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2008年 7月1日発行 No.481 

教会―神の家族

                            金田 佐久子
 
 今月は最後の土・日曜に西川口教会ファミリーキャンプが開催されます。今年も奥多摩福音の家で行います。楽しみにしています。
 ところで、どうして教会では共に集まることを大切にするのでしょう。
 教会は神の家族です(エフェソ2・19)。福音書には主イエスの母や兄弟がイエスを呼び出そうとした時に、イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と答え(ルカ8・21)、呼び出しに応じなかったという出来事が書かれています。
 そのことに関して最近読んだ本から印象に残ったことがありました。「牧師―その神学と実践」(W・ウィリモン著)という分厚い本です。著者はアメリカで長く牧師・神学教師であった人です。
 著者が出会った若者たちの中には、両親の離婚や虐待などが引き金となって家庭が崩壊した人たちもいました。キリスト者であっても、夫婦、親子、きょうだいがばらばらになってしまったのです。そのような若者たちにとって、「教会が神の家族である」という言葉が新しい響きをもっている。彼らは喜んでその言葉を聞くのです。自分の家族には絶望しているけれども、主イエスによって集められる新しい家族(教会)がある。若者たちにとってその御言葉が慰めと希望を伴って迫ってくるというのです。著者はそのような若者たちの反応に驚きました。わたしも心を動かされました。記憶に頼っていますので字句どおりではないのですが、そういう内容でした。
 子供礼拝の説教で時々「みんなのお父さんやお母さんはみんなのことを大事にしてくれるでしょう。神様も同じなのよ」と話します。自分の家族から神との関係を理解するというやり方です。大半の人がうなずいてくれますが、それが適わない人もいます。しかし、そのような人々に福音は新しい響きを立てて、ここ(教会)にあなたの家族がいるよ、と示すのです。
 主イエスはご自分の家族をないがしろにされたのではありません。出身、年齢、性別、文化、能力などで分け隔てられることのない神の家族を示そうとされたのです。
 さて、来月には日本基督教団埼玉地区教育委員会主催の中学生・高校生夏期キャンプがあり、わたしも奉仕者の一人です。こちらにも参加者があるように願っています。今年のテーマは「教会」です。打ち合わせのとき、講師より「教会といえば召された神の民、神の家族ですよね」と話が始まり、やがてルカ福音書19章のザアカイの話が出ました。一番大事な言葉は、主イエスがザアカイを見上げて言われた「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(5節)だというのです。ザアカイはイエスを見ようと木に登っていました。主イエスは低いところから見上げて、声をかけてくださる方なのです。主はどん底の十字架まで降りて、そこからわたしたちを見上げて招いてくださる、と語られました。
 わたしはザアカイに自分の姿を重ねました。桑の木の上でイエスを見ようとしたザアカイは、神を知りたいと願いながらも一方で何とか自分を守ろうと距離を置いているわたしの姿のようでした。そんな者に、いえ、だからこそ主イエスは「ぜひあなたの家に泊まりたい」と言ってくださるのです。その招きを心からうれしく聞きました。
 この方が教会の真ん中に立っておられます。この方のもとに集められる教会です。

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