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2004年2月1日発行 No.428
巻頭言より

使命共同体
                                         島  隆三

 前号には『祈りの教会』に成長して欲しいと要望を書きました。その例として札幌と仙台の母教会を引き合いに出しましたが、今号には香港JCFを書かせていただきます。

 香港JCF
 私たちは当教会に来る前の六年間、主の導きによって香港JCFで働きました。ここは当時香港にあった唯一つの日本人キリスト者の群で、全くの超教派でした。メンバーの多くは香港に駐在する銀行マン、商社マンやその夫人たちで、長く留まる人は少なく流動の激しい群でした。毎週のように旅行者を礼拝に迎え、また、東南アジア各地で奉仕するワーカー(医者や看護婦等)や、所用で香港を訪れる牧師など多くの客を迎え、空港への送迎は数え切れないほどでした。香港は、まさに出会いの場であったと思います。 
 香港JCFの使命の一つは、東南アジアで働く宣教師やワーカーたちを覚えて、毎週の礼拝の司会をするH兄(JCF創立以来の議長)は一人一人名前を挙げて祈り、また毎年のバザーの収益は全額ワーカーたちに送りました。ですから、彼らとの交わりは自然と深められたのです。H議長はJCFをワーカーたちの兵站基地(戦場の後方にあって食料・弾薬などを補給するところ)とする位の意識があったと思います。
 もう一つのJCFの特色は、超教派という性格から信仰の様々な背景を持つ人々が出入りして、どんな人々も主にあって互いに受け入れる群であったということです。「これでもクリスチャンか」と思う時もないわけではなかったでしょうが、あとから振り返ってみると、香港ならではの貴重な体験だったと思います。そこで信仰に導かれて帰国する者、また、日本の母教会に戻る者が、JCFでの経験を生かしながらよい奉仕をしていることを耳にする時、とても嬉しく思います。

 私たちの教会
 そのことと私たちの教会とどんな関係があるかと思われますか。あると思います。
 まず、西川口教会は横山義孝師によって開拓された教会であることは皆さんよく御存知と思います。横山師と静子夫人は、神戸神学校(現在の関西聖書神学校)に学んだ方々です。つまり超教派の福音系神学校から日本基督教団の牧師になられた少数者のお一人です。そして、四十年ほど前から教団のホーリネスの群との交わりが生れました。ですから、教団の教会の中でも福音的で超教派色の強い教会であることは間違いありません。
 私が当教会に来て何年目でしたか、しばらく途絶えていた超教派の近隣牧師会を同志と共に再開しました。以来、この県南四市牧師会の事務局長を務め、諸教会の協力のもとに市民クリスマスを実施してきました。私自身も福音系の先生たちとの交わりには何の違和感もなく楽しく、また先生たちも私を信頼してくださいました。不十分なことは多々ありましたが、私にとっては大きな喜びでした。 
 もう一つは、私たちの教会の特色ということです。この教会に一番ふさわしい言葉は「使命共同体」ではないでしょうか。初代の横山師も2代目の三枝師も教会の使命(目的)を掲げ続けて、私たちもそれを受け継いで今日まできました。教会の使命は、み言葉にさかのぼれば過日の説教でも語ったように、「宣べ伝えること、教えること、隣人に奉仕すること」(マタイ4・23、9・35)の三つです。この働きを支えるのが礼拝であり、祈祷会であり、また、個人のディボーションです。荒削りであっても魅力的な、生き生きとした教会として今後も進んで欲しいと心から願っています。「収穫は多いが働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(同9・38)

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