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2002年8月1日発行 No.410
巻頭言より

「秩父にて」

                                         島  隆三


 ホ群の首都圏夏期聖会が秩父で行われた。今年は関東の夏期聖会としては、通算50回目の記念すべきものであった。私は仙台から上京した1968年の夏以来、香港での6年間を除いて30回ほど出席しているが、聖会にもいろいろ変遷があり、すでに天に召された先輩達の声も耳に響いてきて懐かしい。最も人数が多く盛んだったのは、1970年代であった。奥多摩の古里(こり)で何度も開かれたが、会場となったのは東京都の水源のひとつ、小河内ダムの建設のために建てられた飯場を改造した極めて粗末な宿舎であった。今日は立派なホテルが会場となり、快適な冷房施設が整った中で聖会が持たれるが、30年前を思うと隔世の感がする。
 私は1980年に東京の教会の会堂建設が終り、少し疲れを覚えて静かなところで祈ろうと決意して、秩父の三峰神社の宿坊に泊めてもらったことがある。当時、秩父教会に藤田亀士郎師がおられて、私を小さなバイクの後ろに乗せてロープウェイの駅まで運んでくださった。師は数年前に天に移されたが、あの親切を今も忘れない。お陰で最終便に間に合って、夕闇迫る三峰山の山並みを眺めながら宿坊に着いた。ところが、そこは期待した静かな場所ではなかった。賑やかに宴会が始まって祈るどころではない。仕方なく布団をかぶって早々と寝てしまった。
 翌朝早く起きて、山に祈りに行った。山は見事な杉の大木が林立し、カナカナ蝉の声も納まったのか、恐ろしいほどに静まりかえっている。前夜は宿坊の騒がしさに祈れなかったが、今朝は余りの静けさにかえって祈れない。声を出すことが憚られるようで、それでは黙祷ができるかというと、心の中が騒がしくてなかなか祈りにならない。せっかく祈りに行ったのに、結局大した祈りもできずに帰ってきてしまった。帰りは秩父教会で主日礼拝のご用もさせて頂いたが、あまりお話することもなかったので大きな声で一つ賛美した。それが私にとって一番大きな力になり、慰めになったのを覚えている。
 私たちは環境が整わないから祈れないと思いがちだが、本当はそうではないだろう。祈ろうと思えばどこででも祈れる。歩きながらでも祈ることは出来る。だから、祈りを妨げているのは他ならぬ自分自身であり、そしてサタンであろう。サタンの巧妙な誘惑に負けないために、「主よ、祈り心を与えてください」と祈る必要がある。
 あれから20年余りが過ぎて、今回主の導きで初めて秩父で夏期聖会が開かれることになった。会場となった「美やまホテル」は渓流のせせらぎが聞こえるような静かな所で、宿坊でも山でも祈れなかった私に、神が備えてくださった祈り場であった。聖会で祈り、分団でも心を合わせて祈り、祷告会(早朝、祈りの課題を持ち寄って祈る)でも祈り、部屋でも静江と共に祈ることが出来た。聖会も恵まれて、一回一回のメッセージが心にしみた。私もその一こまを担当させていただき、不充分ながら示されるままに語らせて頂いたことも感謝であった。特に、秩父教会の皆さんが心を込めて私たちを迎えてくださったことは、大きな喜びであった。鵜沼牧師を迎えて4年目、教会も新しい装いをして、新たな教会形成に取り組んでおられる様子が伺われて感謝であった。
西川口教会からも今回6名で参加できたこともうれしかった。これら諸々のことを覚えて神に感謝する。これから続く夏の諸集会を覚えて祝福を祈りたい。
 

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