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2003年6月1日発行 No.420
巻頭言より

積極的言動
                                         島  隆三

 「信仰生活」Uを書くに当たって、辻宣道師がかつて当教会の修養会で語られた講演の概要を読んでみた。なかなか説得力があっておもしろい。この講演は、どうしたら日本の教会が真実の教会になるか、御自身が仕える静岡草深教会での長年の実践を踏まえて語られたものである。講演の四つのポイントは、
1、個人的信仰から教会的信仰へ。
2、反省的信仰から決断的信仰へ。
3、自己を救う信仰から他を救う信仰へ。
4、受ける信仰から献げる信仰へ。
 第一のことは、信仰はみな個人から出発して、教会の交わりの中で次第に教会に目が開かれてくるのだから、信仰生活の継続の中で自然に身について来るものとも言えるが、辻師によれば教会そのものが個人的信仰の域に留まって、教会的成熟に至っていない例が多い、特に、ホーリネス教会は個人の信仰を重視するが、それが必ずしも教会を建て上げる力になっていないという。師は日本のホーリネス教会の創始者であった中田重治の孫として、その長所短所をよく知った上での言葉であったと思う。
 しかし、私にとって特に耳が痛かったのは、第二のポイント、即ち、「反省的な信仰」では不充分で、「決断的信仰」こそ教会を建て上げるものだという点である。
 反省は大事である。反省は成熟した人間がすることで、幼児性の強い人は他を非難するが自分を反省しない。一日の信仰生活でも反省すべき点は多々ある。時間や金の使い方は適切であったか、自分が語った言葉はどうだったか等々、誰しも多くの反省をしているだろう。しかし、「ああダメだった」で終るのではなく、「次はこうしよう」という積極的一歩を踏み出すことが大事である。
 先日も、川口リリアで開かれる「クリスマスの夕べ」について懇談会が開かれた。牧師だけでなく信徒の皆さんにもお集まりを願ったが、やはりここでも「反省的」発言が多く、積極的な発言は少なかった。これが日本のクリスチャンの特色ではなかろうかという印象を受けた。もちろん、懇談会に足を運んで下さる方々なのだから、みな積極的に関わろうとしている方々ばかりである。少しでもよいクリスマスを開きたいが故の発言であることはよくわかる。しかし、でき得べくば、「こうしてみてはどうでしょうか」とか、「私はこういうことならできるのですが」という積極的な発言が聞けたら、出席者のみんなが励まされたことであろう。
 これはどんな会にも当てはまることで、ダメだ、ダメだと言っていたら、皆がますます萎縮していく。パウロ先生のように、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」とまでは行かなくても、小さな一歩の前進が欲しい。辻師の講演にあった盲目の姉妹が喜んでトイレの掃除を引きうけて、そのエキスパートになられたという証しはすばらしいと思った。香港でも掃除に使命感を感じる姉妹が来られて、教会の台所やトイレが見違えるようにきれいになったことなども懐かしく思い出された。
 そこでお願いしたいことは、教会の交わりの中で、反省や批判ばかりに終らないで、マイナスをプラスに変えていくような決断的、積極的な発言や行動をお互いに心がけようということだ。使徒パウロも「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」(エフェソ4・29)と奨めている。

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