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2008年 9月1日発行 No.483 

主よ、あなたはわたしたちの宿るところ

                            金田 佐久子
 
 今月の28日の午後には、改築工事が無事終了しました西川口教会春日部墓苑において、完成感謝墓前礼拝をささげます。
 5月からの工事が始まってから7月末の完成まではあっと言う間でしたが、着工に至るまで約三年間、教会内において、次いで教会と設計者において、ずいぶん丁寧なやり取りを積み重ねました。積み重ねざるを得なかったとも言えます。主の業に近道などはないのでした。一つ一つの過程が必要であり、折々に多くの方々の祈りとご協力と献金がささげられることになりました。時が満ち、神が新しい墓地を完成させてくださったと信じています。
 着工に先立ち、5月6日に関係者で起工の祈りの時を持ちました。そこで詩編第90編を朗読し、詩編を受けて起工の祈りをささげました。
 なぜ詩編90編を選んだかというと、説教塾の定例会のテーマが今年は「葬儀説教」で、葬儀を巡って考察を深めているのですが、葬儀で取り上げられることの多い聖書とそのメッセージを学んだとき、新鮮な驚きをもって詩編第90編を知ることができたからです。この詩編は人生の善き同伴者となってくれます。ぜひ皆様にも親しんでいただきたい。
 主への呼びかけから始まります。
「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
 山々が生まれる前から
 大地が、人の世が、生み出される前から
 世々とこしえに、あなたは神」(1、2節)
 あなたはどこにいますか。人はどこにいるのでしょうか。
 この詩編は、人は神に宿ることができると告白するのです。とこしえに神であられる主が、神の民の住まいであると語られています。神の民は、神の中に居場所を持ち、神と共に生きることが許されています。主に存在を肯定されている、主に受け入れられているということです。この信仰がこの詩編を終わりまで貫いています。
 次に、神の御前で人がどのような存在であるか示されていきます。
 人は塵から造られたものに過ぎません(3節より)。人がどんなに罪を隠そうとしても神の御顔の光の前にその罪が置かれます(8節より)。その罪が神の怒りを招いていることを詩編の信仰者は認めています(9節、11節より)。人生は、永遠の神の前には限りある短いものであり、人は労苦と災いをと避けることができないと知っています。
「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても
 得るところは労苦と災いにすぎません。
 瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」(10節)
 神の前に人はいかなる存在であるか、これをわきまえることが知恵なのです。
 だからこそ、主により頼み、主からの力をいただかなければならない。そうでなければ、この労苦と災いの日々を生きぬくことができない。大胆に祈ります。福音を聞いて信じた教会もまた、復活の主の御名によって、この詩編に心を合わせて祈ることができるのです。
「朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ
 生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。」(14節)
「わたしたちの手の働きを
 どうか確かなものにしてください。」(17節)アーメン。

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