたという証なのだろう。緊張するとあくびが出てしまう。と言うのも、のんびりした飼い犬の性格というか、長い間の生活習慣に由来するものなのかも知れない。生活習慣がDNAの中に記憶され、遺伝的習慣として受け継がれてきたものだろう。まぁ、理屈はともかく、犬本来から言えば、命令される事自体好きではないのだという結論になる。
※「飼い犬に見る生活習慣の由来」という本による。(犬新聞社発行。比較犬類学研究所 著)

1月8日 くもりときどきはれまあり のちふぶき
僕は不満があると「がるるるる〜・・」と低くうなる。それは御主人に対してもそうなのだ。大切なものを横取りされそうになった時等々である。大概は、御飯を目の前にして、クドクドと叱られる時だ。僕は早く食べたいのに、小言はいつまで経っても終わらない。そんなときは、こうしてうなる。だけど、御主人は、うなっている僕の鼻の頭を「ポン」と叩いて、「うなるんじゃない!!」と、うなった事に対して、また叱られる。こうしていると、いつまでも小言を食らっていなければいけない。御飯を食べないで小言を食らってもお腹は満腹にはならないので、僕は不満を表すのを止めてしまう。こうして、やっと僕は食事にありつく事が出来るのであった。今日も、そうだった。何で叱られていたのか、御飯を食べ終えてしまった今となっては記憶がなくなってしまっている。飼い犬は、つらい!!・・・・自業自得だ、と言われればそうかも知れないけれどね。

1月7日 くもりときどきゆき
最近は、毎日雪ばかりである。御主人が雪寄せをすると、寄せただけの雪が、また空から降って積もっていく・・・御主人も嫌気がさしてきているようだ。僕も、外で遊んでいると「雪だるま犬」になってしまうので、たいていは犬小屋の中で一日を過ごす。でも、こう毎日雪空が続くと、犬小屋の中に閉じこもっているのも退屈になってくる。「何か中で遊べるようなものはないかな」と、作業小屋の中を物色していると、プラスチックの植木鉢が見つかった。それも小振りなのが3個もある。それを犬小屋の中へ持ち込んで「カミカミ、ナメナメ、ひっくり返したり、もてあそんだり」していると、いつの間にか時間が過ぎてしまう。僕は、植木鉢は夏の間、獲物に見立て「狩り」のお稽古のつもりで、広い屋外で、じゃれついたりして遊ぶ道具だとばかり思っていた。案外、冬の家の中でも遊べるものだと再認識した次第であった。

1月6日 ゆきがふったりんだり
最近は、冬至も過ぎたので夕方の5時を過ぎてもあたりがほんのりと明るい。少し前までは5時を過ぎると真っ暗になってしまったんだけれどね。昼間の時間がすこしずつ長くなっているって事だよね。それは良いのだけれど、日が長くなっているので、僕の夕方散歩の時間も遅くなってしまう。僕は、4時半頃になると散歩の時間だというので、吹雪の中でも外へ出て御主人を待っているのだけれど、御主人はいっこうに出てこない。あんまり出てこないので、久しぶりに5時の市役所の時報に合わせて「うお〜ん、うお〜ん」と遠吠えをしてみた。すると、効果覿面。御主人はすぐさま僕のところへやってきて、すぐに散歩に連れて行ってもらったんだ。しかし・・・・100メートルも歩いたら、吹雪が襲ってきて、一寸先も見えなくなってしまった。それに雪があまりに深くて、僕の身体なんか埋もれてしまいそうだ。家の近くで遭難しそうな状況なので、僕達は泣く泣く家に戻る事になってしまったのだった・・・・・はぁ〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1月5日 くもりときどきゆき
お正月が終わった途端に吹雪になってしまった。もう、一寸先も見えないぐらいの状態だ。僕が散歩に出かけても、雪の中をお腹まで埋まりながら、泳ぐように進まなければならない。一緒に行った御主人も雪があまりに深くて長靴の中に雪が入ってくる。僕達は、とうとう途中で家に引き返してしまったのだった。
ところで、昨日お話しした「101匹わんちゃん百人一臭かるた」の遊び方だけれど。床に並べられた101枚の札。まわりに東西2つの組に分かれた犬たちが並ぶ。その札には様々な格好の犬の絵が描かれているけれど、それはこのかるたの遊び方にはぜんぜん関係がない。その一枚一枚には、違った匂いが焚き込められている。つまり、101種類の匂いが、あたりには充満しているというわけだ。ただし、100枚には匂いが付いているけれど、たった一枚だけ無臭の札がある。合わせて101枚というわけだ。そして、それぞれの札の匂いはかすかな薫りを放っているだけである。そこで、審判となる1頭、あるいは2頭の犬の前には、床に並べられた101枚のふだと同じ物が山積みされていて、審判員が「うお〜ん」という遠吠えと共に山積みの札の中から1枚を取りだして、高く掲げるのだ。犬は、その札の匂いを嗅ぎ、床に並べられた札の中から、同じ匂いの札を取リあうというゲームなのだ。だから、たとえば人間が側で見ていても、何が、どうなっているのかさっぱりわからない。こうして、一枚でも多く正しい匂いの札を取ったグループの勝ちという事になる。このゲームは一種の「狩り」のシミュレーションとも言える。グループにはリーダーがいて、様々な仕草や声で仲間に指示を出して札を取る工面をする。楽しめて、「狩り」のお稽古にもなるというので犬たちには大人気のゲームだ。だだし、毎年同じ匂いだと飽きるので、その年によって違った匂いのかるたセットが発売される。さらに鼻の短い犬は匂いには余り敏感ではないので、それに合わせた強い匂いのセットもある。匂いの強さ、弱さによってプロ用からアマチュア用、子犬用まで様々な種類の「かるた」があるし、秋田犬用とか、シェパード用などと言うのもあって楽しい。
どう?、「101匹わんちゃん百人一臭かるた」の遊び方を理解してくれたかなぁ・・・・

