2008年5月1日発行 No.479 


裸で生まれ、裸で帰る

永本 慶子

 ある日の早天で「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」に出会った。(ヨブ記1・21)
 今まで幾度となく出会った御言葉であるが、これまでと多少違った気持ちで聞いたのは、年齢的なことも含めて、わたしの中で何かが変化した為だろうと思う。
 まさに裸で生まれたわたしである。しかし、努力すれば富も誉れもある程度手に入ると信じていた。また、人が生きる意味はそこにあると思っていた。
 それは若さゆえの夢や希望ではあったが、欲望であり、願望であり、人はどうなろうと自分だけは・・・・という究極の罪の姿だった。
 しかし、年を経るごとに目標は遠のき、掴んだはずのものさえも、ポロポロと掌からこぼれ落ちて行った。
 若い日には、世の矛盾を呪い、不合理を憤ったが、今わたしは主からの平安のうちにある。
 主の平安は「主が与え奪う」ことへの感謝と、いつかこの世のあらゆるしがらみを脱ぎ捨て、裸で父のもとへ変える希望へと生かす。

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