平成19年1月
1月31日 あめ〜
今日は一転して雨降りになった。雪はまだ降らないようだけれど、今晩にかけて「降るぞ!!」と、天気予報で言っていたと御主人が言っていた。
ところで、今日の僕は犬小屋の中に敷いてある「断熱マット」や毛布などをめちゃくちゃにして、外に放り出したので、罰として「夕方散歩は無し!!」と言う事になってしまった。ヤレヤレ・・・である。もっとも、僕のせいでこうなったのだけれど、ぜんぜん反省はしていない。御先祖から受け継いだ「狩猟本能」が、こう言った事をやらせたのだ。文句を言うなら御先祖にいってもらいたいものである。その「狩猟本能」とは何かというと、骨である・・・・売れている芸人の如く、たびたびこの日記に登場する物体である。この骨は、昨日の日本晴の天気の中で土に埋めて置いた物を掘り出したものだ。それを今日は雨降りなので犬小屋の中へ持ち込んで、骨を獲物に見立てて「狩りのお稽古」をしたってわけなんだ。獲物に襲いかかり、爪をがりがりと立て、それをくわえて、床に何度も打ち付けるのだ。こうして獲物に引導を渡して、獲物を得た満足感にひたる。これが「狩り」の一連の流れだ。これを犬小屋の中でやったものだから、勢いが余って、中のものがみんな外へ放り出されてしまったというわけなんだ。と、いうわけで先にいった通り、夕方散歩へは連れて行ってもらえなかったというわけだ・・・・
1月30日 はれ
何でも東京というところでは梅の花が咲いたという。「湯島天神」の梅の花の写真が新聞に載っていたと御主人はいう。そして、いきなりこんな唄を歌い始めた。「ゆ〜しま、とおれば〜、おもいだす〜、おつた、ちからのこころいき〜」と・・・・どうやら、小説や歌謡曲で有名なところらしい。犬にはなんの事やら、さっぱりわからないのだけれど、御主人がそうやって歌うからには本当の事なのだろう。僕達の住んでいるところも、東京と変わらず良い天気で、今にも梅の花でも咲きそうである。水仙の茎はいつもの年にも増して伸びているし、椿のつぼみもふくらんでいる。我が家の小さなビニールハウスの中では春菊とほうれん草が淡い緑色をしてゆっくりと育っている。「春だなぁ〜」と、のほほんとしながら地面の上に寝ころんでいる僕・・・・もうあまり、今は冬だとか、暖冬だ、異常気象だ。などとは考えない事にしようと思う。あるがままの事実を受け入れる事にしよう。犬は、何時も言っているように御先祖だったオオカミさんの時代から自然の中に包まれて生き延びてきたんだからね。
1月29日 はれ
今日はあんまり天気が良かったので、夕方に「遠吠え」をした。もちろん、御主人に対して「早く散歩に連れて行け!!」という呼び出しでもあるのだけれど、それよりは「今日は一日中、お日様の下で日向ぼっこが出来てうれしかったよ。ありがとう」と、いう意味合いの方が強い。もっとも、心配しながらの日向ぼっこなんだけれどね。何時も言っているように、暖冬の後は冷夏という図式が決まっているようなものだ。だから、夏が寒いと美味しい物も実らなくなる。犬にとって夏は涼しい方がよいのだけれど、食べ物が出来なければ犬は困る。人間も困る。えっ?、なぜこういった図式が成り立つのが犬にはわかるのだっていう事を僕に聞くの?。言うまでもない事だけれど、僕の中に、と言うより犬の中には遠い昔、野山の中で自然を相手に暮らしていた御先祖だったオオカミさんのDNAが深く深く埋め込まれていて、本能的に、そういう事を知っているんだよ。まぁ、当てずっぽうって事も少しはあるんだけれどね・・・・
1月28日 はれ
・・・・・・時々、ふっと・・・
だだをこねてみたくなる事がある・・・・
別に理由はない・・・・
ただ、雪交じりの冷たい北風が、急にぴたりと止む事がある。
そんな様にだだをこねてみたくなる・・・・
初夏の暖かい風の中に、ふとわずかに交わった
冷たい空気のように、だだをこねてみたくなる。
だだをこねて、呆然と大地に立ちつくし
しばし我を忘れる。
身体は悠久の大地と一体となり、
いままで、自分の命まで無限の命が生まれ消えていった事を
頭ではなく身体で感じている。
そして、気が付けば頬の痛さで我に返り
飼い主につねられている我に気が付く
果てしない命と、広大なる大地から引き離されて
我は、ただの飼い犬になってしまっていた。
むつ犬純情詩集 第一巻の冒頭部分より・・・
1月27日 くもり
