2002年11月1日発行 No.413 

礼拝とディボーションの関係(金田佐久子)

少し前になるが、教会でのある集まりで「教会の目標や年度目標を覚えているか。教会の活動はそれに沿っているか」と問いかけたことがあった。教会の目標の第一は「主日礼拝を大切にする教会へ」である(教会の目標は総会資料・月間予定表に書いてある)さて、皆さんから見ると、「金田伝道師といえばディボーション」という図式らしいが、そのことは、教会の目標、年度目標に対してどうなのか。ある方からは「ディボーション以前に、礼拝をもっと真剣にささげるべき」というご指摘もいただいた。一方、ディボーションに忠実に取り組めば、礼拝者として整えられていくということもお伝えしたい。なぜなら、ディボーションに礼拝の要素がちりばめられているからである。神に心を開く。謙遜に御言葉に静聴する。自分の生活に適用し、従順に実践する。恵みを分かち合い、主をたたえる。これらは礼拝においても、ディボーションでも実現する。ディボーションが身に付けば、主日礼拝における、生ける神との交わりをおそろかにするはずがないのである。今、わたしたちはその途上にある。

トップページに戻る西川口だよりに戻る