むつ犬のおまぬけ日記
平成18年7月
7月31日 はれ
今日は、晴れてさわやかな風が吹いた。とても気持ちの良いお天気だった。僕もトラクターの下に潜り込んではいるけれど、窓からと、入り口から吹き込んでくる風は涼しい感じがする。
僕は、昨日のシャンプーですっきりとした「白犬」になって、今日は気持ちよくお昼寝が出来た。一方、御主人は、田んぼに肥料をやるお仕事をしていて、全身水を浴びたようになった他に下半身は泥んこである。僕の「真っ白」というイメージとは正反対で「真っ黒」というイメージである。もっとも、御主人が泥んこになろうが、汗みどろになろうが、僕にはいっさい関わりがない・・・僕が関心ある事と言えば、秋においしいお米が取れるだろうか、と言う事だけだ。がんばれ御主人!!、僕は、お昼寝しながら心の片隅で声援を送るぞ!!!

7月30日 はれ.
今日は、東北地方を除いて、全国的に「梅雨が明け」たのを祝して、僕のシャンプーが行われる事になった。僕は精一杯、足を踏ん張って抵抗をしたのだけれど、首輪が力をかけると締め付けるような構造になっているので、苦しくなって、とうとう「シャンプー場」まで行く事になってしまった。そこで御主人から聞かされたのは驚くような事実だった!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「梅雨明け祝いシャンプー」というのは、真っ赤な偽り!!実は「むつ犬誕生日お祝いシャンプー」だったのだ。「これをもってプレゼントとする」と、御主人は高らかに宣言をした後、僕の身体にシャワーを浴びせた。それからはいつものシャンプー光景なので省略するけれど、記念となるシャンプーなので、いつもよりは念入りに洗ってくれた。洗い終わってからの「シャンプー記念写真」も毎度の事である。このようにして、飼い犬にとっては、実に馬鹿馬鹿しい「誕生日プレゼント」を受取、飼い主は、実に簡単で、実質的、かつお金のかからないプレゼントをしたものだと自画自賛しているのであった。やっぱり、昨日の内に御主人に噛みついてやるのだったと、今更ながら後悔している僕なのであった。

7月29日 あめのちはれ
実は、僕・・・・・昨日で満6歳になってしまったらしいんだ。と、言う事は昨日が僕の誕生日だったと言う事らしい。犬は日付とか年号などは理解できないし覚える事も出来ないので、自分の誕生日がいつなのかと言う事は知らない・・・・犬の時間とは、朝日が昇り、それが沈んでいく事の繰り返しであって、その繰り返しが何回あったかなどと言うのは理解できないのだ。だから、誕生日は御主人が覚えていて、僕にその都度教えてくれなければいけない事なのだ。その御主人も、すっかり僕の誕生日を忘れてしまい、今日のお昼頃に思い出したらしく、僕に「おまえは昨日6歳になったんだ」と教えてくれた。当然の事ながら「お誕生日プレゼント」は無しだった・・・・でも、今日の朝散歩の時に油で揚げた魚の骨をたくさんもらったような気がするけれど、まさかあれがプレゼント替わりだ・・・なんて言う事はないだろうねぇ〜。いずれにしても、御主人からは、はっきりとした「僕の誕生日」への物質的意思表示・・・つまり贈り物がある事だろうと思う。もし、なかったら「ガウン、ガルルルル〜」と唸り声を上げて噛みついてやるからね。本当だよ!!!

7月28日 くもりのちあめ
夕方散歩に行ったら、途中で「服従訓練」をやらされた。なぜ、散歩の途中にこんな事をしなくちゃいけなくなったのかというと、御主人から「動くな」と言われたのに、それを無視して動いてしまったので、そういう事をやらされる羽目になってしまったのだ。僕は日常生活の中で、御主人には十分服従をしているつもりなんだけれど、征服者とか飼い主とか言うものは、徹底的に自らの下にあるものを服従させなければ気が済まないものらしい。僕の場合は「飼い主と飼い犬」の関係である。そんな事はやりたくないのだけれど、飼い主の命令は神様の言葉に等しいので逆らう事は出来ない。だから、心の中では舌を出して「ふん!!なんだいこんなもの!!」と思いながら、身体は御主人の命令に従ってしまう。この矛盾・・・人間だったら、とうていこんな矛盾を日々抱え込んでいたら、完全にストレスがたまって、どうしようもない事だろう。犬の場合は、「適当=ほどほどあるいはいい加減」という生き方だから、一時的にはストレスがたまるだろうけれど、根に持たないような習性になっている。現代はストレス社会というのが人間社会では常識である。だから、僕は何度もこの日記の中で主張しているけれど、「人間の生き方は飼い犬に学べ」という事を強く、強く言いたい!!

