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2009年 3月 1日発行 No.489
先立つ主イエスに身をゆだねて
金田 佐久子
大波のように 神の愛が わたしの胸によせてくるよ。
こぎだせ こぎだせ 世の海原へ。
先立つ主イエスに身をゆだねて。(讃美歌第二編171)
教会アシュラムを前に
今月の7日(土)、8日(日)には、待ち望み、祈りを重ねてきた西川口教会アシュラムが開催されます。なお多くの参加者が与えられますように。
ところで冒頭の讃美歌「大波のように」は、アシュラム集会でよく取り上げられます。アシュラムの「こころ」にピッタリくる讃美歌です。アシュラムの目的は、今ここでわたしに与えられた御言葉を聴き、祈ることを経験することですが、それは、生きて働く神との人格的な交わりにおいて実現します。そうでなければ、聖書の書かれている文字から、わたしの心に語られる言葉に立ち上がることはありません。その交わりとは愛の交わりです。その愛の交わりは、ただ「神は愛だから」(ヨハネ一3・8)成り立つことであって、人からその交わりを始めることはできません。信じることによってのみ与えられる交わりです。そのことをわきまえつつ、祈りつつ、聖書の言葉を、わたしに語りかける神の愛の言葉として聴きます。そのような祈りを身に付けていくことも、アシュラム集会の目的の一つです。
ここ数年教会アシュラムを3月に開催するようになって感謝なことは、年度末であわただしくなりがちな気持ちと生活とが正されることです。静まって主こそ神であることを知るように、神が備えてくださった恵みの集会として過ごせることです。
先立つ神の恵みに気づく
自分の信仰生活がおぼつかないと感じ、何とかしたいと願っている方もあると思います。心の深いところで、人は御言葉に飢え乾いている存在だからです。だれでもそうなのです。神の言葉を聞いて従わない限り、その渇きは満たされないからです。ですからそこでしっかりと歩んでいく秘訣は「恵みによって強く」(テモテ二2・1)なることです。先立つ神の恵みに気づくとき、神の愛に囲まれている自分を見出し、生きる力が与えられます。聖書は先行する神の恵みの御業に満ち満ちています。教会アシュラムにおいて、主日礼拝・諸集会において、日々の祈りにおいて、御言葉をとおして、その恵みを発見してまいりましょう。
水曜夜の祈祷会ではヤコブの手紙を学んでおりますが、先日第4章を学び、勇気がわいてくる御言葉に出会いました。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」(5、6節)
神の熱愛です。わたしたちをひたすらに愛し、もっと豊かな恵みをあたえようと待ちかまえておられる。この神の愛を、神の恵みを受け取らないならば大いなる損失です。ヤコブの手紙は続いて勧めます。「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」(8節)。
先月25日からレントに入りました。特にこの時、キリストの苦難と十字架への道、その先にある復活の出来事が、わたしのために先立って成し遂げられた救いであることを深く思い巡らしましょう。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15・16)
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