1月4日 ふぶき
「肉食えば 犬を思ほゆ 魚食えば 猫を思ほゆ まされる宝 食い物にしかめやも」
という長歌が犬の世界にある。これは、人間の世界で言えば奈良時代の歌人である「畑作りのオクラ」という犬が詠んだものだ。御主人に聞くと、「山上憶良(やまのうえのおくら)」という人間の世界にも同じような人が同じような時代に、似たような歌を詠んでいるという。最も、2つの歌がごっちゃになっているというのだけれど、犬だから、そこら辺は適当に、ほどほどにと言った所だろう。もしかしたら、「畑作りのオクラ」という犬は、その人の飼い犬だったのかも知れない。何しろ犬は大昔から人間のお友達だったからね。それに著作権の侵害もないしね。ところで、お正月も終わりだけれど、僕達犬属は、ちょうどこの頃に「101匹わんちゃん百人一臭かるた」という遊びをするんだよ。この遊び方の説明は、また今度するからね。

1月3日 はれたりくもったりのちゆき
御主人の話によると、ある雑誌に「戌年があって、ネコ年がないのはネコに対する不当な差別である」という声が猫たちの間から上がっているという記事が載っていたという。犬を不当に優遇しているというのだ。でも、昔話では、神様が干支を決める時、最初に神様の所へたどり着いた12匹の動物を干支にすると言ったのに、ネズミを追いかけていた猫さんは牛の背中に乗って、神様のいる所の直前まで来ると、牛の背中からものすごい勢いで飛び降りて、一番に神様の所へたどり着いたのだという。「私が一番目の干支です」と主張するネコに対して神様は、「自力で来ないでずるしたから駄目!!」って言われてしまったんだ。だからネコ年って言うのはないんだよ。自分たちの御先祖がずるをしたために、こんな事になってしまったのに、今更「ネコ年がどうのこうの」というのはおこがましい。今年は戌年で、猫と犬が長年、仲が悪いという事もあって、こんなおかしな「差別論争」が持ち上がってきたのだと思う。「犬新聞社」では、これに対する反論を論理的かつ公正な社説を掲載するべきだと思うな。もっとも、猫と犬がいがみ合っているというのは、すこし誇張した言い方で、実は、猫も犬も動くものに反応するので、お互いがにらみ合っているように見えるだけなのかも知れないね。

1月2日 はれのちあめ
僕達、犬属にとって尻尾は顔と同じだ。犬の顔は感情を表すという事が出来ないので、尻尾で表す事になっている。ところがこの「尻尾」の表情というものは、見慣れた人でもよくわからない・・・・
たとえば、僕が「獲物」を見つけて、こっそり近づいていくといった場合。かすかに尻尾を振りながら近づいていく。期待を込め、緊張しながら・・・と言う気持ちが尻尾に表れている。大きく激しく尻尾を振っているのは、うれしくてたまらないという表情だ。家族が帰ってきた時や、おいしいものがもらえる時などだ。逆に、尻尾をだらんと下げている時は「警戒」している時だ。怪しいものや不思議な、理解できないような物体が間近に迫ってきた時は尻尾を下げる。だけど、同じ尻尾を下げていると言っても、物事に集中している時(御飯を食べている時)、あるいはリラックス(寝転がっている時)している時も尻尾を下げている。尻尾を後足のまたの間に隠すようにしている時は、恐くて恐くてどうしようもない時だ。身体を震わせる事もある。僕なんか、かないそうもない相手に出会った時などである。尻尾を立てるでもなく、下げるでもなく中途半端に尻尾を振る時もある。これは、仕方なく、愛想を振りまかなければいけない時・・・・
まだまだ、様々な尻尾の表情があるから、とても僕には説明できそうにない。ただ一言注意をして欲しいのは、尻尾を振っているからと言って、相手に親近感を抱いている、と言う事にはならないって事だ。もしかすると、相手を獲物同様に見ているのかも知れない。そして、隙があったら飛びかかろうと思っているのかも知れないから、要注意だ。
新年から、物騒なお話をしてしまったけれど、今年は戌年なので、犬と接する機会が増える事と思う。だから、僕の「老婆心」ながら、クドクドと、尻尾のお話をしてみたよ。

1月1日 はれのちくもり
明けましておめでとうございます。
とうとう、戌年がやってきた。犬にとっては一生に一度。2度も巡ってくる事は、よほどの長生き犬か、運が良ければやってこない。
所で、お正月って言うのは、おいしい物を食べて、ゴロゴロしながら寝たりテレビというものを見たりする日なんだそうだけれど、犬にとっては、なんの縁もゆかりもない、ただの普通の日である。代々、犬にはめでたいという感覚はない。嬉しいとか悲しいとかはあるけれど・・・・ただ、今年は雪がいっぱい降ったので、お正月らしい風景を見る事が出来て、北国の犬としては満足している。おいしいものと言えば、上のお兄さんが、会社で余った牛肉の脂身を大量に持ってきてくれた。それが僕の「おせち料理」の変わりって言うんだ。これで、僕も人間と同じようにゴロゴロ、だらだらとお正月を過ごす事が出来るね。えっ?、おまえは普段から、そんな調子で一日を過ごしているじゃないかって?