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2011年 7月 1日発行 No517
「天」にまします我らの父よ
金田 佐久子
あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。・・・だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、・・・』 (マタイ6・6、9)
主の祈りとは
今年度の新しい取り組みとして、第2、第4日曜日の一般礼拝の前に「初心者会」を始めました。ゆっくりでも確実に、と願いながら、数名の兄姉と「主の祈り」を少しずつ学んでいます。わたし自身が主の祈りを学ぶことで、新しい気づきが与えられ喜んでいます。
主の祈りは、「だから、こう祈りなさい」と、主イエスが弟子たちに教えられた祈りです。同時に、この主イエスの言葉には命令も含まれています。主イエスはこのように祈れと、命じておられるのです。
わたしたちは、自分の心の思いを神に打ち明ける祈りをささげます。思い煩うとき祈り、神に助けを求めることは、ほぼ毎朝のことです。
しかし、主の祈りはそうしたわたしたちの祈りとは異なる面があります。主の祈りには、わたしたちの思い煩いがすべて言い表されてはいません。短い祈りで、自分の心に合っていないと思うこともあります。
しかし、まさに、わたしたちにとって主の祈りが大切なのは、その言葉が自分の心から出たものではなく、主イエスが教え、命じられた言葉であることです。
〈天〉を仰いで祈る
主の祈りは、「天」におられる父なる神に呼びかけて始まります。父なる神は「天」におられる方です。
「天にまします我らの父よ」
主イエスが求めておられるのは、ただひとつ、天を仰ぐことです。自分や自分の心を見るのではなく、天に目を上げて生きることです。
詩編にこういう賛美があります。「主は天から見渡し 人の子らをひとりひとり御覧になり ・・・地に住むすべての人に目を留められる。」(詩編33・13〜14)
父なる神は「天」から見渡し、自分の周囲しか見えないわたしたちよりもずっと広い視野で、「地」に住むわたしたちの狭い思いや考えを超えてお働きになるのです。信仰の共同体はそれを神の摂理と呼び、全世界と歴史を治める神のご支配を信じました。すべての人はこの神のまなざしのもとにあります。天を仰ぐとき、わたしたちの心は思い煩いから解き放たれ、高く上げられます。
主の祈りを祈るとき、わたしたちがいる「地」において「天」が開けるのです。戸を閉めて独りで奥まった部屋にいても、「天にまします我らの父よ」と呼びかけるとき、そこに天が開きます。わたしたちが天を仰ぐことのできる場所に、わたしたちの父もまたおられると、主イエスは教えてくださいました。この祈りは「天」と「地」をつなぐ祈りです。主の祈りを祈るわたしたちの祈りは、天に届けられるのです。
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