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2009年 1月 1日発行 No.487 

使 徒 パ ウ ロ

                            金田 佐久子
 
 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ローマ10・17)

 主の年2009年を迎えるにあたり、新年の西川口教会の御言葉をこのローマの信徒への手紙第10章17節とし、主日礼拝(賛美・一般礼拝)では、ローマの信徒への手紙から学ぶことにしました。キリストの言葉を聞くことによって新しく始まる信仰を養われ、やがて来られるキリストを待ち望みながら、わたしたちがますますしっかりと立ち、福音宣教へ押し出されるようにと、主に期待しているからです。
 このローマの信徒への手紙を書いたのは使徒パウロです。この手紙を学ぶにあたり、著者である使徒パウロを短く紹介しておきます。
 パウロ(「小さな者」という意味)は、はじめはサウロ(「望まれた者」という意味)という名でした。キリキア州のタルソス(現在のトルコ)の出身です。紀元10年頃生まれたと考えられています。パウロはユダヤ人で、律法の遵守に熱心なファリサイ派でした。彼自身が手紙の中に書いていますが、パウロは神の教会の迫害者でもありました。しかしそのパウロが、イエスが十字架につけられた後まもなく(おそらく紀元30年から33年の間に)、ダマスコ地方において、イエス・キリストの使徒としての召命を受けたのです。方向の転換が起こったのです。ユダヤ人であるパウロが復活のキリストを見たということは、今まで自分が信じていたイスラエルの神を新たに認めたことでした。すなわち、ただひとりのまことの神であられるお方が、イエスを死人の中から甦らされた方でもあることを認めたことでした。
 パウロは自分が使徒職を与えられたのは諸国民(聖書では「異邦人」と表現)に対して派遣されるためであると理解しました。まずシリアのアンティオキアの教会と協力して働きました。後にマケドニアのフィリピに、そしてアカイアのコリントに教会(信仰共同体)を建てました。また、エフェソを根拠地として伝道活動を行いました。これから学ぶローマの信徒への手紙には、まずエルサレムに旅し、そこからさらにスペインで新しい活動を始めるという計画について語っています(15章22節以下)。パウロにとって異邦人への宣教は、神からの恵みであり、キリストに仕え、神に喜ばれる道でした。
 かつては神の教会の迫害者であったパウロはキリストのために迫害を受ける者となりました。最後には、皇帝ネロ(在位54年〜68年)のもとで、ローマに移送され殉教したと伝えられています。
 パウロは初期の教会において際立った働きを成し遂げました。そのことがわかるのは、新約聖書の多くの部分を占めている、いくつものパウロの手紙があるからです。間違いなくパウロの手紙であると認められているのは、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙一及び二、ガラテヤの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、フィレモンへの手紙です。これらが使徒としての署名をして書かれています。
 この使徒パウロの言葉として精一杯理解して、ローマの信徒への手紙を共に学びたいと思っています。御言葉を正しく受けとめ、語れますよう、どうか説教のために祈ってください。(参考 「魂への配慮の歴史 第1巻第3章パウロ」)

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