また、足に怪我をしてしまったよ。いつものように後足である。昨日の事だ・・・・と、思う。怪我をした僕自身がどうして怪我をしたのか良くわからない。気が付いたらいつの間にか後足が痛くなっていて、散歩の時に足を少し引きずるようにして歩かなければならなくなっていた。足を怪我すると散歩が短くなって困る。「足が痛くてつらいだろうから、少しだけの散歩にしよう」などと御主人は言う。僕としては、少しぐらい痛くても、いつものような距離を歩きたいと思っているのに・・・・そういえば、子犬の頃に足首をガラスの破片で切った事がある。病院に一泊して麻酔手術を受けたほどの大けがだったのだけれど、血をだらだらと流しながら飛び跳ねていた・・・様な気がする。どうしてそうなのか・・と長い間、疑問に思っていたのだけれど、御主人の買ってきた「犬は平気でうそをつく?」という本の中にその答えがあった。犬は痛みを表に表さないような本能的行動をするというのだ。つまり痛みを我慢するのである。もっとも、犬の痛みは人間の痛みよりは数倍も鈍いと言う。なぜ、そうなったのかというと、御先祖だったオオカミの時代から犬は基本的に集団で行動する動物である。その中で傷ついた犬が痛がって弱みを見せると、群れの仲の優位性が下がってしまう。だから痛みを我慢して群れの仲で自分の地位を保とうとするのである。その本能が人間の飼い犬になった今でもDNAの中に残っていて、そういった行動に出るものと思われる。
と、言った推論は御主人が、あの本を斜め読みした浅い知識の中で考えた事なので、あまり当てにしないで欲しい。僕だって、「へえぇぇぇ〜、そうなの?」って言って聞き流したぐらいなんだから。
1月26日 ゆきのちくもり
この前、「犬も平気でうそをつく?」と、言う本を御主人が買ってきたというお話をしたよね。?マークが付いているので犬にとっては少し怪しげな本に思える。この本の内容に関して早く御主人に反論を試みたくてうずうずしていたのだけれど、どうやら、この本は犬に好意的な書き方がされているようだ。そして、なんと!その中に飼い犬にとっては耳寄りな情報が載っているらしい。その本を買ってきて、なかなか読もうとしない御主人にいらだった僕は、密かに「犬新聞社」の書籍検索係から、その本の内容を大まかに教えてもらったんだ。この「犬新聞社書籍部情報課書籍検索係」という部署は犬新聞社発行の書籍に限らず、人間世界で発行された物も出来る限り情報収集して、犬たちに提供するサービス係である。そこの情報に寄れば、「犬も平気でうそをつく?」と言う本の冒頭の部分に「御主人を散歩に連れ出す方法」というのが載っている。これは何よりの情報である。しかし、人間の世界では「チョサクケン」とか言うのがうるさいらしいので、これ以上お話しできないのが残念だけれど、この本を元に散歩へ行くのを面倒がる御主人を連れ出す事が出来るかも知れない。だが、僕はこれを聞いた時、逆にこの本を御主人に読ませてはいけないような気がしてきた。この本を読んで、犬の心理を覚え込んで対抗措置でも考え出されたら飼い犬にとっては大迷惑な事になる。だから、この本を御主人に読ませないようにするために僕としては、夜中に御主人の部屋に忍び込んで、この本をくわえだそうと考えているのだけれど、僕は階段を上るのが恐いから、二階にある御主人の書斎には行けそうもないのだ・・・・ちなみに、御主人の書斎の広さは僕の犬小屋の2倍半の広さしかない・・・・下のお兄さんからは、我が家の第2の犬小屋と呼ばれているらしい・・・・
1月25日 くもりいちじゆき
この頃の僕は、夕食後に外へ出て「伏せ」の恰好で座っている事が多い。雪が無くて地面が暖かいせいもあるけれど、それだけではないような気がする。犬の頭脳では、これ以上論理的に自己分析をする事は出来ないけれど、もしかすると、「誰かを待っているのではないだろうか」と思ったりもする。たとえば朝に出かけていった家族達や、何処かへ出かけていってしまった御主人の帰りを、僕はこうしてじっと玄関の方を見つめながら待っているのかも知れない。あるいは、家の前を通る不審者(おおよそは通りすがりの人だけど)や見慣れない自動車を見張っているのかも知れない。でも、それは、みんな犬の本能がさせる仕業なのだ。犬自身は何も考えていない。今年の冬は暖かいので犬の本能もとぎすまされて、知らず知らずのうちに物事に敏感に反応しているのかも知れない・・・・それとも、中高年にさしかかった僕は、人恋しさが募るのかも知れない・・・・
1月24日 くもり
雪が降らないと、犬にとっては都合の良い事がある。この前の日記では雪が降らないと、アスファルトの地面の上をはしゃぎ廻って駆け回った時、足の裏に怪我をしやすいと言ったけれど、そんなデメリットばかりではない。それは何かというと、散歩に出かけた時は、あちらこちらに残されている他の犬のオシッコの匂いや、その他の様々な匂いをかぐのが犬にとって唯一の楽しみだ。ところが、冬になって雪が降ってしまうと、その匂いが雪の中に埋もれてしまって、なかなか、かぎ分ける事が出来ない事がある。特に冷え込んだ朝などは、かすかな匂いしかかぎ分ける事が出来ないので往生する事がある。よそのお年寄りの犬のお話だと、逆にそんなかすかな匂いをかいで、あれこれ推理するのも楽しみの一つだ、などと言う・・・しかし、僕は御主人に似て、せっかちなので、かいだ匂いはすぐさま判別したい。でも、雪が降り積もっているとなかなかそういうわけにも行かないんだよね。ところが、今年は雪がぜんぜん無いから、散歩へ行く時も楽しみがあって良い。御主人によると、こんな陽気はしばらく続きそうだって言う話だ。でも、あまり犬の楽しみばかりを優先したお天気も困りものだから、そろそろ降ったら?雪さん・・・・
