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2010年 6月 1日発行 No504 

神の賜物は子どもたちにも

                            金田 佐久子

  罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ 6・23)

 6月の第2日曜日は「花の日・こどもの日」として過ごしています。この日キッズクラスでは、日ごろの感謝をお花に託して、並木交番と川口警察署を訪問する予定です。
 こうして西川口教会には子どもたちが集っていることを神に感謝します。礼拝に送り出してくださるご家庭に、主の祝福を祈ります。
 さて今回は、こどもの日を覚えながら、始めに、さっちゃんのお話をさせてください。
 “さっちゃんは小学3年の女の子。さっちゃんは、日曜日にはお姉さんと妹と教会学校に行って、神様のお話を聞いていました。お友だちの間で10円玉使った占いが流行り、こわい思いをしたことがありました。そして「人は死んだらどうなるの」と思うようになりました。昼間は学校があり、またお友だちと遊んでいるときはそのことを忘れています。でも夜になると思い出すのです。夜中に目が覚めたとき、「お父さんとお母さんは息をしているかしら」と思って、起きて行きました。二人とも息をしていて、すやすやと眠っていたので安心して、自分のおふとんに戻らないで眠ってしまいました。
 ある日の教会学校の礼拝で「神さまは、神さまを信じる人に天国の鍵をくださるのですよ」というお言葉を聞きました。そして「ああ、よかった! わたしにも天国の鍵がもらえるのだ」と心から思いました。そして安心して帰りました。”
 実は、さっちゃんとはわたしのことです。子ども時代の出来事でした。自分をふりかえってみて、幼い子どもであっても、心の奥深いところで死を恐れていることがあります。わたしのように黙ったままでいた子もあるでしょう。誰にどう話していいか、それすらもわからなかったからでした。あるいはまた、親に打ち明けることができた人もあるでしょう。あるいは、そのような恐れをいだいているご家族がおられることもあるでしょう。
 わたしは、子どもの礼拝の説教でそこでの神のお働きによって、平安を得て帰りました。わたしが信仰を告白して洗礼を受けたのは、何年も後ですけれども、神は常に愛して、絶えず顧みてくださっていたことを今は知っています。
 自分自身の小さな体験を通しても、子どもには福音はわからないとか、罪はわからないとか、大人が決めつけてはいけないと気をつけています。子どもも罪人です。キリストの救いを必要としています。安心して生きて生きたいと願っています。どんなことがあっても揺るがない安心は、ただ主イエス・キリストにある永遠の命から来ます。死に勝利した主イエスがわたしたちを恐れから解き放ってくださいます。主は、子どもたちのためにも、喜んでそうしてくださるお方なのです。

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