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2009年 10月 1日発行 No.496 

横浜に来た宣教師たち

                            金田 佐久子

 今年は日本プロテスタント伝道150年の記念の年で、超教派や各教団教派で記念の行事が行われ、関連の出版物も刊行されています。最近、横浜プロテスタント史研究会編「横浜開港と宣教師たち―伝道とミッション・スクール」(有隣新書)を読み、大いに感銘を受けました。11人のアメリカ人宣教師の働きがコンパクトに紹介されている本です。
 幕末から明治時代にかけて、最初の23年間に来日した宣教師たち(大半はアメリカ人)のうち、男性は127人で、女性は186人でした。女性の人数が男性を上回っていたとは今まで知りませんでした。アメリカの海外伝道を献金で支え、伝道に深い関心を持っていたのは、教会の女性たちでした。宣教師の妻も夫の伝道を助け、さらに独身の女性宣教師たちが男性の宣教師では手の届かない部分で働きました。宣教師たちが、男性も女性も果たすべき責任を感じて、力を尽くしてくれたことをありがたく思います。
 今、わたしたちの西川口教会は教会堂を持ち、常に礼拝ができます。聖書も入手できます。既にこの地にたてられた教会に、洗礼を受けて加えられたお互いです。
 しかし、今当たり前に思えるこれらのものが、150年前の日本には一切なかったのです。教会はなく、日本語の聖書もなく、信教の自由もなく、福音は宣べ伝えられていませんでした。そのようなわが国に宣教師たちは海を越えてやってきました。そして福音を宣べ伝え、愛の奉仕に生き、日本人による教会形成を助けました。教育や医療活動でも大きな貢献をなしました。
 先の本を通して、一般にはローマ字の考案で知られているJ・C・ヘボン宣教師のことも新たに知りました。ヘボンが日本に来たときは44歳。当時決して若くない年齢です。33年間日本で暮らし、医療活動、日本人に英語を教える教育活動をなし、日本人の英語学習のため和英辞書の編纂、さらに聖書の和訳事業にも取り組みます。横浜指路教会のためにも力を尽くしました。
 ヘボン宣教師や、来日した宣教師たちは、当時の時代の日本人の潜在的な求め、潜在的な必要に応えたのだと思います。そのための計り知れない労苦を覚えます。
 わたしたち皆が宣教師として召されてはいません。わたしたちは、先人の労苦を覚え、神から与えられた恵みをしっかりと受け止めます。そして置かれたところで、今の時代の課題、人々の潜在的な求めに応える働きをなしたい。秋の諸集会も、教会の日常の活動も、一人ひとりも、豊かに主に用いていただけますように祈ります。

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