ところで「犬は平気でうそをつく」という本を買った御主人ではあったのだけれど、まだ読んでいないというので、僕が御主人に対する反論は、そのうちにね。反論というのは、相手の論理の矛盾を鋭く追求する物なのである。本を読んでいない御主人は、犬に対する論理も理屈もまだ頭の中に入っていないだろうからね。今、御主人の頭の中にあるのは、犬に対する思いこみと偏見だけだと思うよ。
1月23日 あめゆき・・・
さて、昨日の日記でお話しした「御主人がガラクタの中から見つけた物とは・・・・なんと!!「犬笛」だった。題して、「犬笛を見つけたお話」だよ。
この犬笛は汚いスチールロッカーの中に置いてある木箱の中にあった。ところで、「犬笛」を知らない人のために説明しよう。それは現在もペットショップで千円前後で売られている。その名の通り、犬を様々な笛の音で行動させたり呼び寄せたりするものだ。音域は調整がきくようになっていて、犬にしか聞こえない音も出せる。ところが、その音に設定してしまうと、使う人間が「一体音が出ているのかどうか?」とわからなくなってしまうので、人間も犬も聞こえるぐらいの音域に設定する事が大事である。実際に御主人が様々な音域で吹いてみたけれど、僕は今まで聞いた事がない音なので首をしきりにかしげながら不思議に思った。けれど、この笛で今更僕を躾直そうなどと御主人が思っているとしたら、とんでもない思い違いというものだ。今年7才になるというこの僕に、今更しつけなどとは「チャンチャラおかしい!!」というものである。
実は、この「犬笛」は、我が家の先代秋田犬である「まるさん」の時代に買ったものである。少なくとも、今から8年前、あるいはそれ以前かも知れない。その頃の「まるさん」はと言えば、僕と同じ年ぐらいか、もっといっていたのかもしれない。なんのために買ったのか御主人は黙して語らない。しかし、だいたいの想像は付く・・・・「まるさん」を躾ようと買ったものなのだろう。だからぁ〜、そんな物を買ったって、使おうたって、無駄なんだよぉぉぉ〜
ところで、御主人が「犬は平気で嘘を付く」という本を買ってきた・・・これに対して犬の側から反論を試みてみたい。くわしくは、いずれまた!!
1月22日 あめがふったりやんだり
御主人が作業小屋の中をなにやら探している。「がさごそ・・・」とうるさいので「何をしているのだ」と聞いたら、水道のホースを止めるバンドを捜しているのだという。ご承知のように御主人は物を捨てる事が出来ない性質で、バンド、ボルト、ねじ、釘、はてはなにやらわからないゴミのような物まで事細かに保存しておく。それが積もり積もって、自分でも何処に何を置いたのかわからなくなっている始末である。今日もそのようにあっちこっちホースバンドを捜していたのだった。ホースバンドば結局見つからなかった・・・・「御主人の捜し物法則」によれば「今、必要としている物は決して見つからない」という方式が成り立つらしいのだ。そして「必要としない時、ああ、ここにあったのかと発見される物なのである」という図式が成り立つという・・・・犬には馬鹿馬鹿しい理論ではあるけれど、何となく肯きたくなるようなリアリティを含んでいる。
長々とお話ししたので、「それがどうしたのか?」と言われそうだけれど、最近、長い話になると疲れてしまうので、また明日のお話にするよ・・・・
1月21日 はれ
朝散歩へ一緒に行ったっきり、御主人は何処かへ出かけてしまった。いや、何処かへと言うのは正確な言い方ではない。僕達の住んでいるところでは今日、全市を上げてのお祭りが開かれる。小正月行事で、その名も「裸参り」と言う。子供も大人も下帯姿の男たちが山の頂上にある神社めがけて、かなりの距離を一気に駆け上る。でも、疲れるので途中で休んだりする。しかし、法螺貝の音や勇壮なかけ声が勇ましい。
ところが、今年は古老の話によると30年ぶりで雪が全くない「裸参り」となったらしい。しかもお日様の光が降り注いでいるので、例年と感じが違うのか、少し「きりり」とした緊張感がない様な感じがする。また、それに合わせて、伝統的な「本莊凧」を大空に舞わせる大会。酒蔵の開放等々、イベント盛りだくさんのお祭りである。しかし、御主人が裸になって山へ駆け上がるわけではない。交通規制の警備で出かけていったというわけなんだ。天気が良くて活動しやすかったよ。などと、色々な感想を僕に話してくれたんだ。その後、新年会だと言って出かけていって真っ暗になっても帰ってこなかったんだけれどね。
ところで、僕はと言えば一日中お日様の光を浴びて日向ぼっこをしていたというわけなんだよ。その他にはなんにも無し、きわめて平和で退屈な一日だったよ。
1月20日 はれ
今日は春だった・・・・一日中、外に寝ころんでいた。さすがにお腹を出して寝ていられるほどの暖かさではなかったんだ。
