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2008年 5月1日発行 No.479 

祈祷会への招き

                            金田 佐久子
 
  教会の中核となる集会は日曜日の主日礼拝ですが、西川口教会では他にもさまざまな集会を開いています。その中で主日礼拝に次いで大切にしているのが祈祷会です。
 永本牧師は月・水・金曜の夜は人工透析に行かなければならないので、水曜日の夜7時半からの祈祷会はわたしが奨励を担当し、木曜午前10時半からの昼間祈祷会は永本牧師が奨励を担当しています。この体制も5年目に入りました。
 どちらの祈祷会も、賛美と開会祈祷、聖書研究とディスカッション、報告や証し、とりなしの祈り、の順で進めています。進行の仕方も参加者の意見を取り入れました。皆で造り上げていく集いです。
 わたしは西川口教会の水曜夜の祈祷会に出席するようになって20年近くになりますが、祈祷会に出席していてよかったと思うのは、牧師や教会の兄姉と親しく交われること、祈ってもらえること、一人で読めない聖書を学べること、疑問もすぐに質問できることでした。水曜夜は週の半ばです。そこで魂が整えられて週の後半に向うことができる良い習慣が身につきました。
 祈祷会に出席するためには、その時間にしていることを断念しなければなりませんが、御言葉にはそれだけの価値があります。牧師は備えて待っています。その恵みをいただけるのです。一方、その時間帯に所用がある人もいます。来たくても来られない人もいますそのような方々を覚えて祈っています。
 祈祷会では、聖書の御言葉の真理を発見する驚き、神を知る喜び、心が刺され戒められることも体験します。独りよがりに陥ることから守られます。神の霊が働いてくださっているからです。「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16:13)とあります。
 現在水曜夜の祈祷会では、旧約聖書からイザヤ書を1回1章ずつ学んでいます。
 先日は51章3節の御言葉が心に迫りました。
「主はシオンを慰め
 そのすべての廃虚を慰め
 荒れ野をエデンの園とし
 荒れ地を主の園とされる。
 そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く」

 主は廃虚を慰める神であられるというのです。驚きました。死んだ町、人が寄り付かない町、人に捨てられた町。主はそこに慰めをもたらし、喜びの歌声を響かせられるのです。この日は久しぶりに二人きりの祈祷会であったことも影響していたかもしれません。寂しいなあ、と感じていましたから。そんなわたしの心に、廃虚が命溢れる場所に変えられるという神の御言葉が飛び込んできました。同時に、死から命へというキリストにある復活の約束が、途方もなくとんでもない約束であることを、改めて思わされました。神の業に対する自分の鈍さを悔い改め、大いなる神の恵みの約束に入れられていることを感謝し、御言葉の真理、神を知る喜びに与りました。

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