むつ犬のおまぬけ日記
平成19年 12月
12月31日 ふぶき
今日は1年の終わり、大晦日である。・・・・と、僕が断らなくても、世の中の人なら大概ご承知の事なのである。この1年は、この日記を読んでくれている皆さんにはお世話になった。それに、御主人の世話もした。僕が御主人から世話になったわけではないので誤解のないように!!(御主人の運動管理・・・僕の散歩も兼ねる。僕への食事の供給・・・動物への愛護の精神と犬の管理維持を的確にこなす実効性を養ってやった。家族の生命財産の保護・・・番犬・・・等々、この家に貢献した度合いは計り知れない。)、と言う事なので、御主人が感謝の気持ちを兼ねてなのかどうかはわからないけれど、今日の夕食は尾頭付きの食事だった。でも、尾頭付きと言えば 鯛が通り相場だけれど、僕の御飯にのっているのはハタハタという魚だった。昔は大衆魚だったのだけれど、近年は高級魚の部類に入る魚で、普段の犬の食事には出ない。それが出たのだから、僕は喜んでしまって御主人が食器をトレイに置くのが待ちきれなくて、「ぴょんぴょん」と跳ねて、食器の中身をのぞき込んだ僕なのであった。と、言うわけで、僕の苦労もハタハタの尾頭付きをもらい、報われた1年の締めくくりの日なのであった。

12月30日 ふううのちゆき
今日は昨日の天気が一変して、ものすごい風と雨が降って、気温も下がってきた。朝は散歩に連れて行ってもらえなかったぐらいだ。幸い、夕方は風の中を押し戻されながらも、いつものコースを散歩できた。夕方からは、風は相変わらずだったけれど、雨がとうとう雪に変わってしまったのだ。犬の僕は、どうって事はなかったけれど御主人が大変だった。僕のように毛皮を着ていないので寒さが身にしみるらしい。走るように僕を引っ張り、早く散歩を終わらせたいと思っているようだ。そんな御主人を見て、僕はひねくれた心が芽生えてきた。わざと、ゆっくり草むらの匂いをかぎ、立ち止まって風景を見渡したりという行動を取ってみた。思った通り御主人は、歯がゆいような顔をして散歩紐を引っ張る。まぁ、あまりじらしても夕食の量に影響が出ると困るので、適度に御主人を困らせながら、僕にとっては楽しい散歩に行ってきたというわけなんだよ。

12月29日 あめがふったりやんだり
今日の夕方散歩は、御主人には珍しく、秋の半ば頃の服装でお出かけなのだった。と言うのも、今日の気温の暖かい事!!。12度位もあったのだという。これがお日様が出ていれば汗ばむような陽気になったに違いないと犬の僕はみているのだが・・・・
ところで夕方散歩だが、5時前に出かけたので、途中で市役所の5時のオルゴール時報が鳴り始めた。また近くの公民館の曲も、わずからずれながらもハーモニーというか輪唱というか、そんな曲が街中にはがれ始めたのであった。僕は、この曲が大好きなのである。東京の有名な作曲家に作ってもらい、有名な歌手が歌っているCDがあるのだと言うけれど、僕はこの時報のオルゴールしか聴いた事がない。今日は、又救急車の音も混じっていて、年末に病院へ運ばれる人も大変だなぁ、と思いながら家路をたどった僕達なのであった。