7月27日 はれ
久しぶりに晴れて暑くなったので、僕は日中はトラクターの下で死んだように眠りこけた。御主人がやってきて、靴のかかとで鼻先を「つんつん」とやられるまで気づかなかった。これでは番犬として失格である。出来る事ならば、夏の暑い盛りは「番犬休業中」の札でも出しておきたいところである。
ところで、僕達が散歩から帰ってくると、ちょうどおばあちゃんがやってきて「枝豆だよ」と置いていった。僕も食べ物には興味があったので匂いをかがせてもらったら良い匂いがした。でも「犬は関係がない」と御主人から言われてしまった。ゆでてあるからすぐ食べられるし、犬が食べても毒にはならないから味見させてくれても良いじゃないか、と文句を言いたかったけれど、飼い犬の悲しい性で御主人には逆らえない・・・・。どどのつまり、御主人のビールの友になる運命の枝豆さんなのである。考えてみれば、この枝豆さんもかわいそうな身の上なのだ。犬の舌や胃袋を知らずに、人間だけを相手にして、その一生を終わるのだからねぇ・・・

7月26日 くもり
日本の南の地方は「梅雨明け」をしたという。何でも「太平洋高気圧」とやらの勢力が強くなってきて、「梅雨前線」が北に押し上げられながら勢力を弱めているという。こいつが、このまま北へどんどん押し上げられると、僕達の地方にもやってきて、土砂降りの雨を降らせるに違いない。大雨が降ったらどうしようかと今から心配している。僕の住んでいる家は平地で、廻りが田んぼなので土砂崩れの心配は・・・まず無い・・・と、思う・・・たぶん・・・・だけど・・・やっぱり・・・
それより心配なのが川の氾濫である。ふるさとの川である一級河川「子吉川」、この川が僕の家から200メートルほどの所を流れている。高い土手があるとはいうものの、御主人のお話を聞くと、その土手のすれすれまで水が満ちた事があると言うから安心は出来ない。僕は犬なので、泳ぐ事が出来るけれど、「犬かき泳法」では濁流を乗り切る事は出来ないだろう。水に流されて、いつか行ってみたいと思っていた海までながされてしまうのだ。でも、水に流されてまで海へ行きたいとは思わない・・・そんな事を思うと心配で夜も眠れなくなる。いったい、御主人は我が家の防災をどのように考えているのだろうか。今度、じっくりと御主人と「膝詰め談判」をしたいと思っている、今日この頃の僕なのである。

7月25日 あめのちくもり
御主人は田んぼに肥料を散布に出かけました。僕は家でお昼寝をしていました。だいぶたってから帰ってきた御主人は疲れ切ったような顔でした。僕が「どうしたの?」と聞くと「肥料散布は大変な作業で、心臓が爆発するぐらいだ」という。僕は心臓が爆発をした音は聞いた事がないので、「聞かせてくれ」と言ったら、ほっぺをつねられた。御主人は寝そべっている僕をうらやましがって、いつも言う皮肉も出ないらしく、泥だらけになった作業ズボンを外に置いてある洗濯機に放り込むと、そそくさと家の中に入っていってしまった。さて、こうなると心配なのが、僕は散歩に連れて行ってもらう事が出来るのかどうかだ?。御主人は疲れ切ってこのまま外に出てこないのではないだろうか・・・などと考え込んでいたら、ちゃんと散歩に連れて行ってもらったよ。後は、無事に御飯が出てくるかどうかだな・・・・?
などと、結局は自己中心的な思いを巡らせている僕なのであった・・・・

7月24日 あめのちくもり
僕は犬なので、夏になると、日向の溶けたアイスクリームのような格好になって少しでもひんやりとしたところを探しては、はいつくばっている。・・・と、言うのが例年のパターンだったのだが、今年は何しろ、こんな長梅雨なので、はいつくばってはいるけれど、ベトベトに溶けたアイスクリーム状態にはなっていない。たとえるなら、少し溶けかかったアイスキャンディのようなものかも知れない。それでも暑い・・・・はぁぁ〜、今から思えば、あの大雪だった冬が懐かしい。シロクマさんがうらやましい。ペンギンさんにあこがれる・・・夏よ来い!!どうせなら、猛烈な暑さの夏よ来い!!そうすれば僕は開き直って、アスファルトの焼けた地面に寝転がって見せよう!どうせ僕は犬だから日焼けの心配はない!!

