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2010年 4月 1日発行 No502 

わたしたちは主イエスの羊

                            金田 佐久子

 「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」(マルコ 14:27〜28)

 主の年2010年も4月となり、新年度を迎えました。本年、主日礼拝の説教においてマルコによる福音書から御言葉を聴いています。
 先月、聖地イスラエルの旅に父と共に参加できました。当教会から6人、総勢24人で参りました。川口神召キリスト教会牧師の安田眞先生の同行解説により、実り豊かな旅となりました。マルコ福音書の告げているとおり、主イエスの足跡をたどり、南の荒れ野、北上してガリラヤ地方、再び南へ向かいエルサレムとその周辺を訪ねました。十字架へひとすじに歩まれた主を深く思いました。そして主に従った使徒ペトロはじめ弟子たちにも思いをはせました。
 使徒ペトロは、主イエスの福音を喜んで語りました。しかしそれは有頂天になってしまう喜びではありません。主イエスを語るというのは、わたしたちの罪のために十字架に死なれた主を語ることだからです。
 冒頭の御言葉は、主イエスの地上の生涯の最後の食事の後で、オリーブ山に行かれたとき弟子たちに向かって語られた言葉です。この後でペトロは主イエスに「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言いました。主は「あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」とはっきり言われました。そのとおり、ペトロはその夜のうちに、「そんな人は知らない」と、一度ばかりではなく三度まで言いました。
 ペトロは大祭司の屋敷で、主イエスを知らないと言いましたが、その屋敷があったと考えられているところに、鶏鳴教会という記念の教会があります。今回の聖地旅行でも訪ねることができました。この教会の礼拝堂に座り、また壁画や彫刻を見ながらこの出来事を思い巡らしました。わたしがペトロであったなら主イエスの言葉を素直に認めたでしょうか。「はい、そうです。わたしはあなたを三度知らないと言うでしょう」。決してそうは言わないと思いました。
 ペトロの弱さと過ちは、わたしたちの弱さと過ちです。ペトロは悪意があってしたことではありません。しかしその言葉によって主イエスとの関係を自分から壊してしまいました。いざというときに主イエスを捨てる罪深さが、弁解の余地がないほどに明らかにされます。主の真実が人の罪の現実を知らせるのです。このように、ペトロのまことの姿を知っていたのは、ペトロではなく、主イエスでありました。
 主イエスは、ご自分が復活し、ガリラヤへ先に行くと告げられました。聖書を通して、ご自分は羊飼い、弟子たちは羊であると語られました。これは主のほうからわたしたちに差し出された関わりです。救いとはこの主からの関わりに入れていただくことです。主イエスにとって弟子たちはかけがえのないご自分の羊です。わたしたちもまた主イエスの羊、主の弟子です。主は死に勝利されました。主は先立っていてくださいます。何があっても、わたしたちが主イエスの羊であることを忘れないことが大切です。主イエスはわたしたちを見捨てず、ご自分の真実に生かし立たせてくださる羊飼いなのです。
 
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