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2007年 4月1日発行 No.466
主の復活の証人
金田 佐久子
2007年度の「主題」
礼拝堂の講壇の壁にようやく今年の主題聖句が掲げられました。礼拝堂の会衆席にお座りになりましたら、じっくりと御言葉を仰いで、味わってください。講壇に掛け軸のある教会はまれですが、これは西川口教会の伝統になりつつあるでしょうか。
2007年の主題聖句(ルカ12・32)は、主イエスが弟子たちに告げられた言葉ですから、主の弟子の共同体である西川口教会(わたしたち)に向かって、主が常に愛を持ってお語りくださっている、という思いがしています。
御言葉に励まされつつ、4月22日の第2回教会総会へ向けて、新年度体制の準備を進めているところです。なくてならぬ大切なものを継続し、小さくてもできるところから始め、より良いほうへ、ふさわしいほうへ進めていこうとしています。
その一つに、2007年度から教会活動方針において、今まで用いていた「年度目標」を「主題」へ、表現を改めたいと考えています。
西川口教会は6つの目標を掲げて十数年となりますが、この目標は継続していきます。「年度目標」は「教会とは何か」という視点から、教会の目標に沿いつつ、2005年度は「礼拝の共同体」、2006度は「交わりの共同体」としました。これらは「教会」という「信仰共同体」を受け取り直す願いを込めたもので、その内容は目標というよりも、教会の「霊的現実」とその段階を指していました。その三年目として、2007年度は主題聖句に基づき「神の国の喜びに生きる主の弟子の共同体」を「主題」として提案したいと願っています。
主の弟子とは
今年の受難週は4月1日より始まり、6日が十字架の主を特に深く思う受難日、8日が主イエスの復活を祝う復活日(イースター)で、イースター礼拝をささげます。わたしたちは、死に勝利し、今も生きておられる主を心から賛美します。
特に心に留めたいのは、この復活の出来事なくして主イエスの弟子ではありえないことです。キリストの弟子であるとは、何よりも、十字架につけられて死んだナザレのイエスの復活の目撃者、復活の証人であることでした。
主イエスを十字架の死に至らしめたのは、究極的には、そのままでは神と共に生きることができない人間の罪でした。主イエスの弟子たちは、自分の弱さのために師である主イエスを見捨てました。わたしも彼らの立場にいたら同じことをしたに違いありません。
しかし、父なる神は御子イエスを死の縄目から解き放って、復活させられました。救い主が死んだままでいることはありえないことでした。罪と死に勝利した復活の主イエスは、ご自分の死につまずき恐れている弟子たちを訪れ、罪を赦し、「あなたがたに平和があるように」と祝福されたのです。主は弟子たちに十字架の意味を示し、聖霊を受けた後、宣教に遣わすと約束されました(ルカ24・45〜47より)。
肉体の目で復活の主イエスのお姿を見たり、耳で声を聴いたりしてはいませんが、わたしたちもまた、主の復活を信じ、復活の証人とされている主イエスの弟子です。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」(ペトロ一1・8)。アーメン!
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