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2003年8月1日発行 No.422
巻頭言より

生 活 綱 領
                                         島  隆三

  私たちの教会では、原則として毎週の主日礼拝で教団信仰告白を告白している。この信仰告白は、1954年の第8回教団総会で制定されたものである。その同じ総会で「生活綱領」も制定された。しかし、これを何人の人が知っているだろうか。私の信徒時代、仙台の教会では時々礼拝でこれを朗誦した。今も、その節々が記憶に甦ってくる。


「生活綱領」
 われわれは、神の恵みにより父と子と聖霊との名においてバプテスマを受け、主の体なる教会に入れられた者であるから、すべての不義と迷信とをしりぞけ、互いに主にある兄弟姉妹の交わりを厚うし、常に神の栄光のあらわれるように祈り、つぎのことを相共につとめる。
一、教会の秩序を守り、その教えと訓練とに従い、聖日礼拝・祈祷会その他の集会を重んじ、聖餐にあずかり、伝道に励み、時と財(たから)と力とをささげて教会の維持発展につくすこと。
二、日々聖書に親しみ、常に祈り、敬虔・純潔・節制・勤労の生涯を全うすること。
三、家庭の礼拝を重んじ、家庭の和合を尊び、子女を信仰に導き、一家そろって神に仕えること。
四、互いに人格を重んじ、隣人を愛し、社会の福祉のために労し、キリストの正義と愛とがあまねく世に行われるようにすること。
五、神の御旨に従って、国家の道義を高め、国際正義の実現をはかり、世界平和の達成を期すること。
 願わくは神われわれを憐れみ、この志を遂げさせたまわんことを。アーメン


 言葉は古いが、信者としての日常の務めを簡潔に言い表していると思う。五項目に入るに先立つ前文では、個人としては「すべての不義と迷信とをしりぞけ」、教会では「互いに主にある兄弟姉妹の交わりを」大切にし、すべてのことを通して「神の栄光のあらわれるように」祈るという三つのことを確認している。
 次に、第一項は教会生活の要点として、
1、教会の秩序、2、その教えと訓練、3、礼拝・祈祷会等の集会、4、聖礼典、5、伝道、6、時・財・力の奉献がうたわれている。
 まず、教会の秩序については、私たちプロテスタント教会は万人祭司制であるから、教職・信徒の上下の区別はない。ただ役割が違う。教職は信徒を整えて、余念なく主に奉仕する手助けをする。また教会には、役員や教師など、その賜物を活かして奉仕する兄姉が立てられている。信徒はそれらの兄弟姉妹を重んじ、覚えて祈らねばならない。
 次に「教えと訓練とに従う」というところで、はたとペンが止まった。これが東京聖書学校ならわかる。毎日、講義があり、また早天祈祷会から始まる諸訓練がある。将来の牧師、伝道師となるために教えと訓練を受けることは当然である。しかし、私たちの教会で果たしてどれほどの教えと訓練がなされているだろうかと考えたのだ。自分が今まで関わった教会を思い浮かべても大差はないと思った。ところが、数年前に訪れた韓国のサラン教会は、様子が全く違っていた。「弟子訓練」というプログラムがあって、サラン教会員の大半はそのプログラムに従って「教えと訓練」を受けていた。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)という主イエスの命令に従うためには、弟子訓練が必要だというのが、玉 漢欽(オク ハンフム)師(サラン教会主任牧師)の考えであった。私も玉師の講義を聞きながら、これが本来の教会ではないかと思った。日本の教会はそこまでできていない。しかし、私たちの教団もそれを目指していたのかと改めて思った。

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