注釈・・前述の日記を推察するならば、梅雨にいらだち、自暴自棄になっている。犬の習性から見れば珍しい形態である。飼い犬生活が長くなると、より人間に近い思考、あるいは行動になるのかも知れない。むつ犬は、悪い意味での実験的観察飼い犬として、今後注目すべき存在である。(比較犬類学研究所所長 花咲ぽち教授による注釈)

7月23日 はれ
今日は梅雨の中休みというわけで、さっぱりとした青空が広がったので、小咄でもしようかと思う。じめじめした気分が晴れればいいのだが、だけど、反対にどっぷりと綿が水を吸ったようになってしまわないように願いたい・・・
「我々が所属している犬科目には多くの犬の種類と、身近なところでは、キツネや狸がおりましてナ。このキツネと狸はたいそう化けるのがうまいなんてぇ事をもうします。我々は犬ですから化ける事は出来ません。むしろ猫さんの方が化けるなどともうしまして、キツネや狸も犬の仲間でいながら猫さんに近いという、誠に困った動物であります。

ある夏の暑い盛り、池で涼しそうに泳いでいる鯉を見て、俺も鯉に化けて泳いだら、さぞ気持ちの良い事だろうと早速鯉に化けた。ところが、あわてていたので化けたところが土の上、鯉に化けた狸は、土の上で七転八倒の苦しみ・・・・。

もう一つ、あまりの暑さに耐えかねた狸が池で泳ぐ鯉がうらやましくなって、あわただしく鯉に化けて池に入ったものの、あやうくおぼれそうになってしまった。よく考えたら、あまりの暑さに頭が「ぼ〜っ」と、なってしまい、化けるのを忘れて狸のまんま池に飛び込んでしまっていた。

お口直し、古典的小咄より 狸が鯉に化けたのを人間が見つけて追いかけたら、たきぎを積み重ねた上に逃げていった。それを見て「これが本当の鯉のたきぎのぼり・・・・」

おあとがよろしいようで・・・・さようなら

7月22日 くもりいちじあめ
今日も「梅雨空」である。・・・・・以上報告終わり

で、終わるわけにもいかないのが日記の困ったところだ。だいだい飼い犬の日常に毎日毎日目立った事柄など無いから、昨日に同じと書いても、それで事足りてしまう。毎朝6時半頃に、御主人が散歩に連れ出しに来ないか「そわそわ」とし出して、夕方は実益も兼ねてストレス発散のために時報に合わせて遠吠えをする。そして散歩に行き、御飯をもらって終わりなのである。いつもいっているように犬は日常の変化を嫌うマニュアル動物なのである。(「犬の正しい日常の過ごし方」というマニュアル本があるとするならだけど)だから、毎日を規則正しく生活してしまう。猫さんのように自由気ままな生活は出来ないのだ。我が身の事ながら因果な習性を持ったものである。
などと、おしゃべりをしていたら、おやっ?夕方の時報が鳴ったぞ!そろそろ散歩の時間だ。遠吠えをして御主人を呼び出してやるとするか・・・・

7月21日 くもりのちあめ
又「梅雨空」に戻ってしまった。僕は仕方なく、トラクターの下に潜り込む。御主人は田んぼの草刈り・・・・ハァァァ〜と、ため息ばかりをついていてもしょうがない。
所で、僕は、一日2回は「わんわんわん」と必ず吠えなければならない。近頃、大学に通う学生数人が家の前を通学するからだ。行きと帰りには必ず通るから吠えなければいけない。これがなかなか大変なのだ。決まった仕事を持つというのはつらいものである。しかし、吠えるのは犬の習性なので吠えなければならない。したくない事、嫌な事でも、習性には逆らえない。身体が勝手に反応してしまうのだからしょうがない。でも、まぁ毎日なれてしまえば、苦にもならなくなるだろう・・・・僕は犬だから、決まり切った事に対してはどうって事もなくなるのだ。おて、おすわり、まて、なんて言う命令も最初は嫌だったけれど、毎日くり返されると苦にもならなくなった。それと同じ事だよね。でも・・・・本音を言うと命令は、心の奥の奥底の隅っこで、少し嫌だなって言う意識が残っているような気がするのだ・・・

