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2010年 5月 1日発行 No503 

教会とは何か

                            金田 佐久子

  新しい年度になりますと、毎年、東京や埼玉のキリスト教主義学校・幼稚園・大学に通っているお子さん、生徒さん、学生さんが礼拝に来られます。学校から、自宅に近い教会の主日礼拝に行くように勧めがあり、おいでくださるのです。保護者の方もご一緒のこともあります。教会にとってまことにうれしいことです。若い方々にとって、また、子育て世代の方々にとって、ここに教会があること、礼拝する人々がいることを知っていただけるとは、何と貴重な機会でしょう。今日という日の礼拝が、おいでくださる方々にとって初めて教会に行った日となるわけです。わたしたちはいつでも初めての方をお迎えできるよう備えて、そして奉仕します。
 さて、初めて来られる方や、教会に行ってみようかと思っておられる方に、教会はどのようなところか、教会とは何かということを、皆様ならどうお伝えしますか。
 先日、西川口教会で葬儀がありました。葬儀の準備の折に「教会はどこにありますか」と質問されます。そのときの「教会」という言葉は、建物であり、十字架がついている教会堂を指しています。大半の教会は建物がつきものです。
けれども教会とは建物ばかりを指しているわけではないのです。かえって新約聖書で「教会」という言葉が建物を指していることは全くないのです。それでは新約聖書にでてくる「教会」という言葉は何を示しているのでしょうか。
 今月の23日は教会にとって大切なペンテコステ(聖霊降臨日)です。約2000年前のその日は、世界に向かって教会が作られていく始まりの時となりました。
 新約聖書の使徒言行録の第2章に、その日の出来事が描かれています。主イエスが約束し、主の弟子たちが待ち望んでいた聖霊が降りました。そして弟子たちの代表ともいえるペトロが大説教をしました。「十字架につけられて死んだナザレのイエスこそ救い主であり、神はこのイエスを復活させられたのだ」と力強く語りました。ペトロの説教を多くの人々が聴きました。使徒言行録は続けてこう書いています。
 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2・41〜42)
 ここに教会とは何かということが語られています。まず「ペトロの言葉を受け入れた」。信仰への勧めの言葉・福音が語られ、聴かれるところです。そして「洗礼を受ける」ことです。語られた神の救いを自分のこととして受け入れて、洗礼を受けます。そして「仲間に加わる」。仲間になって、語られる福音の言葉、互いの交わり、祈りを大切に、熱心に生き始める。その人々の集まりが教会なのです。主イエス・キリストの仲間たちが教会なのです。 

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