12月28日 くもり
と、言うわけで。25日のお話の続きをするよ。僕のお話は人が忘れた頃に僕の方が思い出すのでやっかいなのである。それに前置きが長いし、オチがあるのだから、まるで落語のようだね。
それで、猫さんがどうして干支の動物になる事が出来なかったのかというお話なのである。・・・神様が、「元日の朝になったら新年の挨拶に来い。一番早く来た者から十二番目の動物までは、着いた順番にそれぞれ一年の間、動物の年にしてやろう」と言った。動物たちは、自分が一番だと言って、それぞれが意気込んで元日が来るのを待っていた。ところが猫は神様のところにいつ行くのか忘れてしまったので、普段から仲良くしていた、ねずみに訊くと、ねずみは嘘を付いて一日遅れの日を教えてやった。猫はねずみが言うのを信じて喜んだ。さて元日になり、牛は「僕は歩くのが遅いから、一足早く出かけるぞ」といって、まだ暗いのに出発した。牛小屋の天井でこれを見ていたねずみは、ぽんと牛の背中に飛び乗った。そんなこととは知らない牛は、神様の御殿に近付いてみると、まだ誰も来ていない。我こそ一番乗りと喜んで、時がくるのを待っていると、やがて門が開いた。そのとたんに牛の背中からねずみが飛び降り、神様の元へ走って一番になってしまった。それで牛は二番、それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で着いた。猫は一日遅れで行ったものだから番外で仲間に入れなかった。それで、ねずみを恨んで、今でもねずみを追い回すのだと言う(アニメのトムとジェリーを一目瞭然なのである。)・・・・・
哀れ猫さん・・・・普段は「犬猫の仲」と言われ(人間の世界では犬猿の仲などとも言われる)、不仲の代名詞にもなっている犬族と猫族ではあるけれど、この件に関しては、猫さんに対して同上を禁じ得ない僕なのであった。

12月27日 はれのちあめ
今日はクリスマスケーキをもらった。犬にとっては「禁断の甘いお菓子」のケーキなのだが、1年に一度、このクリスマスの時期だけは、ケーキののっていた皿に付いたクリームをなめさせてもらえる嬉しい日なのである。ところが、今年はケーキの切れ端を御主人が持ってきて食べさせてくれた。僕のうれしさは頂点に達した。だが「ぺろり、ごくん」と、その夢のケーキ・・・の切れ端は、一瞬に僕の口の中へ入り、ロケットのような早さで胃袋へと送り込まれてしまったのだった。でも、いつもの皿のクリームをなめるのより、格段のおいしさだったのが良くわかった。御主人が、毎年「バタークリームデコレーションケーキ」を食べたがる理由が、深く深く理解できた僕なのであった。

12月26日 はれっ!!
まったく、なんという天気なのだろう。真冬に犬が地面に寝ころんで、腹をお日様に向けて日向ぼっこをしている図なんて想像できるだろうか?。少なくても北国ではあり得ない光景である。それを今日の僕がやったのだ。一日中お日様の光と暖かさを受けながら、うつらうつらとお昼寝を楽しんだ。途中でお昼寝のじゃまをする御主人さえ居なければ、実に快適な一日だと言って良かった。こんな天気が何時までも続くとは思えないけれど、クリスマスにサンタクロースが、おもちゃやケーキをもらえない犬や猫たちに、日だまりをプレゼントしてくれたとしか思えないような一日だった。はぁぁぁ〜満足、満足!!

12月25日 はれたりくもったり
今日も良い天気なのである。まるで晩秋の景色なのである。でも、気温は冬なのである・・・・どっちつかずの季節が僕の身体にまとわりついている。別に僕の身体だけではない、僕達の住んでいる地方だけなのか、日本全国なのかはわからないけれど、とにかくこんな気候なのである。一体どうなってしまうのだろうか?
ところで、もうすぐお正月なのだが、来年の干支は「ねずみ」なのだそうだ。これに関しては、普段は嫌いな猫さんだけれど、干支に関しては弁護をしたい。
と、言うわけで。なぜ干支に関して猫さんの弁護を犬がするのかと言う事については、紙面がつきたので?またね!!

