トップページに戻る西川口だよりに戻る

2008年 10月 1日発行 No.484 

主イエスの祈りと祝福に支えられ

                            金田 佐久子
 
 2007年より主日礼拝の聖書としてルカによる福音書を学び続けてまいりました。9月28日の礼拝をもって最後まで学び通すことができました。神に感謝をささげます。
 ルカによる福音書の著者はルカとされています。この福音書には著者ルカが生きた信仰共同体の信仰によって書かれ、彼らが仰いだ主の御姿が記されているのです。
 主日礼拝で聖書の言葉と説教を聞き続けてこられた皆様には、ルカによる福音書における主イエスのどのような御姿が心に刻まれているでしょうか。
 わたしは「祈る」主イエスの御姿が心に焼き付いています。
 主イエスは夜を徹して祈られた後で十二人を選び使徒とされました(ルカ6・12)。あるときは弟子たちの質問に答えて「主の祈り」を教えてくださいました(同11・1以下)。過越の食事の席で裏切りを予告し、そしてペトロの離反を予告して言われました。「しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った」(同22・32)。
 裏切られた経験があるでしょうか。たとえ幼い子供で「裏切り」という言葉を知らなくても、親や身近な人に裏切られ傷ついていることがあります。教会においてさえ裏切られたという思いになることがあります。裏切り、それは苦々しく、また切なく、傷つき、心を痛めます。つらいことです。
 ところが主イエスはわかっていて裏切られたのです。弟子たちはイエスを裏切ろうとは思っていませんでした。しかし人の心は弱く、自分の決意などあっけなく崩れてしまうのです。主イエスは、自分を捨てる弟子たちの弱さを思いやり、罪を赦し、再び立ち上がらせることを目指しておられた。何という大きな愛でしょうか。その祈りが聞かれないことがあるでしょうか。
 弟子たちのためだけではなく、今この時代に生きるわたしたちのためにも、主イエスが常に祈っていてくださいます。それが大きな慰めであり、励ましです。わたしたちの信仰が自分自身によってではなく、主によって確かに支えられているからです。
 もう一つ心に焼き付いているのは弟子たちのために「両手を上げて祝福する」主イエスの御姿です。
 主イエスは死に打ち勝ち、よみがえられて今も生きておられます。その復活の主は共にいて何をしてくださっているのか。わたしたちのために両手を上げて祝福してくださっているのです。
 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(ルカ24・50〜51)
 主イエス・キリストに結ばれるわたしたち(教会)が受ける祝福とは、罪が赦され、永遠の命を受け、神の子とされるという恵みです。主イエスの祝福を妨げるものはこの世にはありません。ですからこの祝福は揺るぎません。この神の祝福へと招くために教会は世に置かれています。
 教会は主イエスの祈りと祝福に確かに支えられているのです。

トップページに戻る西川口だよりに戻る