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2002年11月1日発行 No.413
巻頭言より

修養会の発題より
                                         島  隆三

 交励会主催の一泊修養会が碓氷峠くつろぎの郷で行われ、17名で楽しい恵みの時を持った。寝食を共にする中で、普段はなかなかできない語り合いが自然にできるところがすばらしい。テーマは「高齢者問題」だったが、それに限らず自由に語り合った。私にも発題の機会を与えていただき、しばらく心に温めてきたことを率直に語らせていただいた。皆さんがどのように受けとめられたかわからないが、これは、今後の教会の進むべき方向とも関連しているので、修養会の発題に止めないで、この巻頭言に書かせて頂くことにしよう。

1.牧師の高齢化
 教会の高齢化は牧師の高齢化でもある。聖路加病院の日野原重明先生によれば、60代はまだ老人とは言えず、牧師で言えば、一番脂が乗って主に用いられる時かもしれない。しかし、教会のお荷物になる前に、牧師の高齢化の問題は牧師も教会もしっかり考えておかねばならない。
 私の考えでは、牧師の老化も個人差があるので一概には言えないが、年金が受けられる年齢に達したら、それまでの経験を活かして開拓伝道をするか、経済的に牧師を迎えられない伝道所や地方の小教会に行くのがよいと思っている。それを実践しておられる先輩達もいるが、私自身もそうさせて頂きたいと考えていた。が、私個人の場合、東京聖書学校の教師を兼ねているので、地方に出ると学校の教師を続けることは難しい。学校も若い人達に委ねるのがよいとも思うが、現状を見るともう少しやらねばならないとも思われる。ここが私にとっての一つの祈りの課題である。

2.教会の課題
 9月号の巻頭言にも少し書かせていただいたように、ここ10年、教会のビジョンを皆さんと共に祈り求めてきたが、私自身は横山先生が三十年記念誌に書かれた「今後の展望」の初めに戻って来たように思う。少し引用すれば、
 「まず第一に伝道の教会としての使命を再確認しなければならない。『もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである』とのパウロの情熱を教会全体に漲らせて行きたい。伝道しない教会は、停滞し始めた溜水と同じで腐敗が始まる。教会は時に以前よりは賑やかになるかもしれないが、そこはどこかのクラブかサロン以外の何ものでもなくなる。伝道のビジョンに燃え、戦うべき敵サタンがはっきり見定められている時、教会は祈りに満ち、霊的一致と福音の力強い前進を見ることができる。」(「ビジョンに向かって」より)
 これはどこの教会にも当てはまることであるが、救霊を第一の使命としてきた私たちの教会には特に肝に銘じるべきことであると思う。教会の前進もさることながら、何よりも『福音の前進』(フィリピ1:12)を祈らなければならない。
 西川口教会の教勢はここ20年以上ほとんど横ばいである。それは皆さんもお分かりのように色々なことを試みても、現在の会堂では大体収容の限度にきているということである。しかし、これを拡張することは容易ではない。無理に会堂の拡張を考えるより、新しい開拓伝道を始めることではないか。そこに主の御心があるのではないか。私は去る関東アシュラムに出席して、そのことを新たに示され、たまたま臨席に座られた横山先生に祈っていただいたのである。高齢者問題と開拓伝道の関係についてはここに書く紙面がなくなったが、これらのことについても、皆さんと膝を交えて語り合うことができたらと願っている。

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