12月24日 あめがふったりやんだり
今日はクリスマス・・・イブなのである。けれど雪は降っていないし、積もってもいない。目の前に広がるのは、枯れ葉色の殺風景な風景なのである。だけど、クリスマスイブだからと言って、雪が降らなければいけないというわけではないらしい。南半球のオーストラリアという所では、今は夏であるらしくてサンタクロースがサーフボードにのって海からやってくるらしい。
ところで、我が家でもクリスマスはする。「祝う」というのではなく「する」といった方が正しい。我が家は仏教の浄土真宗を信仰している。・・・・信仰しているというのも正しくない。代々「浄土真宗なのだ」といった方がよい。だから、キリスト教のクリスマスは関係のない行事なのである。では、なぜ「する」のかというと、端的に言えば、御主人がクリスマスケーキを食べたいからと言うだけなのである。しかも、バタークリームのこってりとのった物を、である。だけど、問題は、その後である。飼い犬の僕の口に、このバタークリームデコレーションケーキが入るかどうかという事なのである。まぁ、僕の予想としては、ケーキがのっていた皿に付いたクリームをなめさせてもらうだけだと思うのだけれどね。何しろ、甘い物は、犬にとっては禁断な食物なのだから・・・・

12月23日 はれ
今日も良く晴れた。今日は一日中、外に寝ころんでいた。昨日より暖かいからだ。お日様はあまりすっきりとした顔をしていない。薄曇りなのである。だけど、昨日より格段に暖かい。御主人は朝からお出かけである。夕方からもお出かけらしい。何でも、忘年会というものへ出かけるらしい。「忘年会とはなんだ」と聞くと、「今年1年の憂さを晴らすのだ」という。憂さを晴らすというのならば、飼い主より飼い犬の方が格段に憂さが堆積している。比較にならないぐらい堆積をしている。それでも飼い犬には忘年会など無いのである。憂さを晴らすとすれば、市役所の夕方5時の時報に合わせて遠吠えをするだけなのである・・・・

12月22日 はれ
今日は良く晴れた。外へ出て寝ころんでも良いぐらいの陽気だった。御主人が外に、足ふきマットのいらなくなったのを敷いてくれた。「この上に座って日向ぼっこをしろ」と言う事らしい。でも座らなかった・・・・僕は地面の上に直接座るのが好きなんだ。もっとも、地面と言ってもアスファルトの上だけれどね。
ところで、今日の御飯は「うさぎの耳風、いつもの御飯」という名前のごちそうだった。うさぎの耳と言っても、本物のうさぎの耳が入っているわけではない。リンゴをうさぎの耳のように切ったものが2本、いつもの御飯の上に突き刺してあるだけなのである。それでもリンゴが付いただけ、普段と違う御飯なのでごちそうと呼ぶ事が出来るのだ。でも、お腹が空いている僕は、いつもの御飯の方を先に食べてしまって、うさぎの耳風リンゴはデザートとして食べたんだよ。

12月21日 くもり
昨日降った雪は、もうシャーベット状になってしまい、その大部分は消えてしまった。おかげで道路はぐしゃぐしゃのどろどろである。こんな道路、主に農道だけれど、こんな道路を散歩するのかと思うとうんざりしてしまう。と、言うのも、僕は四つ足で歩く動物なので、これで歩くと道路の汚れを、みんなお腹に跳ね上げてしまうのだ。だから、お腹は泥んこの濡れ濡れなのである。せっかく親犬から戴いた、真っ白なお腹の毛が真っ黒になってしまうのだ。自動車も4本の足で走るようなので、僕と同じようにお腹が汚れるらしい。人間は二足歩行なので汚れないようだ。しかし、世の中は、それぞれに不均衡に出来ているものだなと思う、今日この頃の僕なのであった・・・・