ところで、「優柔不断な犬」として、この日記にもたびたび取り上げられた話題の一つだったのだけれど、おかげで知名度が上がってきたような・・・気がする?。しかし、優柔不断と言うけれど、犬が様々な事柄に対して逡巡するという事は頭を使っているという事なのだ。決して、犬は本能のままに行動する動物ではないという証明になる。犬の脳みそと人間の脳みその比較率はかわからないけれど、格段に人間の脳の方が体積も重さもヒダヒダも多いに決まっている。けれど少ない脳を持っている犬でも、こうして考えるのだ。だから、だから・・・・つまり、なんだ、その・・・あれっ?何を言いたいのかわからなくなってしまったよ。つまりは、犬の脳は理屈が複雑になると、しどろもどろになってしまうので所詮、その程度だという事を言いたいわけなんだ・・・
1月19日 くもり、ちらちらゆき
我が家の先代秋田犬である「まるさん」は散歩に連れて行ってもらう時の喜びを表すのには「ぴょん、ぴょん」と、カンガルーのように跳ねたという・・・ちなみに僕の場合は、狂ったようにかけずり回るという事だ。・・・いや・・・こんな事は、これからお話しする事にはぜんぜん関係がない。ただ、ふっと思い浮かび、同じ犬でも性質も性格、癖なんかはずいぶん違うものだなぁ〜と、思っただけの事なのだ。
さて、本題に入ろう。かねてより皆さんにお約束していた。朝散歩の最終の締めにもらう「犬用ビスケットの正しい戴き方」とは・・・・?。文章にして書くと、こんな簡単な事が複雑になってしまうので箇条書きにしてみたよ。
ビスケットを3枚もらう時の作法について
(犬小屋にたどり着いてからの動作)
1.正しい犬オスワリをして、散歩紐から、
何時もつながれている紐に付け替えてもらう。
2.「ちょうだい」という御主人の言葉で、
御主人が1枚目ビスケットを持っている側の手と同じ向きの僕 の前足を御主人に差し出す。
3.向きがひったり会えば、手に持っているビスケットをもらえる。
4.次は、反対の手に2枚目ビスケットを持ち、同じく「ちょうだ い」の言葉に反応して、同じ向きの僕の前足を差し出す。
5.向きがひったり会えば、手に持っているビスケットをもらえる。
6.3枚目のビスケットをもらうのは少し難しい。お座りの姿勢を した僕の真上に御主人がビスケットを差し出す。「ジャンプ」 という御主人の号令で、お座りの姿勢から飛び跳ねる。つまり 後足で立ち上がり、それと同時に御主人の手から離れて落下し たビスケットを口で受け取るのである。これは、時々失敗する 事もある芸なので、僕も真剣になる。
7.最後は、水を飲むのである。
以上で儀式は終わりなのだ。はぁ〜くたびれた。実際に行動するのは1〜2分前後の時間で終わってしまうのだけれど、説明するとなると、ずいぶん手間暇がかかるものだ。これを散歩に行かない時以外は、毎日繰り返される。御主人も楽しみながらやっているのだろうけれど、犬にとっては迷惑だ。でも、おやつがもらえるから良いかな。たった3枚のビスケットだけれど・・・・
1月18日 ゆきのちあめやくもり
「朝、犬小屋から出ると、そこは雪国であった。夜の底が白くなった。玄関の戸が開く音がして御主人が雪を踏みしめてやってきた。」・・・これは犬の世界のノーベル賞を受賞した有名な犬の書いた。「雪國」という小説の冒頭部分である。「えっ?、どこかで聞いた事のある題名だ、とか、読んだ事があるような文章だ」と思った人は、勘違いしないで欲しい。これは犬の世界の事なので、人間の世界とは縁もゆかりも、著作権もないのである。それで、どうしたのか・・・と、言われると言葉に詰まってしまうけれど、こんな小説の冒頭の部分など、どうでも良いのだ。とどのつまり何が言いたいのかというと、僕が朝起きたら、こんな風な風景になっていたと言う事なんだ。朝散歩は雪だるま状態になりながらいってきた。モソモソと僕の身体や御主人の身体に雪が降り積もっていく。「これは本格的に積もりそうだな」という御主人に、「いよいよ真冬の到来か!」と気分を新たにした僕ではあったのだけれど、昼頃になると、雪は大半消えてしまって雨まで降ってきた。夕方散歩へ行く頃になると、辺り一面殺風景な灰色の景色になってしまったんだ。
今日の唯一の収穫は、白鳥さんの声を聞いた事だよ。元気な白鳥さん達の鳴き声が聞こえてくるけれど姿は見えない。空を見上げたけれど見えないから、きっと田んぼに降りて餌でもついばんでいたのかも知れないね。
1月17日 はれ
今日は、まるで春になったようっだ。僕も一日外で過ごさせてもらったよ。良い気持ちだったよ。
ところで、同じほ乳類である人間と犬が、どんな理由でそれぞれ独自の進化を遂げたのかはわからないけれど、人間という動物はなんと不便な進化をとげたものだと思う。これを進化と言っていいのか退化と言っていいのか・・・犬が思い悩む一因となっている。それはどういう事かというと、犬は4足歩行で、人間は2足歩行だという相違点である。話は少しそれるが、僕は今日、ただ外に寝転がっているのも退屈なので二本足で立ち上がり犬小屋の上に置いてある骨を取ろうとしたんだけれど、二本足で立ち上がり屋根につかまり立ちをしても二本足で立つというのは容易な事ではない。頑張って、骨をくわえて持ち出したものの、足腰がくたびれてしまったよ。だから、なぜ人間はこんな不便な二足歩行をするのだろうと思ったわけなんだ。4足歩行だと「速く走る事が出来る」、「靴を履かなくても良いから履き物にお金がかからない」、「寒いからと言って、靴下もいらない」、「鉛筆や本がもてないから勉強する事もない」・・・・等々と上げればきりがないほどの利点があるのに、なぜ人間は・・・・?あれこれと、壮大なる進化の謎に思いを巡らせつつ、頭を悩ます今日のむつ犬なのであった・・・・
