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2002年4月1日発行 No.406 
巻頭言より

「新年度を迎えて」

                                         島  隆三

「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて、真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」(ヨハネ16:13)
 朝のディボーションの時に示されたみ言葉である。真理の霊とは、今や弟子たちに与えられようとする聖霊であるが、そのお方は、自分から語るのではなく、(御父から)聞いたことを語り、また、これから起こることを弟子たちに告げる、というのである。
 主イエスも繰り返して、自分が語っている言葉は自分の言葉ではなく、御父からの言葉であると言われた(ヨハネ14章他)。
 み子も聖霊も、神であるにもかかわらず、ご自分から語らず、聞いたことを語るというところに、私たちの信じる神がいかなるお方であるかの一つのヒントが隠されているように思う。すなわち、神は全能であって何でも可能であるのに、進んで自らを制限し、へりくだって他に仕えるお方であり、さらに他に聞きつつ語るというコミュニケーションに生きるお方でありたもう。そのようなコミュニケーションの霊によって生まれ、支えられているのが教会であることを新しく示された。また、私自身もそのような神に生かされている一人として、もっと教会の皆さんの声に耳を傾けていく者でありたいと思わされた。

 これから起こること
 これらのことを黙想する中で、私たちの現在と将来に関わることを示されたので、少しばかり皆さんと分かち合いたいと思う。
 2月号に記したように、今私たちの教会には新しい風が吹き始めているように感じる。それは何かと問われると明確には言えないのだが、聖霊によるコミュニケーションがみ言葉を通して、少しずつ深められてきたということではないだろうか。
 私たち教職のチームワークもしっかり噛み合ってきたことを感じるし、4月からは町田さとみ伝道師も協力者として加わることになった。神様は私たちの教会を祝福して用いようとしておられるのではないか。
 私は30年ほど前に老牧師の薫陶を受けて育てられたが、老牧師の晩年の願いは、手弁当で地方の教会を応援したいということだった。が、ご自分の健康が許さず、その夢は充分果たされなかった。また、この夢は老牧師個人のもので、教会のビジョンにまではならなかった。本当は教会の総意としてできたらもっとすばらしかったと思う。
 西川口教会では、昨年和歌山の丸の内教会に応援伝道に行き、それは両方の教会にとって大変恵まれた時であったと思う。交わりは一教会内の交わりだけではなく、教会間の交わりもある。当教会の献身者が全国で活躍しているのだから、これからもそのような教会間の交わりができればすばらしい。
 もう一つは東京聖書学校のことであるが、献身者を次々と送り出してきた私たちの教会が、現在は牧師を東京聖書学校の校長として送り出している。このことも決して偶然ではなく、神様の深いご計画のうちにあることではないか(そうでなければ、私のような神学校も出ていない者が、校長に選ばれるだろうか)。これも教会の皆さんに積極的に受けとめていただいて、ただ牧師が個人的に関わるのでなく、教会の総意としてこの務めに当たらせて頂きたいと思う。学校の課題はいろいろある。これらのことも皆さんと分かち合って行きたいと願っている。

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