12月20日 ゆきがふったりやんだり
昨日はよい天気だったのだが、今日になって雪が「もそもそ」と降り始めて5センチぐらい積もった。昨日まで灰色だった風景が一変して、あたり一面が真っ白な雪景色になってしまったのだ。
ところで、昨日、僕は午後から御主人に捨てられてしまった。幸い、僕を拾ってくれる人があったので助かったのだけれど・・・話とは、こうである。午後から出かけた御主人は夕方になっても夜になっても帰ってこなかった。当然、御飯も散歩もない。僕はただの繋がれっぱなしの囚人みたいなものになってしまった。悲しくなって市役所の5時の時報に合わせて「うぉぉぉ〜ん、うぉぉぉ〜ん」と、遠吠えをしても誰も気づいてはくれないのだった。なおも、しばらく外にフセの恰好で、じっと耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、東京渋谷で帰らぬ御主人を待ち続けた「忠犬ハチ公」のように待ち続けたのであった。それでも御主人は帰ってこなかった。もしや、僕は忠犬ハチ公の二代目になってしまったのだろうかとも思ったが、やがて家の入り口に車の明かりが射してお母さんが帰ってきた。このようにして、僕はお母さんに拾われ、助けられ、御飯をもらい、お母さんの飼い犬になったのであった。もう、僕の御主人はお母さんだもんね!!!

12月19日 はれ
今日は、とても良い天気になった「冬晴れ」とでも言うのだろうか、僕達の住んでいる地方では珍しい事である。一日中晴れて、お日様が顔を出している。僕も久しぶりにお日様と会うので挨拶したかったのだけれど、北風さんがじゃまをして「お日様とご対面」というわけにはならなかった。正確には北西の風というのだけれど、この風が大陸からやってきて、日本海の海水を水蒸気に変え、日本にたどり着いた時に、ため込んだ水蒸気で作る雲から大量の雪を降らせるのだ。そし、雪を降らせた空気は山を越えて太平洋側に抜ける。すると、きれいさっぱりと水蒸気を雪に変えてしまったので乾いた空気ばかりになって太平洋側の地方は、からからの寒いけれど上天気になると言うわけ・・・らしい。簡単に言うと、そうらしいけれど犬にとっては、これだけでも簡単ではない。犬にとって雪が降る理屈などはどうでも良いのだ。雪が降るか降らないかという事実だけでよいのだ。犬は理屈ではなく事実というか経験、それだけで生きていける動物なのだ。

12月18日 くもり
もし、僕がのっぴきならない事情があって御主人を呼ばなければならないときは、「遠吠えをする」、「わんわんわんと吠える」の、いずれかの行動を取ると、大概僕の所に御主人が現れるようになっている。このシステムは僕が御主人をしつける事によって確立したものなのである。だだ、「遠吠えをする」という行為に関しては、伴奏がないと出来ないように僕の脳細胞が出来上がってしまっているので緊急を要する時に御主人を呼びたい場合は、これは利用できない。ちなみに、遠ぼえの伴奏とは、緊急車(パトロールカー及び救急車、消防車など)と、市役所の時報オルゴールなどである。だから、僕が緊急を要する場合は「わんわんわん」と吠えるしか・・・・あっ!!、まだ、もう一つの方法があった。「きゅう〜ん、きゅん、きゅん」と哀れを催すような声で泣き叫ぶのだ。これの方が「わんわんわん」と吠えるより、よほど効果がある。だが、プライドの高い秋田犬としては、あまり飼い主に弱みを見せてしまっては後々のためにならないので、この方法は滅多の事では使う事が出来ない。だから、通常は「わんわんわん」なのであった・・・・

12月17日 あめのちゆき
今日は、ほんの少しだけれど雪が降った。だけど、すぐシャーベット状になってしまったのだ。なかなか、堅く引き締まった雪の上を「きゅっ、きゅっ」と音を立てながら歩けるまでには到らない。こんな音を立てながら歩くのも、寒いながら気持ちの良いものなのである。「冬だなぁ」という実感がわいてくる。今年は、なかなか、「冬だなぁ」という実感がわかないので困ってしまう。以前にもお話ししたけれど、ただ寒いだけなのである。「北国の冬!!」という、何処か一点だけでも、単なる寒さとは違う特徴を感じたいものだと思う「北国原産の秋田犬」の僕なのであった・・・