7月20日 はれ
今日は昼前からすっきりと晴れた。透き通るような青空とまでは言えないけれど、入道雲のような雲があちこちにわき上がっている。ようやく御主人の好きな風景になったわけなのである。夕方散歩の時の御主人は「でじかめ」という亀を連れてきて、雲の写真を撮らせているようだ。おかげで僕の散歩は、時々「待て」の命令がかかる。写真を撮るために立ち止まらなければいけないのだ。でも、久しぶりに気持ちの良いすっきりとした空の下での散歩だったので少しぐらいなら許してあげよう!!お日様も少し雲に包まれながら新山様というお山に沈んでいく。明日も晴れるのかなぁ〜・・・・

7月19日くもり、はれまあり
御主人は冬の生まれなのに寒いのが嫌いである。青い空に入道雲がもくもくとあがっていき、その下で蝉が鳴いている風景をいつも心の原風景と思っているようである。僕の誕生日は7月28日なので、夏生まれと言う事になる。だから夏が嫌いである。もっとも、犬にとって夏はいとわしいものなのではあるけれど、日本の夏のように湿気のある夏は苦手である。出来れば、こざっぱりと夏が過ごせる地中海、できればイタリアあたりで過ごしたい今日この頃の僕なのであった。しかし、今年の梅雨っていったい・・・・

7月18日 くもりときどきうすびあり
今日は、すっきりしない天気だったけれど、午後からはお日様も数日ぶりに顔を出した。今日も相変わらず「何もなく、たまらなく退屈で平和な一日」だった。と日記に書いて閉じたいところだけれど、
夕方、少し変わった事があった。僕は夕方散歩に出かけようと、御主人の乗った自転車を引っ張り、勢い勇んで出かけたのだけれど、家を出たところでお客さんがやってきた。御主人はお客さんの相手をして、僕は水道の蛇口に縛り付けられた。早くお散歩に行きたかったのだけれど、こう言う時は「イライラ」しても無駄なので、落ち着いていた。お客さんは女の人だったので、僕もみっともない格好ではいられない。だから、「正しい飼い犬の伏せの形」で、フセをしてじっと待っていた。約30分間、水道の蛇口の前で待っていた。お客さんが帰り、僕達は再び散歩に出かけた。しかし、その散歩の時間はわずか10分だった。お客さんの対応に時間を取ったので、僕の散歩時間を削られてしまったのだ。良いんだ。僕は御主人に奉公している身分だ。御主人のする事、言う事は絶対だからね。だけど・・・・・?。そこで三句

梅雨寒や 田を低く飛ぶ ツバメかな・・・・禄食
うらやまし 青田を低く 飛ぶツバメ・・・・禄食
つばくろに なりたく思う 梅雨さなか・・・禄食

空を自由に飛べたら、毎日変わった風景が見られるのかなぁ・・?

7月17日 くもりいちじあめ
今日も湿気の多い一日だった。
ところで、僕は「梅雨ぜんせん?」と、言うものを改めて尊敬し直した。ヤツは現在、一定地域に居座って、テコでも動かない気配だ。その点、僕は「だだ」をこねて「テコでもここを動かないぞ!!」と頑張ってみたところで、早くて数十秒、いくら頑張っても5分と踏ん張る事は出来ない・・・・それなのに「梅雨ぜんせん」は1ヵ月ぐらいも日本の上に居座っているのだから驚きである。僕は会ってしみじみと語り合いたいよ。どうすれば、そんなに「だだ」をこねられるのか「梅雨ぜんせん」に聞いてみたい。すると、この前、ひょんな事から一緒になって、しみじみと語り合ったところによると、「梅雨前線」の言う事には「俺たちは太平洋高気圧の勢力で、日本を北へ行ったり南へ行ったりするフーテンの寅さんみたいなものなんだ。」という。僕はびっくりして、「するってぇと、なにかい?、梅雨と太平洋高気圧てぇのは、飼い犬と飼い主のよう関係なのかい?」と、聞いた。つまり、飼い主が飼い犬に弱気な態度を取ると、飼い犬は増長してわがままな態度になる。逆に飼い犬を押さえつければ、飼い犬はおとなしくなる。しかし飼い犬の場合は押さえつけすぎると反抗的になってしまうから、これもやっかいである。すると、「梅雨ぜんせん」の言う事には、「太平洋高気圧が俺たちを押し上げようと勢力を拡大してくると俺たちも反抗してぶつかり合い、こっちも勢力を拡大して大雨を降らしてしまうんだ。じわじわと、ゆっくりと押し上げられるのが一番恐いんだ。終いには俺たちは消滅してしまうからね」だって・・・・!!やっぱり、飼い犬と飼い主の関係に似ている。だけど、飼い犬は、いくら飼い主に攻められたからといって反抗はするけれど、消滅する事はない。はぁぁ〜飼い犬で良かったよぅぅぅ!!