結局、苦労して取り返した骨は、御主人に取られてしまい、また元の犬小屋の屋根の上に置かれたのであった・・・・
1月16日 あめがふったりやんだり
今朝は雨降りなので、田んぼの方への散歩は無しという事になった。僕が「散歩に行きたいぞ。そんなに強い雨降りじゃないぞ」と、不平不満を言って吠えたら、散歩へいったという事にして、おやつだけをもらえる事になった。それで、散歩紐を付けてもらって玄関まで行った(注・おやつは夏の間は裏口でもらい、寒い冬は玄関先でもらう事になっている。)。犬の歩数で数十歩と言ったところだろうか。もっとも、犬の歩数は人間の歩数の倍数にあたるので計算する時は気を付けてもらいたい。その数十歩の距離を歩いて玄関の上がり口の所へオスワリをして、おやつがやってくるのを待った。おやつが独りでに歩いてくるわけではないのはもちろんだ。御主人が犬用ビスケットと、肉を加工したステックを持ってきて、僕に食べさせてくれた。但し、犬ビスケットは5枚の内2枚までが玄関先で食べられる数量だ。後は犬小屋に帰ってから与えられる。だから、どんな事があろうと、残りの3枚のビスケットには手を付けてはならない事になっている。ビスケットを玄関先に置いたまま、何か用があって御主人が居なくなった時でも、そこに置かれたビスケットは、よだれが流れて喉から手が出そうになるぐらい食べたいのだけれど、絶対に手を付けてはいけないのだ。そういった躾が僕の脳の中にインプットされているので手を出した事は未だかつて無い。もし、それを食べてしまったなら、どんな恐ろしい事が御主人によって僕の身に起こるかわからない恐怖心によるものだからだ。今日も、御主人はビスケットを置いたまま、リンゴを取りに台所へ行ってしまった。そのリンゴは、僕のおやつに玄関先でもらったんだけれどね。いつもはお母さんからもらうのだけれど、今朝はお母さんが忙しいらしいので、御主人が替わって僕に食べさせてくれたんだ。このようにして、「もらい得」となった「散歩もどき」は無事に終わり、僕は犬小屋へ帰り、いつもの作法により、ビスケットを3枚もらったのであった。
注・・・ビスケットをもらう作法については、後日にお教えしようと思う。
1月15日 くもり
朝晩は、一段と冷え込んで地面が凍るので、「ツルツル」と滑りやすくなる。おかげで足を痛くしてしまった。なぜかというと・・・・朝散歩に出かける時の僕は、うれしさのあまりそこいら中をかけずり回る。すると、ちょっとしたきっかけで足が「つるりん」と滑って足をひねったり、がちがちの氷で足の裏を痛めてしまう事もある。この所、毎日後足を少し引きずりながら歩くような状態になってしまった。。そうなのだ、後足は跳躍力が前足よりあるので怪我をしやすい。だいだい、御主人がいけないのだ。「さぁ、散歩へ行くぞ。散歩だ。散歩だ」と僕をうれしがらせてあおり立てるものだから、僕はいっそう興奮してかけずり回ってしまう・・・今は足を痛めているので、散歩に行く時はあまり陽気にあおり立てないで、陰気に「散歩へ行こう〜・・・」と、やって欲しいものである。つまり、あまり僕を興奮させないような配慮が欲しいという事だ。雪が厚く降り積もっているなら良いけれど、うっすらと積もっているだけでは、足を痛めやすくなるのは当たり前の事だよね。
毎日、楽しみにしている散歩は万全の体調で行きたいものだよね。
1月14日 ゆきがふったりやんだり
犬は几帳面である。たとえば、散歩へ出かけた時、自分の足跡が雪の上に梅の花のように点々と付いていったとする。それを帰りに、一つ一つ匂いをかぐのである。几帳面だぁ〜・・・・もしかすると、自分の足跡の上に、違う犬の足跡が重なっていやしないかと、気になって匂いをかぐのである。ところが、御主人の言う事には、自分の付けた足跡を帰る時には忘れてしまって、他の犬の足跡と思いこんで匂いをかぐのだろう、などという・・・そんな事はない、そんな事はない!!犬は猫さんに比べて、神経が細やかで繊細なのだ。気配りが細かく、人間の世界で職業を選ぶとすれば、「秘書」タイプなのが犬なのだ。犬が人間になったら、ボディガード兼秘書の2役をこなす事が出来るので、雇う人はお得感が増すと思う。まぁ僕は割合、臆病なたち達なので秘書しかできないと思うけれどね。・・・
1月13日 ゆきがふったりやんだり
