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2011年 3月 1日発行 No513 

キリストにおいて満たされているのです

                            金田 佐久子
 
 この原稿を書いたのは2月25日で、翌日からの第35回「西川口教会アシュラム」へ備えているところでした。今回のアシュラムの主題聖句は、「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです」(コロサイ2・10)。特に2月は、この御言葉を何度も口ずさみ、味わって過ごしてきました。
 コロサイの信徒への手紙は、使徒パウロが、獄中でコロサイ(現在のトルコ)とその周辺の教会に宛てて書いた手紙です。その手紙を通して神が語ってくださるとの信仰によって聖書を開き、耳を傾けます。
 アシュラムでもお伝えしますが、聖書を神からの語りかけとして聴く(「静聴」といいます)ときに、神が、また、主イエスがわたしに語られているように静聴できます。アシュラムの主題聖句は「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです」、これはパウロがコロサイ教会に向かって語っているわけですが、これをイエスさまが直接語られるように直すと「あなたがたは、わたしにおいて満たされている」。さらに、「わたしがあなたがたを満たす」となります。そうではないでしょうか。こう主イエスが語っておられる。どんな状況であろうとも、「わたしが満たす」という主イエスの御言葉を信じさせていただくばかりのわたしたちではないでしょうか。
 アシュラムでは、自分の力で信仰や信心することをやめて、主イエスがくださる信仰や信心を受けていくことを学びます。感謝して受け取ることを実践します。これも静聴しながらできるのです。先ほどは主イエスが直接語られるように静聴しました。もう一つ、感謝し賛美して静聴する方法があります。「イエスさま、あなたは・・・されました。感謝します」と読んでみます。アシュラムの主題聖句は「わたしたちは、イエスさま、あなたにおいて満たされているのです。あなたが満たしてくださっています。感謝します」となります。こうして主を賛美し、主に感謝して聖書に耳を傾けると、目の前に主がおられ、主の中にわたしがおり、主と共に過ごす幸いと喜びを感じます。これは、だれにでも与えられる恵みです。
 アシュラムに備えて、静聴し、黙想する中で、詩編23節の御言葉が思い起こされました。そして、それはコロサイの御言葉と同じ信仰の告白なのだと思わされました。多くの人に愛されている詩編第23編はこう歌い始めます。主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。(詩編23・1)
 詩編23編はわたしが救いを確信したときに与えられた御言葉でもあります。わたしは小学生になる前から西川口教会の教会学校につながっていましたが、1981年、中学3年の夏休みに伊豆大島での中高生聖会に参加しました。夜の集会の説教を聞いて、主イエスの十字架の死がわたしの罪のためであったことが明確に示されました。その年のクリスマス礼拝で洗礼を受け、キリストに結ばれ、教会の一員となりました。今年のクリスマスが来ると受洗30年の記念のときとなります。
 信仰生活を振り返ると、今日に至るまで主に守られてきたとの思いが湧いてきます。それは皆様も同じであると思います。主イエスがわたしの羊飼いとなって満たしてくださったからです。キリストの変わらない真実に支えられて、今もこれからも生かされていきます。キリストに愛されて、罪の赦しをいただき、祝福されているわたしたちです。

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