7月16日 くもり
今日も湿気の多い一日だった。毛皮がベトベト、湿気がすごいので今に身体からキノコでも生えてくるのではないかと思っている。僕は毒にも薬にもならない性格の犬なので、僕から生えてくるキノコは、たぶん食べても大丈夫なのではないかと思う。そうなったら、御主人にそのキノコとおやつと物々交換して、たんまりともうける事が出来る。ブランド名は「天然記念物秋田犬産 むつみだけ」とでも名前を付けよう。「むつみ」というのは秋田犬保存協会登録名「睦号」という僕の正式名称から付けた名前だよ。おみそ汁、炒め物、煮物、等々、どんな料理にでも合う事請け合いだよ。ただし、僕と同じ性質を持っているから注意しなければいけない。
1.強火で長く煮すぎない事
(強く叱りつけると反抗をする)
2.初めての時は良く舌になじませてから食べる
僕は人見知りをするので初めはなじんでもらいたい
3.食べ過ぎない事
僕は食い意地が張っているくせに食べ過ぎるとお腹の調子が悪くな
る。
4.その他様々あるけれど、食べ方の注意は僕自身の行動や性質を見て欲しい。僕自身が世界初「歩く、あるいは動く説明書」なのだ。

7月15日 くもりときどきあめ
犬は命令には弱い。猫さんは命令には強い。命令とは飼い主から発せられる理不尽な強要である。犬の場合は、この命令を聞くと服従せずにはいられない。反対に、猫さんは命令を聞いてもなんのその「我が道」を貫く態度を取る。いつも言っているけれど犬は几帳面なので「命令」を聞かなければいけないような気持ちになってしまい、命令を実行しないと落ち着きをなくし緊張をして大あくびを連発する事になる。その点、猫さんというのは気肝っ玉の太い動物である。命令を聞けばあくびはする。けれど、極度に緊張してのあくびでは決してない・・・・「何を言ってるんだ?」と、人を馬鹿にしたようなあくびなのである。猫好きの人もいると思うので誤解しないでもらいたいのだけれど、犬の僕から猫さんを見ている限り、そんな風に見えるって事を言いたいのだ。このように飼い猫、飼い犬と言う同じような境遇でありながら、飼い主に対する態度は、まるっきり正反対なのだ。どうやら、「同病、相哀れむ」のたとえもあるけれど、「犬猫(けんびょう)、相哀れむ」と、言うわけにはいかないようである。

7月14日 くもり
雨は上がった。だけど、霧がかかっているので辺り一面牛乳を流し込んだような風景になっている。昨日の雨の湿気が残っていて、身体がベトベトしてしまいそうだ。気温は低いけれど、梅雨の向こう先に夏が見える今頃の季節である。さすがに散歩へ出かけると、舌を「ハァハァハァ」と出して、体温調節をせざるを得ない。草木だとお日様の光を浴びないと「光合成」という現象で生きてはいけなくなるようだけれど、動物は少しぐらい日の光に当たらなくても平気である。だけど・・・・しばらくお日様を見ないと恋しくなるのよね。人間も動物も、特に飼い犬はわがまま勝手なものである。(自分を差し置いてだけれどね。)

7月13日 ふうう
今日は、朝からものすごい風と雨だ。幸いな事に南西からの風雨だったので、僕が寝ころんでいるコンクリートの床には吹き込んでこない。だけど、屋根にたたきつけるように降ってくる雨音がうるさい。今日の御主人は「稲作研究会」とやらでの、このものすごい風雨が降りしきる田んぼの中で仲間と勉強会らしい。ご苦労な事である。僕も、おいしい米を作ってもらいたいから少しは御主人の身体を心配しなければいけないのだけれど、このひんやりと湿った空気が馬鹿に気持ちよくて、上のまぶたと下のまぶたぐが、すぐに仲良くなってしまうから困ってしまう。自然の摂理に逆らう事はストレスの原因になりやすいし、犬は性質上ストレスを発散させるすべを心得ているので、逆らわない事にした。そして、トラクターの下で熟睡してしまった僕なのであった。

