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2012年 4月 1日発行 No526
ここに愛がある
金田 佐久子
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(ヨハネの手紙一4・10)
イエスは生きておられる
今年も御子キリストの復活を記念し、お祝いするイースター(復活日)を迎えようとしています。今年のイースター礼拝は4月8日です。罪と死に勝利した主イエス・キリストは今も生きておられます。わたしたちと共にいてくださいます。この方はわたしたちの主、世界の主です。この大きな恵みを高らかに賛美できますように。
課題を携えて神のもとに
先月の第36回西川口教会アシュラムでは、今年の教会の御言葉を掲げて、参加者の兄姉がそれぞれに、ヨハネの手紙一の御言葉に、一心に聴き入りました。
クリスチャンアシュラムでは、自分の課題を神のもとに持っていくようにと勧められます。できていることではなく、神にどうにかしていただきたいことを申し上げるのです。その点で、自分の心を開き、正直で率直であることを求められます。人に助けてもらおうという姿勢ではなく、神に依り頼むことです。神にはおできになる、という信仰をもって、課題を携え、祈りました。
わたしの願い求めは、恐れ、欲望からの解放です。そして、もっと隣人に深く共感できるよう変えられたいということでした。
世を愛してはいけない
まず、ヨハネの手紙一第2章に御言葉に導かれ、恐れや欲望がどこからくるのか知らされました。
「すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出る」(16節)。
こうして魂を痛めつける欲望、恐れや孤独、これらは神からのものではない、と鮮やかに示されました。また、1年前の東日本大震災と今なお続く苦難を思うときに、現代日本の暮らし、わたしたちの生活に、「生活のおごり」が入り込んでいたと感じさせられました。
「世も世にあるものも、愛してはいけません」(15節)。はっきりと命じられています。永遠ではないもの、神から出たものでない「世と世にあるもの」に、わたしたちの存在をあずけることはできません。それらは過ぎ行くものであり(17節)、空しいものだからです。
愛には恐れがない
教会アシュラムの二日目の朝には、ヨハネの手紙一第4章の御言葉に耳を傾けました。慰めと励ましに満ちた御言葉が続いています。深く心動かされたのは18節です。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです」。この御言葉を何度も口ずさみ、思い巡らしていくうちに「恐れていること自体が、罰のようなものなのだ」、と示されました。それは惨めで、悲しく、恐ろしいことですが、本当に悲惨なのは、その悲惨に気づかないで、迷いながら歩んでいることです。
「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です」(16節)。わたしたちは神に愛されています。神はわたしたちをこの悲惨から救うため、御子を遣わされました。恐れのない神の愛は、ここに示されました。
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