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2012年 8月 1日発行 No530
平和を実現するために
金田 佐久子
実に、キリストはわたしたちの平和であります。(エフェソ2・14)
励ましの言葉
先日、ある方からお励ましの言葉いただきました。
“「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれかそれとも両方なのか、分からないのだから。(コヘレトの言葉 11・6)」
人生には、どうしてこんなことをいつまで続けなければならないかと嘆きたくなることがあるものです。牧師を志す若者に「牧師になるには、徒労と絶望に早く慣れることだ」と言うことがあります。伝道や牧会の働きは、努力すれば報われるとか、計画通りに事が運ぶといったことが通用しないからです。しかしながら牧師の働きばかりではなく、多くの仕事には、働いても働いても無駄であるかのように感じることがあり、せっかく苦心惨憺したのに結果が失望に終わることもさして珍しいことではありません。人によっては、先の見えない、単調な日々の生活を繰り返しながら、営々と努力を続けねばならないこともありましょう。そのような働きを持続させる力は、必ず成ると約束してくださるお方を信じるところから生じるものです。”(賀来周一著「365日の聖書」)
お励ましに感謝しつつ、この本を持っておりましたので、続きを読みました。こう続きます。
“コへレトの言葉の著者は、実を結ぶ種は、どの種か人には分からないと言います。人の手を離れたところで事は進んでいることを信じることができる人は、無駄働きや徒労に強い人であります。そのような人は計画的に事を進めることや努力することには、一向に困難を感じません。”
平和を実現するために
西川口教会では、8月の日曜日の午後に「平和学習会」を開催し、わたしたちのできるところから平和を実現するために地道に学び、考え、行動するため集会を続けています。
昨年の3月11日に発生した大地震と津波、それらに十分に備えられなかったために今も甚大な被害をもたらしている福島の原発事故。平和に暮らしていけるとは、戦争がない、というだけではないことが明らかにされました。
すべてのいのちが平和を脅かされず生きていける世界が実現するのは、いったい、いつのことでしょうか。あまりに途方もなく大きいことなので、自分の力が小さい、いえ、無きに等しいとさえ思います。
しかし、わたしたちは必ず成ると約束してくださるお方を信じています。わたしたちの平和となってくださったキリストが、今も、これからも、わたしたちの間に立っていてくださいます。この方は世界の主。キリストに望みをおいていますから、今日も望みをもって働きます。
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