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2005年11月1日発行 No.449 

教会創立55周年に思う

                            金田 佐久子

 11月第一主日は「聖徒の日」。先に地上の生涯を終え、天に召された教会員と関係者の皆様方と共に、「召天者合同記念礼拝」をささげます。そして、11月13日には、初代牧師の横山義孝先生をお迎えして、教会創立55周年記念礼拝をささげます。わたしたちが礼拝する神は、ご自身がお選びになった民と共にいます御方であり、死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる(ローマ4・17)御方です。主がその名を呼び、ご自身の体である教会の部分とされた方々と共に、礼拝をささげられますよう、祈り待ち望んできました。

  川口の地に教会を
 西川口教会のルーツは、浦和別所教会の林つる姉宅の家庭集会にあります。林姉の「川口の地に教会を与えてください」という祈りが実を結び、林姉宅を事務所とした「川口栄町伝道所」に、神学校を卒業された横山義孝師が就任されました。この1950年(昭和25年)が教会創立の年になります。2年後には、専用の会堂を建築、献堂し、「川口本町教会」となりました。
 数年前、島隆三牧師と共に、林つる姉をお見舞いした時のことを思い出します。今にして思えば、林姉とゆっくりとお話できた最後の機会でした。その中で、「川口には川口教会があったのに、わたしはそのことを知らなかったのね。どうしてか浦和に行ったのね。それで浦和別所教会を見つけたのね。どうして導かれたのか、不思議でね。本当によく浦和別所教会の青年の方々が川口まで伝道に来てくれました」と懐かしそうに語られた言葉が印象に残りました。
 
  西川口の地へ
 2000年に発行された「西川口教会創立50周年誌」には、伝道開始10年目の3月に、横山義孝牧師は聖霊体験を通して召命が不動のものとなり、新たなビジョンが与えられたと記録されています。そのビジョンとは、第一種教会設立であり、新会堂建築でした。
 横山牧師夫人、静子師の寄稿文から、会堂建築の様子をうかがい知ることができます。「神様は、そこから西川口の地に引っ張り出しました。今は、教会の中心人物でいらっしゃる方々も、まだ、中学生でした。財産もなく、地位もなく、そんな中に、西川口の地に出ていくのは冒険でした。会堂建築は、皆の心が一つにならなければ出来ない大仕事です。これは、神様がなさる大冒険です。私達に声をかけられました。私達は、それに応答して従っていかなければなりません。・・・私達も弱い一人一人でしたが、一致協力して主のみ声に従ってまいりました。一軒ずつ尋ねて、教会の為に献金をお願いしました。教会がこの地に建てば、この地が祝福を受けるのです。この西川口の地を、祝福して下さいと歩いた事を思い出します・・・。」(50周年誌より)
 こうして、1946年(昭和39年)十二月に現会堂は献堂され、名称も「西川口教会」と改められ、この西川口の地における宣教が開始されました。

  神の導きに信頼して  
 その後西川口教会は、三度の牧師交代を経験しました。それらも大きな転機でした。会堂建築や牧師の交代は教会総会において意志決定をし、記録に残る大きな出来事です。
 一方、林姉が浦和に行かれたこと、現会堂のために献金をしてくださった地域の方々があったことなど、人の目には小さく思えた選択や記録されない出来事も、今の西川口教会につながっています。もし林姉が川口教会に導かれていたならば、今の西川口教会があっただろうか。そう思うと、神の導きの不思議さを覚えるのです。自分の西川口教会との出会いや信仰生活を振り返ってみても、そこに神の導きを見ます。
 今、わたしが心に留めている御言葉の一つはローマの信徒への手紙11章29節「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」。怠慢をお詫びしますが、この御言葉に希望をおいて、まだお目にかかっていない方、久しく礼拝をささげておられない方、神に呼ばれ教会の部分とされた方々に届きたいと、今強く願わされています。創立55周年を契機として、取り組んでいきます。

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