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2010年 9月 1日発行 No507
わたしもあなたを罪に定めない
金田 佐久子
新約聖書の福音書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順で、四つあります。福音書には主イエス・キリストの宣教と、十字架と復活の出来事が語られており、多くの人々に親しまれ、愛されています。今年は日曜の礼拝でマルコによる福音書から説教しています。マルコ福音書からもイエスの生き生きとしたお姿、お働きを見ることができます。そして福音書は、主イエスと共に、イエスの周りにいる人たち、イエスと出会った人たちについても、生き生きと描いています。
イエスは、天の父なる神がどんな人をも愛し、罪を赦してくださると語られました。イエスの生きておられた当時の社会で人々が当然のように拒否し、「罪人や徴税人」と呼び、差別していた人々に、イエスは近づいていかれました。一方、そのような人に近づいていくイエスを快く思わなかったファリサイ派や律法学者たちがいました。彼らは神の掟を真剣に守って生きていた人々でした。ですから、罪人や徴税人が裁かれるのは当然と思い、そのような人が赦されて救われるなら、自分たちはどうなるかと考え、イエスの教えを受け入れることはできませんでした。
イエスが神殿の境内で教えておられるとき、律法学者やファリサイ派の人たちが罪を犯した一人の女を連れて来て人々の中に立たせ、イエスに尋ねました。「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスが「赦しなさい」と言えば律法違反であるし、「打ち殺せ」と言えば赦しを説いていた教えと矛盾します。どちらにしてもイエスを訴える口実にできます。律法学者やファリサイ派の人たちはイエスを窮地に陥れようとしました。イエスは沈黙の後、お答えになりました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」イエスは、この女を罰することができる自信のある人は石を投げなさい、と言われました。
この出来事はヨハネ福音書第8章に記されています。こう続くのです。「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」(9節)。イエスの言葉は周りにいた一人ひとりに投げかけられました。自らを深く振り返ってみるならば、自分も罪を犯しており、この女に石を投げることはできないのだと知らされます。「年長者から始まって」とあります。自分自身を深く省みて、裁くことを手放したのは、まず年長者からでした。心に留めたいひと言です。
イエスが女に語られた罪の赦しの宣言と命令は、わたしたちにも語られています。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(11節) 今月は12日に敬老祝福式を行います。年長者も年若き者も、主の大きな赦しの愛に支えられ、主の愛に応えて生きていきます。
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