今日は天気が一変して、朝起きて犬小屋から出てみると、見渡す限り雪景色になっていた。僕は何時も朝になって目覚めるとオシッコにいきたくなる。ところが、降り積もった雪が、あまりにも美しいので、僕の足跡で汚すのがもったいない。そこで、じっと御主人が朝散歩に連れ出してくれるまで我慢をしていたんだ。しばらく経つと、完全防寒対策をした御主人がやってきた。御主人は寒いのが大の苦手なので顔が見えないくらい着込んでいる。うっかりすると、よその人がやってきたのかと、吠え立ててしまう事もある。御主人もよその人と間違えられて、吠え立てられるぐらいなら我慢をするけれど、わんわんと警告された後に噛みつかれたら大変だと思っているのか、必ず僕に声をかける。そうして僕は御主人だと判断するのである。寒い冬は犬の鋭い嗅覚も夏に比べて鈍ってしまうので、御主人の方も、それなりに飼い犬に対する対策を考えているらしいのだ。
雪景色の中の散歩は僕の気持ちをわくわくさせてくれる。足取りも、兵隊さんの行進のようにリズムを取って、足を高く上げて「タッタカ、タッタカ!」と歩く。少し湿った雪なので、自慢の白い毛で覆われたお腹が汚れてしまうけれど、そんな事はあまり気にならない。このようにして、今年初めての本格的な雪景色の中を元気良く御主人と朝散歩に行ってきたのであった。夕方になったら、べたべたした雪になってしまったんだけれどね・・・・
1月12日 はれのちゆき
今日も昨日も雪の空〜・・・と言う童謡の歌にもある通り、今日も昨日に引き続き雪が降ったり止んだりのお天気かと思ったら、朝からお日様が顔を出して、午前中いっぱい、地上を照らしてくれた。「これは、願ってもいない自然からの贈り物だ」と、喜んだ僕は外に出て、ごろんと寝ころんでお腹をお日様に向けてお昼寝を始めたんだ。「ハァァァ〜、極楽、極楽!!」御主人は、この間の強風で切れたビニールハウスの紐を直す傍ら、身体をなでてくれる。僕はあまりの気持ちよさに「ごろん、ごろん」と何度も寝返りを打ったんだ。ところが・・・午後になると、曇り始めて、夕方を前にして雪が降り始めた。まだ積もるには到らないけれど、明日の朝になったら、どうなっているのだろうか・・・・
1月11日 ゆきがふったりやんだり
さて、昨日、お話しした「犬の民俗学」における「骨」の存在とは何か、と言うお話だが、事の起こりは「イソップ童話」にさかのぼるらしい。この物語の中に、「ある日、犬が骨をくわえて橋を渡っている時、何気なく橋の上から川をのぞき込んだ犬は水面に映っている己の姿を他の犬と思いこみ唸り声を上げた。自分が骨を持っているにも関わらす、欲を出した犬は水面に映っている犬に、その骨をよこせ!わんわん、と吠えてしまった。すると吠えるために口を開けてしまったので、くわえていた骨は川の中へどぼんと落ちてしまったという。」、つまり、「欲張るな」と言う戒めである。このイソップ童話のおまぬけな犬の行動がトラウマとなり、犬属の子孫の中にDNAとして受け継がれ、骨に執着するようになったのではないかと言われている。イソップ物語は一説によると、人間の愚かな行動を動物の行動に例えて寓話的な戒めの話として創作されたものらしい。さらに御主人が調べたところによると、この物語の発生は紀元前6世紀と言うから、今から8千年ぐらい前という事になる。すると、犬の歴史も、たぶんその頃にさかのぼる事が出来るのだろう。犬の歴史は人間の歴史と同等の時間を有しているのだ。
で、僕が何が言いたいのかというと、僕はおまぬけな事をして御主人に笑われているけれど、僕は「おまぬけ」な事をしたくてやっているのではない。イソップ童話のように御主人に、「こんな事をしてはいけないよ」という、飼い犬からのメッセージを伝えようと努力して「おまぬけ」な事をやっているのだ・・・・・御主人は飼い犬に対して、もっと感謝をするべきだと思うよ。
1月10日 ゆきふったりやんだり
犬の世界には、いくつかの言い伝えがあって、人間の世界で言えば「民俗学」上おもしろいものがある。そのひとつに「骨を7つ見つけると大変おめでたい事が起きる」というのがある。しかし、ただ骨を7本集めればいいというものではない。違った種類の骨を7本である。いま、僕の手元には4本の骨がある。3本は御主人に取り上げられて、犬小屋の屋根の上にある。1本は犬小屋の中で僕がおもちゃにしている。犬小屋の上の骨は、取り上げられたとは言っても、僕が2本足で立ち上がり、前足で犬小屋の屋根に手をかければ、簡単に口にくわえる事が出来るので、いつでも手にはいると言っても良いだろう。前置きが長くなってしまったけれど、どんな骨を集めたらいいのか?と、言うと7種類の動物の骨である。今のところ、僕には「鹿の骨」、「豚の骨」、「ラムの骨」と、3種類ある。残念ながら4本を集めたのだけれど、2本は同じ鹿の骨なのだ。あと、どんな骨が僕の所へやってくるのだろうか、はたまた、どんな骨を見つける事が出来るのか、僕自身もわくわくしている。これを読んでいるみんなも僕の収集に協力してね!!。ただし、鳥の骨は犬には「御法度」になっている。なぜなら、鳥の骨は歯でかみ砕いたりすると、その破片が針のようにとがる。どんなに細かくしても、とがった部分が出来るから、飲み込んだりすると、口と言わず食道、胃袋などに突き刺さってしまうからだ。つまり、命に関わる事になる。その他の骨だったら拒まないよ。
さて、「犬の民俗学」における「骨」の存在とは何か・・・・?