7月12日 くもりのちきりさめ
どうも今年の「梅雨」は性格がこざっぱりとして、裏表がないらしい。それに雨が降る前は必ず予告をする。気温が馬鹿に高くなるからである。こんな梅雨だったらわかりやすくて付き合うにしても楽である。その年によっては、僕のように優柔不断な梅雨もあるから梅雨も奥が深いものなのだと思う。
さて、今日は梅雨空が戻ってきて、風が強い。でも気温はそんなに高くはないので過ごしやすい。夕方からは霧雨が降り始めたけれど、なんとか散歩にいってきた。またまた田んぼのカエルどもがうれしそうに鳴き声を上げるので、今夜当たりはけっこうな雨が降るのだろう。今夜は満月だというので、月見をしながら外に寝ころんでみたいと思っていたのだが、それも叶わぬ夢となってしまった。そこで一句を豪快に詠んでみた。食い意地の張っている僕が唯一、食欲が無くなる夏ならではの一句である。

「満月を 餅に見立てて 食らう夏・・・・禄食」

7月11日 はれのちくもってあめ
ひぇぇぇ〜っ!!今日は最高気温が31度を超えた。もう盛夏、「暑中お見舞い申し上げます」の世界なのである。気温30度というのは、犬が煮え立つ温度であると言われている。いわば、お湯が沸騰して枝豆がゆであがって食べられるような温度である。すると、犬が煮え上がるとはどういう状態なのかというと、家の縁の下に入り込める家の飼い犬は、そこに潜り込む。入り口が多少小さくても、必死になって潜り込む。「出られなくなったらどうしよう」などと言う事はいっさい考えない。ただひたすら、涼しい縁の下を求めて潜り込むのである。我が家の先代秋田犬である「まるさん」がこれをやった。1〜2日行方不明になったので、あちこち探したら縁の下でぐったりしていた。と言う事件である。出来れば僕も縁の下に潜り込みたいものであるのだ、まるさんの頃は、前のお家だったので、入り口は小さくても秋田犬は入り込めたらしい。ところが、今の家は縁の下へは猫さんでもなければ入れないような小ささである。おまけに網戸のようなものがはまっているので、ネズミでもどうかな?と首をかしげてしまう。どどのつまり、僕は涼しさを求めて、紐いっぱいを延ばし切り、小屋の奥のトラクターの下に潜り込むしかないのであった。そして、今日の僕はトラクターの下でゆで上がってしまっていたのであった。そのゆであがってしまった状態というのは・・・・?
1.床にはいつくばり、犬の身体の表面積を出来るだけ、ひんやり  とした床に つける。
2.呼びかけられても決して振り向きもしなければ反応もしない。
3.ただただ、じっと暑さの中で堪え忍ぶ(いわば葉隠の精神)
4.ただ、ブラッシング、御飯、おやつ、散歩に関しては、即座に  反応してしまう を例外とする。

7月10日 くもり
僕は、いつも夕方の5時を過ぎると、急に「そわそわ」と、し始める。市役所の時報替わりのオルゴールの音があたりに高らかに鳴り響き、僕はそれに合われて、自分でもほれぼれするようなテノールの良い声で遠吠えをする。遠吠えをしてすっきりした後は、楽しい散歩が待っている事になる。よほどの事情でもない限り散歩には行ける事になっている。だから、「そわそわ」し始めるのだ。ところが、近くに御主人が居るにもかかわらず、僕をじらす。大概はお仕事をしているので、僕の方が一方的にじれているだけなのだけれど、犬はその性質上、良くない事は他人、または自分以外の動物のせいだと思いこんでしまう。だから、御主人が散歩へ行くのをわざとじらしているように感じてしまうのだ。だから、じれて、じれて、じれきったところへ「散歩に行くぞ」と、声をかけられると、天にも昇るようなうれしさで、そこいら中を駆け回り、容易に散歩紐を付けさせない僕なのである。「はやく、こっちへ来い!!」と叱られるのだけれど、この癖ばかりは直りそうにない。御主人にとっては「ヤレヤレ・・・・」なのであった。

