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2009年 12月 1日発行 No.498 

クリスマス―まことの光の中に―

                            金田 佐久子

闇が去って、既にまことの光が輝いている(ヨハネの手紙一2・8)

 今年の待降節(アドベント)は、11月29日の主日から始まります。この日から主日ごとに、ろうそくを1本ずつ灯して、クリスマスを待ち望んでいきます。
 数年前になりますが、毎年春休みに開催される関東教区KKS(高校生・青年)キャンプが、ちょうど受難週にあたったことがありました。講師は、主イエスの受難と復活への出来事を忠実に語り、参加者から、「まとまった話として、一続きとして聞いたので、聖書のお話がよくわかった」との感想もありました。
 その後グループでの話し合いのとき、講師が「教会では、クリスマス(降誕日)、イースター(復活日)、ペンテコステ(聖霊降臨日)を大切にお祝いしているけれど、どの日が一番重要だと思う?」と質問しました。期待する答えは「イースター」だったのですが、参加者たちは「クリスマス!」と言い、「だって、イエス様が生まれなければ、何も始まらないでしょう!」と言って譲りませんでした。講師も苦笑していました。キャンプの思い出の一コマです。
 皆さんはどうお答えになるでしょうか。
 教会が大切にしてきた救いの確信としての信仰告白があります。使徒パウロが語っている言葉です。
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。」
(ローマ10・9)

 わたしたち人間の救いはどこにかかっているのでしょうか。それは、十字架にかかり、すべての人の罪の贖いとして死なれた主イエスが、死んだままでは終わらず、三日目の朝、父なる神によって死者の中から復活させられたことにあります。死に勝利された主イエスは、今も生きておられます。教会は、すなわち「イエスは主である」と公に言い表し、洗礼を受け、救われた者たちは、主の復活の命にあずかる約束をいただいています。主の復活の出来事に根ざして主に希望を置いているのです。
 わたしたちの救いがどこにかかっているかをわきまえた上で、先ほどのキャンプ参加者たちの答えも「なるほど」と思うのです。
 世の初めから父なる神と共におられた御子が、人としてお生まれになられたクリスマスの出来事。それは、神の救いの御業が人間の歴史の中に決定的な仕方で始まったことを意味しました。見えない神、永遠の命そのものであられる方が、人となり、地上の生涯を歩まれました。すべての人を命の光の中に生かすためにです。命の光が現れて、罪の闇もはっきりさせられました。しかし、闇は過ぎ去りつつあります。神の光の前に闇は退却させられていくのです。
 ろうそくの光を眺めながら、わたしたちはまことの光の中を歩む者とされたことを感謝します。

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