12月16日 くもりいちじゆき
今日は、一時的に雪が降ってきて一面真っ白になってしまったのだけれど、すぐ溶けてしまった。風が冷たい。雪でも降ると寒さも柔らかい寒さになるのだけれど、灰色の大地の上を冷たい風ばかり吹くような冷たさは突き刺すようでいやなのである。
ところで、犬の図鑑などを見ていると、雪の降っている中に犬がいて、「雪の中で寝ている」、「雪の降る中を散歩している」、「雪の降る中でぶるぶる震えている」という三枚の絵があって、図鑑の中のそれぞれの犬に、この三枚の絵のどれかが犬の説明書きと一緒にのっている。ちなみに、秋田犬の項目には「雪の中で眠っている」絵が付いている。この絵は何かというと、それぞれの犬の耐寒性を表しているのだ。だから秋田犬の場合は「耐寒性が非常に強い」と言うことになる。しかし、いくら秋田犬でも好んで雪の中に寝るわけではない。出来ることならば、ほどほどの暖かい所に寝たいのが犬としては当然の気持ちである。なぜ、こんな事をクドクドというのかと言えば、僕は紐で作業小屋の柱に繋がれている。この柱に紐がぐるぐる巻きになって、犬小屋の中に入れない場合がたまにある。そんなときに家族の誰も気付いてくれなければ、僕は零下何度という外で寝なければならないことになるのだ。こんな事にならないように、御主人を始め、家族のみんなに「飼い犬に対して愛護の手を」という気持ちを持ってもらいたいと言う意味で、一くさり述べてみただけなのである。

12月15日 あめがふったりやんだり
今日の御飯はごちそうだった。と、いっても「ハタハタ」という魚の焼いたものが一匹入っていただけなんだけれどね。ハタハタとは「鰰」という漢字を当てる。12月にならないと本格的な漁が始まらない。昔は大衆魚だったそうで、御主人の子供の頃、毎日毎日、このハタハタが御飯のおかずに付くので嫌になったそうである。ところが、今では高級魚の部類になってしまった。あまり乱獲したので漁獲量が減ったのが原因なのだそうだ。現在、御主人は、このハタハタを食べないと本格的な冬がやってこないとまで言い切っている。その高級魚のハタハタが僕の食卓、つまり御飯の上にのっていたものだから、真っ先に口からハタハタをお迎えに行った。でも、味も何もわからないうちにお腹の中に収まってしまったよ。御主人は生の鰰を焼いて醤油をかけて食べるのが一番おいしい食べ方だと言っている。今の時期を過ぎると、ぬか漬けだの塩漬け、醤油漬けのハタハタの出番となる。こうなってしまうと、長い冬の始まりなのであった・・・・

12月14日 あめのちゆきのようなものが・・・
今日の夜半から明日の未明にかけて、江戸と言うか、今の東京は雪になるはずである。なぜならば、今日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りして首尾本懐を遂げる日なのである。ご存じ忠臣蔵の話だ。赤穂浪士の面々も、まさかこの夜に雪が降るとは思わなかっただろうと思う。僕も今日は雪が降るとは思わなかったのだけれど、夕方散歩に行く頃になったら雪のようなものが降ってきた。「雪のような」という所が、御主人的な表現で理屈っぽいと言うのか、持って回った優柔不断な言い方というのか・・・・つまり、雨ではなく、雨が冷やされたものが空から降ってきたというわけなんだ。僕の方がくどい言い方かも知れないけれど、ただ、「そんなものが空から降ってきた。」と、それを言いたかっただけの話なのだ。それがどうした?、と言われると困ってしまうけれど・・・

