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2012年 3月 1日発行 No525 

苦難のただ中で

                            金田 佐久子

  レントからイースターへ
 今年は2月22日が灰の水曜日で、この日から受難節(レント)に入りました。主の日(日曜)を除いて40日がレントの期間です。イースター(復活日)は4月8日です。イースターへ向かい、主イエス・キリストの苦難と死を覚え、祈りと黙想を深めたい。
 
  あの日から一年
 このレントの期間に、東日本大震災から1年となる3月11日が巡ってきます。今なお被災のただ中にある現実です。多くの人々が、地域が、教会が、一度に大きな困難に遭ってしまいました。復旧、復興の歩みは、まだまだ先が長いものです。原発の事故による被害は深刻で、いつ終わりが訪れるのか見えない状況です。
 その中で、不安を覚え、悲しみ嘆きの声を上げる人々、乗り越えようと苦闘している人々、支え励まそうと奉仕する人々が生きています。

  苦難を知る民
 旧約聖書を読みますと、人生においても、民の歩みにおいても、苦難を通されることを知らされます。
 今、祈祷会では旧約聖書のサムエル記を少しずつ学んでいます。預言者サムエルに油を注がれイスラエルの王となるべく選ばれたダビデは、初代王のサウルに妬まれ、憎まれ、しばしば殺されそうになりました。ダビデは、自分の命を守るために逃げなければなりませんでした。その逃亡の旅においても、身に危険が迫り、命を脅かされることがたびたびありました。
 このダビデの名がつけられた多くの詩編があります。苦難を神に訴え、嘆きの声を上げ、助けを必死に求める祈りが、詩編には満ちています。
  憐れんでください
  神よ、わたしを憐れんでください。
  わたしの魂はあなたを避けどころとし
  災いの過ぎ去るまで
    あなたの翼の陰を避けどころとします。   (詩編 57・2)

 代々の信仰者が、神の民が、ダビデの歌を自分の信仰の歌として主なる神に捧げました。ダビデの歌ばかりではなく、苦難や深い苦悩を訴える祈りが詩編には数多くあります。

  苦難を知る主イエス
 十字架の上で、主イエスが最後に祈られたのは詩編22編の冒頭の祈りでありました。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコ 15・34)
 主イエスの地上での最後の言葉は、神への嘆きの祈りでした。自分自身が、神から見捨てられた状態としか映らなかったのです。しかしそれでも「わが神」と呼んでおられます。なお望みをもって、神の見えないご計画を信じて、イエスは父なる神を呼ばれます。イエスは「なぜ」という言葉を、わたしたちのために神に届けてくださっているのです。

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