7月9日 はれのちくもり
今日は日曜日だったので、朝散歩の時に「だだ」をこねた。大豆畑の所で「帰るぞ」と言われたので、もっと歩きたい僕は反発をして足を大地にしっかりと踏ん張って「イヤイヤ」をした。日曜日なので、今日ぐらいは僕の「だだ」を許してくれるのかと思ったのだけれど、甘かった・・・・御主人は、僕の散歩を義務としか考えていないらしく、早く僕の散歩を終えて、自分が朝ご飯を食べたいらしい。僕も散歩の後はおやつを楽しみにしているけれど、楽しみは何も食べる事ばかりではない。散歩も僕にとっては大切な楽しみの一つだ。結局は、いつもの通りしばらくにらみあって、僕の方が負けてしまった。毎度の事ながら、「この次は御主人が僕の言う事を聞くまで動かない事にしよう」と心に決めるのだけれど、いつも負けてしまう・・・・・そのたびに、僕は尻尾を下げながら家路をたどるのであった。それに、今日は「だだ」をこねた罰として「シャンプー」をされてしまった。この一騒動もいつも通りだったので報告だけにしておくよ。そして、今日の僕は「赤犬」または『垢犬」から「白犬」になった。・・・・・人間により近くなったと言える。

注・・・落語「元犬」の「シロ」の事と自分(むつ犬)を重ね合わせて妄想をふくらませているようである。

7月8日 はれ
今日は、すっきりと晴れた。人間の時間で言えば一週間ぶりにすっきりと晴れた。湿気が無くなったのはうれしいけれど、暑さが戻ってきた。26度ぐらいの気温だけれど、犬にとってはつらい気温である。御主人も午前中は草刈りをしてきたらしいけれど、汗で全身水を浴びたような格好で帰ってきた。今日は人間にとっても暑いらしい。午前中は御主人がトラックを持って行ってしまったので、その下に潜り込む事が出来なかった。だから作業小屋の奥でぐったりと横たわっていた。午後からはトラックが戻ってきたので潜り込んだのだけれど、午前中に御主人が使ったのでエンジンの熱がまだ残っている。だけど、暑さは感ずるものの、トラックの下が何となく涼しいような気がするのだ。ひょっとすると、余熱が残っているトラックの下より、外の方が涼しいのかも知れないのだけれど、思いこみというものは恐ろしいもので、「心頭滅却すれば火も又涼し」と、いうぐあいになるらしい・・・・

7月7日 くもり
今日は久しぶりに御主人と散歩に行った。朝散歩の時は、いつものようにおやつをもらったし、夕方散歩は自転車散歩だった。
この所、夜は御主人の居ない日が続いたので、上のお兄さんが僕の世話をしてくれていたんだ。そのおかげで良い思いもしたけれどね。
でも、いつものスケジュールの方が落ち着く。意外な事に犬はその性質上、几帳面なので、散歩の時間が違ったり御飯の時間が違ったりすると、ストレスがたまってしまうのだ。と、言うわけで、今日は普段通りのスケジュールだったので安心したよ。今日はぐっすり眠れそうだ。

7月6日 あめ
今日は一日中雨降りである。御主人は「こんな日は涼しくて良い」と言って田んぼへ出かけていってしまった。お昼前にかえってきた御主人は、何処かのどぶ川にでも落ちたような格好で帰ってきた。全身がびっしょりと濡れ、下半身は泥だらけである。暗いところで見たら化け物と見間違うほどである。犬の僕は雨降りなので、犬小屋の中に入ったりしてのんびりしていたんだ。どうせ、朝散歩にも連れて行ってもらえなかったから、夕方散歩にも行けないだろうと思って、ふて寝をしていたんだ。雨は止む事を知らずに強くなったり弱くなったりと降り続けている。夕方かは又御主人がお出かけするので、僕は御飯をもらって一人わびしく食べなければいけない。


7月5日 くもり、かぜつよし
今日も、午後から御主人はお出かけである。午前中は泥んこになってまじめにお仕事をしていたようだけれど、午後からは、僕を、ひとなでする事もなく、一言のことわりもなく、お出かけしてしまった。夕方になっても帰ってこないので、僕は上のお兄さんと散歩に出かけたんだよ。「おじいちゃんの所へ行って、おいしいものをたくさんもらうんだもんね!!」、いつもの御飯なんか見たくもないほどおいしいものをもらうんだ。それに、お兄さんと散歩に出かけると、長く散歩が楽しめてうれしい。御主人と散歩をすると、義務的で、早く散歩を終わらせようとする意図が見え見えなので、僕としても気を遣ってしまい、御主人の行動というか、思惑に合わせてしまう。その点、今日の散歩は気楽に楽しめてうれしい!!