待て、次号!!・・・・、実は御主人の知ったかぶり、あるいは妄想が、まだ頭の中でうまくまとまっていないらしいのだ・・・・
1月9日 くもりときどきゆき
いよいよ雪が積もり始めた。と、言ってもたいしたことはない。見慣れた風景がうっすらと雪化粧した程度なのである。寒さは雪がないだけ寒いような気がする。雪国の人間でも犬でも、そこに住んでいる生き物なら、大概感じる事なのだけれど、雪が積もっているのと、まるっきり無いのとでは、雪が積もっている方が暖かく感じるものなのである。今年は雪がほとんど無いので僕も犬小屋の中に閉じこもりっぱなしと言うわけなのだ。雪が降り積もっていたら、雪の中へ寝ころんだり、雪をかき分けて走り回ったりするだろう。ことに新雪が降り積もって「きりり〜ん」と冷え込んだ朝などは、雪を踏みしめると「きゅっ、きゅっ」と音がする。その音の響きが耳に心地よく、うれしさと楽しさをこらえきれない犬はいっそう庭を駆け回るのである・・・・
1月7日 ぼうふうう
今日は、ものすごい風と雨、その中にみぞれが混じってくる。台風並みの荒れた天気になった。おまけに明け方から雷が鳴っている。僕は雷が恐いので犬小屋の中からは出なかった。御主人は、今日一日「成人式の交通整理」である。よりによって、こんな荒れた日にぶつかってしまった成人の皆さんには気の毒だと言うしかない・・・・10時半頃でかけていった御主人は16時近くになって帰ってきた。こんな荒れた天気では、僕の散歩もないだろうとあきらめ、掘り出した骨を相手に遊んでいた。すると、御主人が犬小屋にやってきて、「ムツ、今日のお散歩は無しだ」と、僕の両方のほっぺを横に引っ張りながら言う。何も、そんな事までして「散歩の中止」を言う事はない!!と、文句を言ったら、「おまえは人の話を聞かないから、こうして言い聞かせているのだ」という。たしかに、ひと頃は「人の言う事を聞かない犬」と評判の高かった僕ではあるけれど、6才になり、近頃の僕は犬格(人間の世界では人格という)が、すっかり穏やかになり、自分自身でも性格が丸みを帯びてきたと思っている。そんな僕を捕まえて、両方のほっぺを引っ張りながら、ものを言う事はないだろう・・・・腹が立ったので、出来る事なら噛みついてやりたかったけれど、そんな事をすると「秋田犬の品格」を落とす事になるので、じっと堪え忍んだ。御飯をもらうまで堪え忍んだ。御飯をもらってしまえば、もう、こっちのものだ。御主人に噛みつこうが、ひっかいたりしようが・・・・・でも、明日という日もあるので食べ終わってからも耐えた。やはり飼い犬は、どんな場合でもつらいのである・・・・
1月6日 くもりのちあめ
この所、犬小屋の中に閉じこもってばかりいるので、今日一日何をしたのか思い出せないようになってしまった。僕も中高年の仲間入りを目前に控えているから、そんな症状が出てもおかしくないのだ・・・と、御主人が言う。そういう自分こそ、自分の日記を書く時に、今日の出来事はおろか、今日の天気さえ思い出せないでいるのを僕はちゃんと知っているのだ。事細かに何をしたのか思い出せないけれど、だいぶ前に埋めた骨の在処は、ちゃんと覚えているのだから僕は偉い!!しかし、またまた御主人が僕を馬鹿にする。年を取ると昔の記憶が鮮明になって、最近の記憶は逆にぼやけてしまうものだという。御主人もそうだという。すると僕達主従は似たもの同士なのかも知れない。御主人はとっくに中高年になってしまっているし、僕は目前だからね。お互いにいたわりあって人生と犬生を共にすごそうよ。もっとも、僕の場合は、御主人が居なければ御飯をもらう事が出来ないからね。しっかり僕の世話を頼むよ!!
1月5日 はれっ!!