12月13日 あめがふったりやんだり
この所、雪が降らないで雨ばかり降っている。おかげで僕の散歩はことごとく中止になってしまう。雪だったら、多少降っていてもお出かけが出来る。身体に降り積もった雪は「ブルブルン」と身体を一振りさせれば払い落とせるし、御主人だったら手で払うことも出来る。ところが、雨というやつは、僕の場合はじっとりと身体の奥まで、御主人だったら衣類の奥までしみ通ってしまうのでやっかいなのである。だから散歩が中止になってしまう。今日だって朝晩の散歩がなかったのだから僕のストレスは、たまりにたまって破裂寸前なのである。「早く、降れ、雪!!」と祈る毎日なのである。明日の日付が変わる頃「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう・・・」と、歌の文句にもあるように雪に代わり・・・・代わらないだろうなぁ。だって、天気予報では明日は一日中雨降りなんだって・・・・

12月12日 くもり
今朝も朝散歩へは連れて行ってもらえなかった。事情は昨日の日記でお話しした通りである。午後になると、御主人は「農業経理講習会」とやらで出かけてしまった。暗くなっても帰ってこない・・・不安になった僕は何度も犬小屋を出たり入ったりしながら、御主人の帰りを待っていたのだった。夕方の5時になって市役所の時報オルゴールが鳴り始めたので「うおおお〜ん、きゅぉぉ〜ん」と高らかに、しかも、いかにも哀しそうに遠吠えしようかと思ったら、御主人が帰ってきた。隣近所に聞こえるように、哀れな声で遠吠えをしたら同情してもらえるのではないかと思ったし、御主人に非難が集中するのではないかとも思ったのだった。「あそこの家では飼い犬を虐待しているのじゃないか?」ってね・・・・・

12月11日 くもりのちあめ
昨日の夜になって、御主人夫婦が東京から帰ってきたので、僕の生活も通常の生活に戻るのか?と、思われたのだが、今日から「年末の全国交通安全運動」が始まり、御主人は街頭に立たなければいけなかったのであった。はしゃいだのも「つかのまの夢」に終わってしまったのだった。僕は肩を落として犬小屋の中へ潜り込んだのだった・・・何時終わる「年末の交通安全運動」・・・・・

12月10日(とうきょうでは)
さて、いまだに帰ってこない御主人夫婦であるのだけれど、僕の世話は、おじいちゃん、おばあちゃんがしてくれるので不便はない。だが、普段いる人がいないと、何処か違和感があるのだ。特に御主人が居ないとわがままが言えない。僕は御主人にわがままな振る舞いをすることによってもストレスを発散しているのである。実は、御主人は僕に対して厳しい接し方をしているように見えるけれど、本当は金平糖やあめ玉のように僕に甘いのである。
などと、うつらうつらとしながら、そんなことを思っていると、夕方になって家の前にタクシーが止まったと思ったら御主人夫婦が降りてきた。僕は「正しい犬のオスワリ」をして二人を出迎えたんだ。二人も僕のことが気がかりだったらしく、優しく「ナデナデ」をしてくれたよ。僕は大はしゃぎで、そこいら中を駆け回ったんだ。と、言うわけで、明日からの僕は通常通りの生活に戻れそうなのだ。

12月9日 はれ(とうきょうでは)
何でも、東京と言う所は、僕達の地方と季節が1ヵ月も違うらしい。それだけ気候が暖かいのだそうだ。まだ銀杏の葉が散り始めたばかりなのだという。これは、御主人に聞いた話なのだけれど、大昔に御主人が住んでいた千葉県の九十九里浜のあたりは、東京より暖かくて、雪が一冬に一日だけ「チラチラ」と降るだけなのだという。唐突ではあるが、御主人は2月生まれなのに寒いのが苦手である。だから寒い季節は暖かい地方に住むのが夢である。年末ジャンボとやら言う宝くじが当たったら、東京か、千葉にマンションか、アパートを借りて冬を過ごすのが夢なのだそうな・・・・もし、そうなったら僕はどうなるの?

