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2011年 1月 1日発行 No511 

主を賛美する教会

                            金田 佐久子
 
 後の世代のために このことは書き記されねばならない。
 「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102・19)


 主の年2011年を迎えました。
 この詩編の御言葉の後半部分を2011年の聖句と決めました。
 日曜日の主日礼拝では、この年も引き続き、マルコによる福音書から御言葉に耳を傾けます。新年の教会の聖句は、賛美と祈りの書である詩編から選びました。主日礼拝は、教会の働きの中心であり、いのちとなる集会です。主なる神は礼拝する者を招いてくださいます。そして主日礼拝を通して、神からこの世へと派遣されていくわたしたちです。神に押し出されて、すべての日々を神への礼拝として生きていきます。わたしたちの唇に、神への賛美がますます満ちあふれる年であるように。
 詩編第102編の冒頭、表題のように1節にはこう書かれています。
 祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。
 そして祈り始めます。
 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。(2節)
 祈りは叫びであり、心挫けたとき、心にある思いを注ぎ出すことでもあると知らされます。わたしたちは喜びのときにも歌います。そして、悲しみのときにも歌います。賛美は祈りです。神は祈る者の声に、賛美に必ず耳を傾けてくださる。これがわたしたちの確信です。
 わたしが賛美によっていちばん心深く慰められたのは、母の死とその後の日々においてでした。最も深い悲しみのとき、最も深く慰められました。それは阪神淡路大震災の翌年でしたが、この地震の被災者を悼んで作られた賛美と出会い、共に賛美し、大きな慰めと癒しが与えられました。記憶に頼りつつ、歌詞の一部を紹介します。「主よ! あなただけがともしび、この身を委ねます。たとえ、地が動き、闇の中でも、あなたにすがります。かがやく光、主よ!」 何があっても主こそ揺るがぬ希望であると、賛美によって心に刻まれる体験をしました。
 神は、神を賛美せずにはいられないように、人間を造られました。賛美によってわたしたちの心が神に向かいます。神がわたしたちの唇に賛美を授けてくださるのです。

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