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2008年 3月1日発行 No.477 

死・葬り・復活の望み

                            金田 佐久子
  
 主イエス・キリストの復活を喜び祝うイースター、今年は3月23日です。
 西川口教会では2005年から春日部墓地改築を巡って協議を重ねていき、昨年2月の教会総会において春日部墓苑改築を決議しました。それからの一年、昨年夏には教会員に三つの改築案(新しいデザイン)を提示し、教会員からの投票によりデザインを決定しました。秋には役所との調整がありました。つい最近は遺骨の移動作業を終えて工事が始められる状態になりました。このように一歩一歩着実に進みました。ここまで導かれた神が、完成に至らしめてくださると信じます。神に栄光を帰すことができますように。
 わたしは月に一度、説教を学ぶために東京説教塾の例会に出席しておりますが、今年の前半は「葬儀説教」を主題として継続して学ぶことになりました。葬儀説教を学ぶことは、教会における葬儀・その意味も学ぶことになります。西川口教会が春日部墓苑改築という具体的な働きを進めているところですから、その神学的な意味を再確認できると期待して学びに臨んでいます。
 「葬儀」と「葬式」の違いについて、「葬儀」というのは臨終の祈りから埋葬までの営み全体を指すこと、「葬式」とはその一部であって特に礼拝式を指すことを改めて知りました。今の日本の教会においては、葬式と埋葬が切り離されている現実があります。
古来、キリスト教会における葬儀は、墓地における埋葬式であり、旧約聖書における葬儀・埋葬以来、土葬が基本でした。古代教会における葬儀は、棺を担ぎ松明をかざし、祈り讃美しつつ墓地へ向かい、墓地でも祈りが献げられ、讃美が歌われ、追悼の言葉が語られ、聖餐が執り行われることもありました。この墓地への葬列は、死の暗闇に対する勝利、復活の命を表す昼間に行われました。その後、教会堂での葬式と墓地での埋葬が分離されるようになりました。さらに、墓地における埋葬が中心であった葬儀が、教会堂における葬式が中心となる葬儀へと変わっていきました。火葬が普及したことも影響しています。
こういうわけですから教会堂における葬式とは、もともとは棺を担いで墓に向うその葬列の途上における祈り・礼拝であって、埋葬と切り離せないのです。
なぜ切り離せないか。教会の葬儀とは、わたしたちの主イエス・キリストの死と埋葬、そして復活の出来事に根ざしているからです。
 主イエスは十字架の上で死なれた後、そのご遺体はアリマタヤのヨセフの墓に葬られました。しかし、主イエスは墓にとどまり続けてはおられませんでした。三日目の朝に、復活させられたのです。主イエスの墓は空になり、復活の命を証する場所となりました。
キリスト者は死んでキリストと同じように墓に葬られます。そしてキリストが再び来られるとき、復活すると教会は信じているのです。

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