12月8日 はれ(とうきょうでは)
昨日の夜、御主人夫婦は東京とやらへ寝台特急で行ってしまった。前々から、「お母さんとお出かけをするからな」とは言われていたのだけれど、まさか夜になっても帰ってこないお出かけだとは思わなかった。さっきも言ったけれど、後で聞くと「東京に行ったのだ」という・・・何でも、あっちは日中は暖かくて、そこに住んでいる犬達は日向ぼっこを満喫しているらしい。

12月7日 あめのちはれ
朝散歩に行ったら、家の田んぼに白鳥さん達が10羽ほど羽を休めていた。田んぼに残ったモミを食べたり、たまった水を飲んだりしていた。わずか15か20メートルの距離で間近に見ることが出来た。白鳥さん達をこんなに近くで見たのは初めてである。若いのから親鳥?らしいのまでいる。様々な仕草もなかなかかわいらしい。一緒になって遊びたいような気にもなってきたけれど、僕が飛び込んでいったらびっくりして逃げてしまうんだろうなぁ・・・いずれ、南に飛んでいってしまうのだろうけれど、このまま一冬ここにいて欲しいと思った僕なのであった。

12月6日 あめがふったりやんだり
降り積もった雪は、あらかた何処かへ消えてしまった。今は、時折雨が激しく降っている。相変わらずの犬小屋の中で一日が終わろうとしている。飼い犬にとって冬とはこんな物であるらしいと、今更ながら悟りにも似た境地に達した僕なのであった。
ところで・・・僕の尻尾は「くるくるくるん」と二重巻きになっている。でも、御主人は一重に巻いた尻尾が好みだという。有名秋田犬の写真集に出てくる犬たちは、みんな一重の尻尾なのだという。しかし、それは仕方がない。こういう風に育ってしまったのだから・・・それに二重巻き尻尾の犬は、何処か愛嬌があって良いと自画自賛をしている僕なのである。別に「秋田犬品評会」に出る予定もないし、時々、自分の尻尾をくるくると身体を回転させながら追いかけて、口にくわえるのは遊びを兼ねたストレス発散には良いものだ。この時、一重の尻尾だと、すぐくわえることが出来てしまうのでおもしろくない。その点、二重の尻尾だとしっかりと堅めに巻かれていて、思いっきり身体を曲げてくるくると回らないと、なかなかくわえることが出来ない。その分、自分の尻尾で長く遊ぶことが出来るのだ。犬の遊びが少ないこの冬の季節、二重巻き尻尾には大変に感謝をし、重宝している僕なのであった。

12月5日 くもりいちじゆき
昨日は辺り一面が雪で真っ白だったのだが、今日はベトベトに雪が溶けて、シャーベット状になっている。だけど、相変わらず寒い。御主人などは、「いつもの年より寒いのじゃないか」と言っているけれど、それは御主人の勘違いというものだ。犬の僕から言わせてもらうなら何時も通りの寒さである。強いて言うなら、御主人が、それだけ歳をとって耐寒性が無くなったって言うことかもしれないね。おっと!!言いすぎてしまったかもしれない・・・はぁぁ〜御主人がこっちをにらんでいるよ。今日の御飯の量に影響しなければいいのだけれど・・・

12月4日 ゆきがふったりやんだり
朝早く、御主人がやってきたときの外の風景はいつもの見慣れたものだった。御主人は、僕の様子を見ただけで何処かへ行ってしまった。そして、しばらくたって「ムツ、散歩に行くぞ!!」という声でウキウキしながら犬小屋を飛び出すと、外は一面真っ白な雪景色だった・・・僕は一瞬、違う世界に来てしまったのかと思った。わずか30分足らずの内に風景が変わってしまうなんてと、御主人も驚いている。まぁ、僕としては犬の性質上、雪が降るとはしゃいで見せなければならないことになっているので、その通りにした・・・・と、言うわけで5センチほど積もった雪の中の朝散歩になったというわけなんだ。

