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2011年 11月 1日発行 No521
死の恐れから解き放つために
金田 佐久子
子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。(ヘブライ2:14〜15)
死の恐れ
11月第1主日は教会の暦で「聖徒の日」です。西川口教会では毎年この日に召天者合同記念礼拝をささげます。愛する者を天に送られたご遺族の方々に、主なる神の慰めがありますように、今日を生きる勇気が与えられますよう祈ります。
この年は、東日本大震災の年として刻まれることになりました。震災のために亡くなられた方々を悼みます。今なお喪失の悲しみの中にある方々が望みを持つことができますように。
この川口でも大きな揺れを体験し、東日本の広範囲に及んだ災害に、今まで当たり前のように思っていたことが奪われ、揺さぶられました。死の恐れを覚えました。
「わたしは死んだら、どうなるの」。幼い時に抱いた問いでした。肉体の死を恐れます。愛する者と会えなくなることを恐れます。自分の愛も、意志も無くなり、死んだらすべて終わりなのかと心配します。昼間にはその問いが消えたかのようであっても、あるいは、元気に振舞っているようでも、子どもも大人も、心の奥底で死を恐れています。
死ぬために来られた主
聖書は力強く宣言しています。わたしたちの救いの創始者であり、完成者である主イエスは、死ぬべきからだを備えて人間になってくださいました。神であられる方が、わたしたちと同じ姿で生まれてくださいました。それは、わたしたちが持っている死の恐怖を共有するためであり、わたしたちを恐れさせる悪魔と対決してくださるためでした。死においても、主イエスがわたしたちの兄弟となるために、父なる神は、御子を世に遣わしてくださったのです。驚くべき恵みです。そのような神がいてくださるとは、なんという幸いでしょう。イエスが死んでくださらなかったら、わたしたちは生涯、死の恐怖に奴隷のように縛られているばかりでした。すべての人のために主イエスは死の前に立ちはだかってくださり、主イエスを信じる者は、死の恐れから解き放たれているのです。ただ感謝です。死と悪魔に勝たれた主イエスの確かな支えがここにあります。
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