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2009年 4月 1日発行 No.490 

主の言葉が響く

                            金田 佐久子

  主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡った・・・(テサロニケ一 1・8)

 先月の西川口教会アシュラム(アシュラムは、祈りによって祈りを学ぶ集い)は祝福に満ちた集いとなりました。アシュラムのメッセージから、講師の島隆三先生による開会の説教「主の言葉が響く」(テサロニケ一第1章)を分かち合います。

 ホーリネス教会の中田重治師は福音を大衆に届く言葉で語りました。中田先生は、北海道の片田舎まで天幕伝道に来て、そのおかげで先生の説教をきいて母が信仰をもちました。昭和7年のことです。その中田先生が、教会の鐘とお寺の鐘を比べてこういう言葉を残しています。
 “お寺の鐘は中にすぼんでいて外から打ち陰に響く。教会の鐘は外に開いていて中から打って陽に響く。キリスト教は、外からいじめるのではない。内から喜びが湧き出るのであって、陽気な宗教である。”
 教会は明るい鐘の音が響くところ、教会は主の言葉が響くところです。教会の良し悪しは、何によって判断されるか。何よりも、御言葉が響くところでなければならない。御言葉が響いている教会では、求めてくる人が救いを見出し、悲しんでいる人が慰められ、内なる人が強められていくのではないでしょうか。
 中田先生が20世紀前半の大衆伝道者とすれば、後半の大衆伝道者は本田弘慈先生。本田先生はこう言っておられました。良い教会は互いに励まし合い伝道に励んでいる。良く祈って準備して、そこに集まった会衆に聞く姿勢ができている、御言葉がとおる。=@説教者にはよく分かるのです。説教者がよく準備することが大切ですが、説教は会衆と共に造るもので、説教が生まれるとはそういうことではないでしょうか。
 使徒パウロはテサロニケでの伝道を思い起こして言っています。「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによった」(5節)。それこそ、あなたがたが神に選ばれた証拠であると言っているのです。彼らは、迫害もあったであろうし、貧しさの中にいたけれども、「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」ました(6節)。
 まとめてみると、第一に、伝道者パウロが力強く御言葉を語りました。第二に、彼らはパウロの言葉を神の御言葉として信じました。第三に、彼らは伝道者に倣う者になりました。 この順番が大事です。まずわたしに倣ってください、そしてキリストに倣ってくださいということ。キリストに倣うというのは、生活の中で福音の力が発揮されていくことで、それが恵まれた教会の力になります。彼らはすべての信者の模範となるに至りました。パウロは、主の言葉が出てギリシア半島全体に響きわたったと語り、テサロニケの教会を思い起こすたびに神に感謝しています。
 「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることをわたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(3節)。愛には労苦が伴うものです。信仰は働きによって見えるものであります。失望せず、神に望みをおいて、もっと神に大胆に信頼していく忍耐なのです。そのようにして教会が恵まれていきました。
 わたしたちもここに学びたい。

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