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2011年 6月 1日発行 No516
天の父は聖霊を与えてくださる
金田 佐久子
霊のうめき
今年の聖霊降臨日(ペンテコステ)は6月12日です。わたしたちの現実のただ中に働く聖霊の御業を仰ぐことができますように。
今年3月11日の東日本大震災以来、被災地・被災者の復興は常に祈りの課題ですが、現実の困難さに、被災の事実を知らされるたびに、言葉を失います。救いを待ち望みながら、うめく思いでいます。
そんなわたしたちに、希望の御言葉が与えられています。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。(ローマ8・26)
わたしたちではなくて、聖霊が言葉にあらわせないほどに切にうめいておられます。聖霊が被造物のために、執り成してくださいます。ですから、わたしたちも聖霊に助けられて祈り続けるのです。
祈りを教えてください
主イエスはある所で祈っておられました。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに願い出ました。「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」。そこで主イエスは弟子たちに言われました。「祈るときには、こう言いなさい。・・・」(ルカ11・1〜4)。
福音書を読みますと、主イエスはいろいろな人から質問されています。投げかけられた質問に直接答えることは少なく、質問者たちにとって思いがけない答えをすることがとても多いのです。しかしここでは、弟子の願いが対して主イエスが直接にお答えになりました。それはこの弟子の願いが正しかったからです。
「祈れる」と思っているのが人間です。しかし聖書は、人間はそのままでは「祈れない」と告げているのです。弟子たちがイエスに願い求めたのは、師であるイエスのように祈らなければならない、自分たちの祈りは祈りになっていない、と気づいたからです。弟子たちの姿にわたしたちの姿を重ねます。主に求めます。「祈りを教えてください」
真夜中に戸をたたく
ルカ福音書11章冒頭で、主イエスは「主の祈り」を教えられ、続いてすぐにたとえ話をされます。真夜中に友達の家の戸をたたき、パンをしきりに願い求める人の話です。「しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」(8節)と主イエスは語られました。主イエスに教えられたように祈るとき、神の方から扉が開かれ、神からの恵みに生かされます。真夜中のように先が見えない時代です。しかし主の祈りを祈るとき、戸は開きます。わたしたちの欠乏が満たされます。神は父として、ご自身を、聖霊を与えてくださるのです。
「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11・13)
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