注・・・雪が降ると犬がはしゃぐ・・・とは、「雪やこんこ、あられやこんこ云々・・・」という童謡が出来てから、犬は、はしゃがなければいけないようになってしまったのだという。ちなみに猫さんは、コタツの中で丸くならなければならない。

12月3日 あめのようなゆきのような・・・
一転して冷たい雨である。時々、雨に雪が混じりあたりが真っ白になることもあった。その雨が静かに降っている。僕は犬小屋の中に閉じこもっている。朝も夕方も散歩は無理だった。この雨に打たれてしまうと、しっとりと毛皮の奥にまでしみ通りそうな重い雨なのであった。
ところで、人間の世界には「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉がある。意味は違うけれど犬の世界にも五感が似たような言葉がある。「老犬は食わず・・・・」という言葉である。この語源は古く、日本で言えば縄文時代に僕達の先祖が人間と友達になった頃に発するという。ただ残念なことは「老犬は食わず」に続く言葉が長い年月の間に失われてしまったことだ。だから、現代の犬たち、僕も含めてだけれど、この言葉に続く意味を探ってみようじゃないかという研究会がたびたび開かれている。たとえば「老犬は食わず、ただあさるのみ」とか、「老犬は食わず、ただ悲しく遠吠えをするのみ」等々出てくるが、どれもおもしろくない。今度は人間界にも広く知識を求めようと思っている僕なのであった。

12月2日 くもりのちあめ
夕方散歩に行った。5時前だったのでたんぼ道を歩いていると、市役所の時報オルゴールがなった。僕は何時もこの曲に聴き惚れる。何時聞いても良い曲である。我が故郷のために有名な作曲家が作ったものだという。僕は立ち止まり曲に聴き惚れた。でも、僕は何度も首を右左に不思議そうに傾けなければならなかった。南西方向にある市役所から聞こえてくるはずの曲が四方八方から聞こえてくるような気がするのだ。不思議に思って御主人に聞いてみると、「市役所だけじゃなくて、あちらこちらの市の出張所からも聞こえる」のだという。そして、その音が微妙にずれていたりするのだった。それが又、美しいハーモニーになって、僕は思わず「うぉぉぉ〜ん、おぉぉぉ〜ん、きゅぅぅ〜ん」と側に御主人が居るにもかかわらず遠吠えをしてしまった。普段の僕は人に見られていると恥ずかしいのでしない。遠吠えをしていても、人がやってくると止めてしまう。それが、今日は思わず高らかに歌ってしまった。気持ちよかったけれど、照れくさかったよ。

12月1日 はれのちくもり
昨日お話をした交通安全のお話は、話の主題ではない。僕が何をうらやましがったのかというお話である。話の主題がなかなか見えてこないのでイライラし始めた、この日記を読んでくれている皆さんに端的にお話をしよう。「僕は自由に走ることが出来ることがうらやましいのだ」。僕は何時も、紐で柱に繋がれている。繋いでいないと気持ちに任せて何処へでも行ってしまうからだ。どこかで事故に遭っていないかとか、人に迷惑をかけているのではないか等々と言った飼い主側の心配もわかるけれど、たまには自由に野山を駆けめぐってみたいものだと思う。以前は山などで自由気ままに走り回ったこともあるけれど、この頃の御主人は「山へ連れて行け」というと、春は、蛇や蜂がいるから嫌だという。夏は暑くて虻がいるから嫌だと言い、秋は狩猟で狸に間違われて打たれるから危ないという。冬は、真っ白な僕の身体が雪の中で見えにくいから駄目だという。と、言うわけで、僕は今のところ思いっきり駆け回ることが出来ないというストレスをためながら、朝晩の散歩をしているような状態なのであった。以上、3日にわたった「どうって事でもないような事柄物語」全編の終わりなのであった。