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2004年7月1日発行 No.433 

教会の目標について(2)

                            金田 佐久子
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソ1・23)

 前回は、西川口教会の目標の成立過程をごく大雑把に概観しました。1994年度から次の6つに整えられました。
 1.主日礼拝を大切にする教会へ
 2.聖書に親しみ常に祈る教会へ(祈祷会を大切に)
 3.各自の賜物がよく活かされる教会へ
 4.次世代への信仰の継承
 5.受けるより与える教会へ
 6.地域に奉仕する教会へ
そして今年で、十年経とうとしています。
 教会の目標が、教会員一人ひとりにとってどのような意義を持ってきたか、目標を達成する具体的な方策は何であるのか、との問を前回掲げました。
 十年を振り返ってみて、自分自身に関して正直に告白すると、年度の基本計画が書かれている総会議案書は、教会総会が終れば本棚へ直行、教会の目標も覚えていませんでした。とはいえ、十年前の私は、礼拝や水曜の祈祷会にほとんど休まず出席し、教会学校教師であり、アンデレ会の会員でもありました。つまり、教会の集会や奉仕にどちらかと言えば積極的に参加していても、教会全体を見渡す視野や問題意識を持っていなかったといえます。主任牧師と役員会が提示した基本計画、目標を共有していませんでした。
 変化が起こったのは役員に選ばれたことがきっかけでした。奉仕をして、初めて「教会」を意識するようになりました。今まで当たり前のように感じていた教会の働きが、役員会を中心に検討され進められていることを、その一員になってようやく自覚するに至ったわけです。役員に選ばれなければ気づかなかったかもしれません。どのように教会全体で共有できるのかとの問いがでてきます。
 もうひとつ私自身に「教会」を意識させる出来事がありました。前任者の島隆三牧師が、93年から日本教会成長研修所の研修生となられたことです。先生が、学んだことを分かち合い、西川口教会の将来の方向を探っておられる中で、いつでしたか、率直に「『西川口教会はこれでいく』というものが見出せない」とおっしゃいました。模索することの大変さと、主の前に生きる真摯な態度に、ハッとさせられました。主任牧師がそのように述懐せざるをえない現実とは、一体何だろうかと思わされました。
 模索しつつ、具体的な方策がなされてきました。特筆すべきことを挙げると、94年度のヤング礼拝のスタートがあります。今年度より賛美礼拝に継承されました。「礼拝を大切に」・「信仰の継承」への取り組みといえます。そして、島隆三・静江両牧師の、米国セルチャーチの研修(95年)、韓国サラン教会の研修(97年)、その後小牧者コンベンション・ディボーショントレーナースクール(DTS)への参加を経て、西川口教会でのDTS開講に至りました(二〇〇二年)。「聖書に親しみ、祈る」生活を始めた人が起こされています。「地域への奉仕」については小羊会、火曜会が始まり、AAグループへの会場提供もなされました。静江牧師の「何をするにも十年、じっくり続けること」というお言葉が印象に残っています。その言葉どおりに、担い手が起こされ、働きが引き継がれています。
 こうして振り返ってみると、教会の目標を覚え、さまざまな取り組みがなされてきたことを確認できます。そのことと、教会員一人一人の成長と、教会の成長にどう結びついてきたのか、探っていきたいと思います。

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