今日も「ぽかぽか陽気」である。御主人のお話に寄れば、3月上旬か中旬頃の天気だという。僕は昨日と同じ様にお腹をお日様に向けて一日中お昼寝をしたんだ。遠くで「消防出初め式」の、のろしが上がる音がしている。御主人は、それの交通整理とかで出かけてしまったし、お母さんは今日から仕事初め、家には僕が1頭きりなので、のんびりとお昼寝が出来る。
しかし、こう暖かいと困った事が、またまた出て来た。農作物の事は昨日言ったのだけれど、今年は「国民体育大会」、略して「国体」が秋田県で行われる事になっている。サッカーとかソフトボールなどは今年の9月頃になるのだけれど、スキーやトライアスロンなどと言った雪の上でのスポーツは、1月に行われる事になっている。開催日は、すぐ目の前に迫ってきているのに雪がないのだ。山の方で行われるので、いくらかは積もっているのだろうけれど、所々地肌が見えていたりしているという。スキー場もオープンできずにいるのに冬季国体なんて・・・・と、秋田県では頭を抱えているという。犬には、ぜんぜん関係ない事なのだけれど、いつか来るだろう寒さに備えて身体を太らせたのだから、この身体が役に立って欲しいものである。今のところ、防寒対策で皮下脂肪を体内燃焼する事もなく、太った身体を「たぷん、たぷん」と揺らしながら散歩をしている僕なのであった。
1月4日 はれ〜っ!!
今日は春のようだった。・・・と、言うより本当の春になった。今にも、梅や桜等々、春の草花が一斉に花を開きそうな陽気だったのだ。僕などは、一日中外に出て腹を出して寝ていたのだ。はぁぁぁ〜お日様の光がまぶしい。お日様の暖かさが毛皮の中までしみ込んで、さらには肉を通り越して骨の隅々まで暖かさがしみ通っていくぅ〜。ありがたや、ありがたや!!
ところが・・・御主人の言う事には、冬にこんなに雪が降らなくて暖かいと、春先から天候不順だったり、冷夏だったり、干ばつだったり等々と、農作物に悪影響があるのではないかと心配している。犬は今がすべてだから、「今が良ければすべてよし」というわけで行く先々の事を心配するなどという習性はない。でも、御主人のお話を聞くと、農作物が云々と言っているので、僕の御飯の量にも影響が出てくるのかと不安になってくる。こうなったら神仏に祈るしかない!!犬は基本的に無宗教無信心なのだけれど、こうなったら「背に腹は替えられない」、どんな神様でも仏様でも良いから、犬の食べる分だけは確保しておいてください。お願い!!
1月3日 くもり
お年玉をもらったよ。人間の子供達はお正月になると「お年玉」というのを親や親戚からもらうのだそうだ。犬には、そういった風習がないけれど、もらえるって言う事は何にも増してうれしい事である。えっ、「お金を犬がもらってどうするのだ。」って・・・?
何も、お年玉はお金とは限らない。要するにもらった当人がうれしければ、お金に限らず何でも良いのだ。僕の場合は「肉付きの骨」だったけれどね。「また、骨の話なのか・・・」と、うんざりした人は、何時もこの日記を読んでくれている人なので、感謝と文句を言いたい。「犬と骨」という図式は「イソップ童話」の昔から、おまぬけな逸話が多い。それだけ、この骨に関しては歴史的価値があるのだ。だから、「たかが骨、されど骨」という認識で、これから延々と続くであろう、この日記の「骨に関する記述」を再認識して頂きたい。僕も先輩犬に負けないように盛大な骨に関するおまぬけな行動をして、歴史に名を残したいものである。
以上、おまぬけ日記亥年版の巻頭を飾る決意表明をしてみた!!
1月2日 はれたりくもったり
さすがに、お正月も2日目になると少々退屈になってくる。犬は人間と違って楽しみというものが少ない。テレビを見たり本を読んだりという事が出来ない。だから、犬小屋の上に保存されてある3種類の骨の中から1本選んでとってもらい、犬小屋の中で咬んだりなめたりして、おもちゃ替わりにして遊んだんだ。では、3種類の骨とは何か・・・・?と、言うと「豚の骨」、「鹿の骨」、「ラムの骨」である。今日は、お正月でもあるので、とても珍しい「ラムの骨」を選んだ。骨は、僕が夢中になりすぎて、御主人に唸ったりするものだから取り上げられてしまっているのだ。僕があまりにも退屈そうにしているので、かわいそうに思った御主人が僕に与えてくれたのである。犬小屋の中で夢中になって骨と遊んでいたので、午後に東京へ帰るという下のお兄さんのお見送りをしないでしまったよ。大変失礼な事をしてしまったようだ。でも、お正月は、まだまだあるのだ。明日は何をしようかなぁ〜・・・?
1月1日 はれ
皆さん、明けましておめでとうございます。
今年も、宜しくね!!
ところで、僕は今、平成18年の戌年を平成19年のイノシシさんに引き渡してほっと一息ついている所なんだ。「ヤレヤレ」と言った感じだ。平成18年は色々な出来事があったから担当年の僕達犬属にとっては気の抜けない1年だったよ。御主人なんかは「あまりほっとしたので、おまぬけな事をするのじゃないか」と期待していたようだけれど、今日の僕は秋田犬らしく堂々と・・・・お日様の下で腹を出して寝ていたのだ。夕方散歩も御主人とお母さんとで一緒に行ってきたよ。秋田犬としても飼い犬としても、今日の僕はそつのない犬に徹したというわけなんだ。
まぁ、とにかく、今年も頼むよね!!