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2007年 11月1日発行 No.473 

安らかに去らせてくださる

                            金田 佐久子

  
 主よ、今こそあなたは、
 お言葉どおり
 この僕を安らかに
 去らせてくださいます。
 わたしはこの目であなたの救いを
 見たからです。(ルカ2・29〜30)


  召天者合同記念礼拝
 11月の第一主日は長い教会の歴史において「聖徒の日」と定められています。西川口教会はこの主の日に、先に天に召された教会員と関係者を覚え「召天者記念礼拝」として、ご遺族の方々もお迎えして礼拝をささげ続けてきました。
 昨年の召天者記念礼拝からこの一年の間、愛する兄姉を天に送りました。昨年12月にはO姉、今年3月にはS姉、5月にはK兄です。記念礼拝ではこの一年間に天に召された方の大きな写真を礼拝堂に置いて、ご遺族の慰めを祈りながら、共に礼拝をささげることにしています。今年の礼拝ではこれら三人の兄姉の懐かしいお顔を拝見しながら、過ごします。天での再会を望みながら祈ります。

  シメオン
 わたしたち自身はどのような死を迎えるのか、考えたことがおありですか。その手がかりとして、ルカによる福音書第2章に登場する老人シメオンを紹介いたしましょう。
 シメオンは正しく信仰が篤く、神が遣わされるキリスト(救い主)に会うまでは決して死なない、との約束を聖霊から与えられていました。
 あるとき、シメオンは聖霊に導かれて神殿の境内に入りました。ちょうどそこには、赤ちゃんのイエスを連れていた父ヨセフと母マリアがいました。彼らは生まれたばかりのイエスのために、エルサレムの神殿に来て、いけにえを献げようとしていたところでした。どのようにしてかはわかりませんが、シメオンは、両親の腕の中にある幼子こそ神が遣わされたキリストであると知りました。そして、イエスを腕に抱き、冒頭の聖書の言葉にあるとおり、神への賛美をささげたのです。

  安らかな死とは
 シメオンの賛美は「これで安らかに死ねます」というものでした。喜んで、そう告白できたのです。なぜでしょうか。「この目であなたの救いを見たから」です。
 ルカによる福音書には、この賛美の後、シメオンが両親を祝福して、さらに母マリアに預言を告げたことが書かれています。「この子はイスラエルの多くの人を倒し、立ち上がらせる。また反対を受けるしるしとなる。あなたも剣で心を刺し貫かれる」。およそ祝福としてはふさわしくないと感じさせられる言葉を述べます。「あなたも」とマリアに言われるのは、イエス自身が刺し貫かれる時が来ることを示しています。
 聖書でいう「祝福」の語源は相手にひざまずくことからきています。「神の祝福」とは、わたしたちの願いが実現することではなく、神がわたしたちにひざまずいてまで肯定してくださるということです。神が人をご自身の祝福に生きるようにしてくださる、それが神の救い目的です。シメオンが「安らかに死ねる」と賛美できたのは、キリストを遣わし、救いを成し遂げようとされる神の決意を目の当たりにしたからでした。
 わたしたちの生も死もその神の祝福に支えられているのです。

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