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2002年2月1日発行 No.404 

ディボーション・トレーナースクールの学びと交わり(金田佐久子)

 ディボーションとは、聖書を通して神様の御心に耳を傾け、神さまとの交わりをもつことです。このトレーナスクールの目標の一つは、「自分で」聖書を開きディボーションをできるようになることです。ディボーションの原理と方法を、11回に渡り、総論・各論で学びます。特徴は、黙読だけでなく「ノートに書く」ことです。学んだことを生かしつつ、日ごとディボーションに取り組みます。毎回ノートを見せ、ポイントを教わります。同期の牧師先生の言葉です。「これは、自動車教習所に行くようなものだ。週一度のトレーナースクールが教室の講習で、各自のディボーションが路上教習。一定の期間が必要で、くり返し試していくうちに、いつのまにか体得している」。
 もう一つの目標は、恵みを分かち合うことです。3―4名の小グループに分かれ、15分ほどディボーションでの恵みを分かち合います。そこで、聴き合う中で教えや戒めを受けたり、慰めや励ましを与えられ、神様を共に喜び賛美します。これを体験します。



ディボーションを続ける理由(K姉)

 ディボーションスクールに通うことに決めた動機は、聖書の内容を牧師先生や、本を介して感じ学ぶのではなく、私自身で直接御言葉を感じ理解したいと思い始めたからでした。昨年一年を通して頂いた恵みは数知れませんが、最も大きな恵みはディボーションを学んだことです。毎日の生活が変わり、目的が変わります。より御言葉に近づきたいと願い、時に真に喜んでいる私が居ります。でも、時折、来客や娘の突然の来訪でディボーションが抜けることもありますが、今では大切な時間をもぎ取られた感があります。
 マタイ伝26章41節の主の御言葉に「誘惑に陥らぬよう目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」このことは、私の胸に痛切に響いて参ります。私は弱い者です。罪深い者です。だからこそディボーションは欠かすことはできません。
 神の恵みと憐れみは、壮大なスケールをもって人々を包んでいるのだと知るとき、もっと深くもっと詳細に御心を知りたいと思い、同時に、どうすれば真に主に従ってゆけるのかと考えています。最後に、教会で兄弟姉妹が各自学んだ御言葉の一片一片を持ちより、分かち合う恵みに与ることが私の願いです。



ディボーション・トレーナースクールを終えて(M姉)

 昨年春、講座終了から半年が過ぎました。受講以前と以後でわたしの中に起きている変化の中から、いくつかを紹介します。
1.聖書が読めるようになった。読みたいと思うようになったこと
2.読まないと残念に思い、忘れ物をした感じを持つこと
3.御言葉と御業の奥にあるものに、思いを巡らすようになったこと
4.白紙の状態で、御言葉そのままを聞こうとつとめるようになったこと
5.読むごとに新しい発見と驚きに出会うこと
6.神がどんな方か知りたいと、強く願うようになったこと
7.私が神をどう思っているかに目を向けるようになってきたこと
8.あるがままの自分を見る恐怖心が薄れてきたこと
9.神が存在していること、存在を知らされていることの意味の大きさを実感すること
10.「喜び・感謝・祈り」というが、私に最も「?」だった「喜び」を「あぁ、これを聖書は喜びと表現しているのかな」と思う瞬間があること
11.「証」を素直に聞けるようになってきたこと

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