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2006年 9月1日発行 No.459
日々新たにされて
金田 佐久子
敬老祝福式によせて
西川口教会では毎年9月に敬老祝福式を行っています。70歳以上の教会員と関係者の方々に、主日礼拝で祝福を宣言し、午後は、祝福された方々を囲んで愛餐会をもちます。
日本は高齢社会となり、教会では敬老祝福の対象者も増えました。対象年齢の引上げが提案されたこともありましたが、「多くの病や苦しみを経験してまさか自分が70歳まで生きられると思わなかった。70歳で祝福を受ける喜びがある」という声を聞き、役員会でその思いを大切にしようということになり、現在に至っています。
だからといって、70歳より若くして天に召された人が神の恵みを受けなかったということでは決してありません。人は一人ひとり、この世に生を受けた時から、死に向かう存在です。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記1・21)
ただ、神のご計画によってこの世に生まれ出でさせられ、神の定められた時が来たら何も持たずに帰るのです。その時が来るまで、神の許しの中で齢を重ねるわたしたちです。
完成させてくださる神
神の定められる時が来るまで、わたしたちはどのように生かされていくのでしょうか。使徒パウロがこう語っています。
「たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」(コリント二4・16)
わたしたちの体は日々老いていきます。最近、朝聖書を開く時文字が見えにくくなりました。物質的に恵まれた暮らしをしているわたしでも老いを逃れることはできません。
一方、使徒パウロは、わたしとは比較にならないほど過酷な中を通らされました。「苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」(同6・4、5)。パウロは身も心も痛めました。しかし、「内なる人」(キリストが支配する自分)は昨日よりも今日、今日よりも明日と、日々新たにされていく。この神の現実がパウロの力でした。
神が、わたしたちを日々新たにしてくださいます。自分では「未完」としか言いようのないときでも、最後には神が完成させてくださる。「人生」というレースにキリストは同伴し、同時に、ゴールで待っておられ、神の御前に立たせてくださる。この希望に、教会は今日も生きています。
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