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2013年 1月 1日発行 No535 

主の選びに応えて

                            金田 佐久子

 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネ15・16)

  今年の御言葉
 主の年2013年を迎えました。
 この年の西川口教会の御言葉は、ヨハネによる福音書の主イエス・キリストのお言葉に決めました。講壇の掛け軸、あるいは月報や月間予定表に掲げるのは、簡潔にする必要がありますので、16節の前半部分とします。さらに続く御言葉も心に留めていただきたいと思います。
 「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」。

  「ガリラヤのイェシュー」
 さて、一昨年、「ガリラヤのイェシュー」という日本語訳新約聖書四福音書が刊行されたのをご存知でしょうか。著者の山浦玄嗣(やまうら・はるつぐ)氏は先にケセン語(気仙沼地方の方言)で翻訳した聖書を刊行され、好評を博しましたが、さらに方言を研究しつつ執筆したのが「ガリラヤのイェシュー」です。この本では、イエスと弟子たちはケセン語、ユダヤ出身者は山口弁、ポンティオ・ピラトは鹿児島弁、サマリア人は鶴岡弁、ギリシア人は長崎弁を話します。
 知り合いの牧師に勧められて読み始めました。方言の持つ力が感じられ、生き生きとした読み物になっています。今年の御言葉であるヨハネによる福音書15章16節は、このように翻訳されています。
「お前たちが
 俺を選んだわけではない。
 この俺が
 お前たちを選んで、言いつけた。
 行け!
 いつまでも残る実を結べ!
 俺の心に添いたいからと、
 父(とと)さまに願うことなら、
 何でも必ず叶うのだ。」

  主の選びに応えて
 「ガリラヤのイェシュー」の巻末に山浦氏自身がこの翻訳について書いておられます。
 “ここに一つの試みとして、新約聖書の中の「福音書」すなわち《よきたより》と呼ばれてきた古代の書の新しい形式の翻訳を読者にお届けする。これは一つの冒険であり、実験である。このような形式の翻訳はこれまで試みられたことがない。その目的は一般の日本人読者にとってかなり難解であり続けてきた福音書を楽しく、親しみやすく、わかりやすいものとしてお伝えすることである。「福音書」はこれを読む多くの人々にとって文字通り《よきたより》でなければならない。そのためには、この書の言わんとしていることが°読者の心に抵抗なく受け入れられ、共感と感動をもって理解される必要がある。訳者の試みはこの一点を目指す…”
 山浦氏は、主イエスの福音を何とかして同胞の心に届けようと翻訳に挑戦されました。日本人読者のため、腑に落ちる言葉を探し求めました。主イエスの選びに応える弟子の姿だと思います。
 主イエスに愛され、選ばれ、救われて弟子とされたのには、目的があります。まだ主イエスの愛を知らない人々のところに出かけて行って福音を宣教すること、神の愛を示すことです。置かれたところでその愛を現わすことができますよう、聖霊の助けを祈り求めます。

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