トップページに戻る西川口だよりに戻る

2004年3月1日発行 No.429 
巻頭言より

“最も大いなるものは、愛”

                            島 隆三

 私たちがこの教会に迎えられてから14年、一度も休まないでこの月報が発行され続けたのは担当の役員と編集委員の努力の賜物と敬服します。お陰で私も休まず巻頭言を書き続けて、いよいよ最終号になりました。そこで、最後に書きたいことは、私が伝道者になって最初に迎えてくれた更生教会のことです。
 ホーリネス教会の長老のひとり、安倍豊造先生がすでに30年牧会された教会の副牧師として迎えていただいたのです。朝早く起きて庭掃除をし、礼拝堂の雨戸を開けるくらいが私の仕事でした。妻は幼児園の保母になって結構忙しかったのですが、私は暇でした。安倍先生は私を一人前の伝道者にしようとして色々教えてくださいました。かつて東京聖書学校の教授であった先生が、牧会学とか説教学を東京聖書学校に行けなかった私のためにマンツウマンで教えてくれました。それなのに、たった一人の生徒が時々居眠りするのでは、先生も張り合いがなかったでしょう。
 主日礼拝の説教をさせられたのは初めはほんのわずかで、その内に先生の前座を務めるとか交代でするようになり、先生が病で倒れてからは責任を持つようになりましたが、どれだけ先生を失望させたかわかりません。先生が説教の時は私が司会、私が説教の時は先生が司会をしてくれましたが、時々私の説教に退屈して講壇で内職を始められるのには弱りました。しかし、それも若い伝道者の訓練のためだったでしょう。
 先生が狭山の伝道所や家庭集会に行く時はいつもかばん持ちで、そんな風にして伝道者の呼吸や生き様を学びました。 
 教会の兄姉は役立たずの若い伝道者をいつも温かい目で見守ってくださり、私がまずい説教をしてしょげていると、わざわざ「あの言葉で力づけられました」と帰り際に声を掛けてくださるのです。そういう一言にどれだけ励まされたかしれません。
 特に初め三人しかいなかった役員の兄弟たちは、全面的に私を支援し、支えてくれました。愛は温かいばかりでなく、時には厳しく叱らねばならないこともあるでしょう。しかし、どんなに思い出そうと努力しても、兄弟たちから叱られたり注意された記憶がないのです。誰にも話してはいませんが、私の不注意で幼児園のお金を盗まれたことがありました。その時も私の失敗を一言も責めず、私達が至らなかったからだと、役員の兄弟が黙ってかなりの額を補填してくれたのです。一事が万事です。過日、兄弟の葬儀に参列し、それらのことを思い出して涙しました。
 「愛は寛容であり、愛は情け深い」とありますが、私は説教するだけだったとしても、それを実践してくれたのは兄弟たちでした。「愛は多くの罪を覆うからです」(ペトロ第一4・8)ともあります。
 気持はあっても力が足りないのが若い者の特徴です。ですから、先輩は若い者を温かい大らかな目で見ることが大事ではないでしょうか。そうでないと萎縮して、伸びる芽もつんでしまうことになりかねないのです。
 私は駆け出しの伝道者時代、老牧師とその牧会のもとに、愛の教会からスタートできたことを主の深い憐れみと受けとめ、今も主に感謝しています。
 最後に、西川口教会の愛兄姉の14年間の主にある温かい交わりと支えを深く感謝し、美しい「愛の賛歌」の終りの一節をもって、巻頭言を閉じさせて頂きます。
「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリント第一13・12、13)

トップページに戻る西川口だよりに戻る