7月4日 あめのちくもり
今日の御主人は、午後からきれいな服を着てお出かけである。しかし、僕はいつも思うのだけれど、人間の男はきれいな服を着ると、大概、犬の首輪のようなものを首に絞める。、そして首から胸、お腹にかけて布をぶら下げる。それが不思議でしょうがない。人間の世界では、これを「ネクタイ」と呼んでいるそうだけれど、あれを犬から見たら、まるで「首輪」である。犬の首輪なら、緩いぐらいの余裕があるのだけれど、人間の首輪は首が苦しいほど締め付けているようだ。人間という動物は、社会にも家庭にも、自分自身にも身動きが取れないほどに縛り付けられているのだろう。その象徴として、「ネクタイ」というもので自分の首を締め付けているのだと思う。人間達よ!!犬が附けている首輪は人間達にがんじがらめに縛り付けられている飼い犬の象徴なのだ!!思い知れ!!・・・・って、何を・・・?

7月3日 あめ・・・
仕事というものはがむしゃらにやれば良いというものではない!!僕のようにお昼寝をしながら「ここぞ!!」という時に「わんわんわん」と吠え立てるのが理想なのだ。しかるに、いくら今が梅雨の季節だからと言って、「梅雨」は、がむしゃらに雨を降らせればいいといったものではない。物事には「ほど」というものが必要なのだ。たまには雨が欲しい時はある。けれど、こう毎日じぁ、犬も腐ってしまいそうだ。喜ぶのは田んぼのカエルばかりである。雨が降り始めると「ゲコゲコゲコ・・・」とうるさい!!。今はオタマジャクシが田んぼの中でたくさん泳いでいるけれど、こいつらに手や足が生えて来て、尻尾が無くなったら、今以上にうるさくなる事だろう。僕はそれを思うと、今から憂鬱な気分になる。とにかく、「梅雨」は僕の仕事ぶりを見習わなければいけないと思う。

飼い主(注)・・・あまりの湿気に訳のわからない理屈を怒鳴り散らしてストレスを発散させているようだ

7月2日 あめ
はぁぁぁ〜、身体がじめじめする〜ぅぅぅ。御主人が雨降りでも散歩に連れて行くものだから湿気が毛皮の奥まで入り込んで気持ちが悪い。シャンプーもしてもらえなかったし、もっとも雨降りなので、こんな天気にシャンプーしたら、ますます身体がおかしくなってしまう。乾いた犬小屋の中で寝れば、いくらか良いのかも知れないけれど、暑いものだからコンクリートの床の上とか、外の湿ったアスファルトの上などがひんやりして気持ちが良い。だから悪循環になってしまうのだ。暑いから湿ったひんやりしたところが良い。けれど、ひんやりしたところは湿っている。はぁぁぁ〜、これじぁ、いくらたっても僕の毛皮のつやは出てこないよなぁ〜。毛皮のつやが良くないと秋田犬の品評会にも出る事が出来ない・・・このままだと、僕は一生無名のままのただの「むつ犬」だ。もっとも、品評会なんかに出る気はないけれどね。ただ、言ってみただけだよ!!

7月1日 あめがふったりやんだり
「むつ犬のおまぬけ日記」も、いよいよ5年目に入り、僕も子犬の頃から比べれば、だいぶ賢くなった。僕も、人間の年齢で言ったら40歳ぐらい・・・かな?。働き盛りと言った年齢だ。毎日番犬のお仕事が忙しい。もっとも過激な労働というわけではないので、どうにか勤まっている。いまだに独身の僕には養う家族もいないので、気楽と言えば気楽なのだが、少し寂しい。と、うつらうつらと番犬のお仕事の合間にする居眠りから目覚めた、かすかな時間の中で、ついそんな事を思ってしまう。それもこれも、うっとおしい梅雨のおかげである。辺り一面水墨画の世界のように薄墨を流し込んだような風景は、幻想と現実、それに妄想が渾然一体となった世界だ。飼い犬の精神状態も、あやかしの世界に引きずり込まれてしまいそうになるのも不思議な事ではない。さしずめ、今の僕が置かれている立場というのか精神的な足場というのは「雨月物語」の世界と何ら変わる事がないのではないのだろうか・・・・今日は、なんともはや、不思議な物語のようなつぶやきのような、事を書き連ねてしまったよ。