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2010年 7月 1日発行 No505 

神をほめたたえなさい

                            金田 佐久子

 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ3・16)

 「西川口だより」に(毎号ではないのですが)掲載されるシリーズとして「心に残る讃美歌・聖句」があります。書かれた人の神との出会い、大切な出来事と結びついた聖書の言葉や讃美歌を知ることができ、楽しみにしている記事のひとつです。これからもできるだけ多くの方々に書いていただきたいです。
 子どもの頃、西川口教会の子供の礼拝や分級(礼拝の後の年代別小グループの時間)に出席していました。実際は精勤賞をいただけるほど出席してはいなかったのですが、それでもずいぶん多くの讃美歌を歌えるようになりました。夏のキャンプに参加して何曲も覚え、キャンプが終わってからもずっと歌っていました。そのように賛美が好きな人間に育てられたことは、教会を通して与えられた大きな恵みです。幸いなことだと思います。
 さて、現在は音楽の録音・再生用電気製品も多種多様で、とても便利になりました。わたしも今デジタルレコーダーを愛用しています。けれどもそれまではカセットテープレコーダーを長く使ってきました。記憶をさかのぼっていくと、カセットテープレコーダーが我が家に来たのは、30数年前小学生の高学年の頃でした。「何を最初に録音しよう?」と思ったとき、わたしは夏のキャンプで覚えた「おおしくあれ」(聖歌657番)を歌いました。とっさに「ただの歌ではなく、讃美歌のほうがいい」と思ったのです。一生懸命歌い、再生して聞き返し、興奮した思い出があります。子供なりに讃美歌がほかの歌とは違うと肌で知っていたのでしょう。讃美歌は神様にささげる歌だと教会で体験していたからです。教会の礼拝で身についていたからだと思います。
 教会生活を送るようになると、讃美歌に親しむようになり、讃美歌によって力づけられたり、気づかされたり、慰められたりします。共に歌うことで交わりの喜びを与えられます。多くの方々がそういう体験を持っています。また、讃美歌を覚えることで聖書の言葉を覚えることもあります。讃美歌を歌うことでどれほど豊かな経験が与えられているかを思います。旋律の美しさ、音楽のすばらしさもありましょうが、神に向かうほめたたえの歌ですから、讃美歌には力があるのです。
 冒頭の聖句にありますように、初めの頃の教会でも既に多くの歌が歌われていたようです。「詩編」、これは旧約聖書に収められています。「賛歌」は、この手紙が書かれた頃の諸教会で生まれ、ある程度普及し、いくつもの教会で歌われた讃美歌のようです。「霊的な歌」は、集会をしているときなどに、霊感を受けて即興的に歌ったもののようです。
 教会は、キリストの言葉を内に豊かに宿らせます。神の慈しみに満ちた御言葉、救いの福音の言葉を、内に豊かに宿らせるように生きます。何よりもそのことは、詩編と賛歌と霊的な歌によって、神をほめたたえる歌を歌う姿に現されています。キリストの教会は讃美歌を歌います。教会は、神へのほめたたえの歌を歌う存在とされている。時には悲しみや嘆きの歌もささげます。どんなときでも、神に向かって歌い、神をほめたたえずにおれない。これはまことに大きな神の賜物です。

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