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2004年9月1日発行 No.435 

教会の目的について

                            金田 佐久子

教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。(日本基督教団信仰告白より)
 
 教会の目標について考えてきましたが、今回は、教会の目的について、すなわち「なぜ教会があるのか」を、共に考えてみましょう。もし皆さんが「教会とは何ですか、教会では何をするのですか」と質問されたら、どのように答えますか。
 毎週一般礼拝で告白している、日本基督教団信仰告白を借りれば、教会とは「主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひ」、すなわち「集まり」です。教会は何をするかといえば、@公の礼拝を守り、A福音を正しく宣べ伝え、B聖礼典を執り行い、C愛のわざに励む、ということです。言い換えれば、教会の目的は次のようになります。
@礼拝(神を礼拝するために)
A伝道(福音宣教のために)
 これらは文字通り理解できるでしょう。
B交わり(交わりのために)
「聖礼典を執り行ひ」とは「交わり」を指すと理解してよいでしょう。聖礼典とは洗礼と聖餐です。洗礼を受け教会の一員になり、聖餐にあずかり、共にキリストの命に養われます。聖礼典は教会の交わりが今・ここにあるしるしです。それは、相性とか考えが合う合わないなど、自分の気持ちを基準に左右される関係ではありません。
C奉仕(仕えるために)
「愛のわざに励む」とは、愛することです。十字架に至るほどにわたしたちを愛された主です。ですから、主の教会は、仕えられるためではなく、自ら神と隣人に仕えるために存在します。
 昨年11月16日の島先生の週報短文から、教会の使命について引用します。「先週の初心者会で、教会の使命について共に学びました。それは聖書から四つのこと、すなわち、@交わり、A宣教、B教育、C奉仕であると。その中のどのひとつも欠くことはできません。それらがバランスよく行われて、健全な教会であるということができるでしょう」。使命は目的といえます。もう一つの目的は、 
D教育(信徒を養い訓練するために)です。 
 日本基督教団の信仰告白では、教会の目的に「教育」が含まれないことになります。「行ってすべての民を私の弟子にしなさい。・・・命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28・19〜20)との主の命令から、教育もまた、教会の目的の一つであることがわかります。キリスト者は主の弟子です。弟子とは師に学ぶ者です。教会は、地上に働くイエスの霊(聖霊)を通して、御言葉によって弟子たちを養い育てます。知識の伝達ではありません。キリストに向かって品性・人格が変えられていくことです。
 神は主の弟子たちを通して働き、使命を果たすために、地上に教会を存在させています。しかし私は最近まで、教会とは何か、教会の使命とは何かをわきまえていませんでした。
 2000年4月に西川口教会の伝道師となり、島両牧師との共同牧会が始まりました。先生方の細やかな配慮や、伝道への熱心も模範となりましたが、何よりも「思い切りやりなさい」と、私に自由を下さったのが大きいことでした。そして学びに出かけました。
 2001年春、大宮教会でのディボーショントレーナースクールの受講、これによって聖書の読み方が新しくされ、主との交わり、主にある交わりに目が開かれました。同年5月のサドルバック教会「目的に主導される教会セミナー」への参加、2002年7月のサラン教会「弟子訓練指導者セミナー」への参加、毎年1月の小牧者コンベンションへの参加。許された学びの一つひとつが、今に至るまで私の内で働き、形になろうとしています。それは「教会の再発見」という過程です。教会とは、建物や制度ではなく、キリストの体、信仰共同体です。神に呼ばれたわたしたち一人ひとりの再発見ということです。

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