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2013年 2月 1日発行 No536
神の呼びかけの声を聞くために
金田 佐久子
祈りとは
皆様は、朝をどのように過ごしておられるでしょうか。
信仰生活においては、日曜朝の主日礼拝をささげることと共に、日々の暮らしの中で祈ることが大切です。祈りは信仰生活の呼吸と言われます。体が息をしないと死んでしまうように祈りを怠ると、その人の信仰生活は死んだものとなってしまいます。
イエスは言われました。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(マタイ 4・4)
「祈り」というと、祈願、すなわち願いを求めて祈ることだと思われますが、それだけではありません。もちろん、神は私たちの祈願の祈りに耳を傾けてくださいます。そうであるならば、わたしたちもまた神の声に耳を傾けることは当然ではないでしょうか。神の呼びかけの声を聞くこと、それも祈りなのです。この神の呼びかけの声を聞くことこそ、本当に大切なことなのです。この神の声を聞かなければ、信仰は独りよがりとなり、神と共にある生き生きとした命に満ちたものにはならないのです。
朝祈ること
神の声を聞くためには、静かな場所、静かな時間、静かな心で、神との親しい交わりが必要です。神は常に共にいてくださいます。わたしたちが環境を整え、祈りの場に出ていくことです。その交わりに最もふさわしいのは、一日の初めである朝なのです。「朝の15分があなたを変える」という言葉があります。朝の15分、静まって聖書の御言葉に耳を傾け、応答して祈り、とりなし祈るとき、わたしたちは変えられます。神の声に聞き従って生きるようにされます。神が変えてくださる。
わたしたちのお手本は主イエス・キリストです。主イエスは父なる神に聞かないでお働きになることはありませんでした。それならば、キリストのものとされたわたしたちもキリストに倣って歩みます。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1・35)
教会アシュラムへの招き
今月号に、「第37回西川口教会アシュラム」への招きがあります。
「アシュラム」は、もとはキリスト教とは関係なく、インドに古くからあったものです。一人の指導者のもとに集い学ぶ共同生活体をアシュラムといいました。宗教以外にも、文学・政治・農業など、さまざまなアシュラムが形成されたそうです。インドで長い間宣教師として働かれたスタンレー・ジョーンズ師が、これをキリスト教の修養会に取り入れたのが「クリスチャン・アシュラム」の起源です。教会アシュラムとは、教会で行われる「クリスチャン・アシュラム」です。
この集会では、聖書を通して自分に語りかける神の声を聞き、それを分かち合います。アシュラム運動の目的は、「毎朝このわたしに、活けるイエス様がみ父の愛を福音してくださる生活習慣を願うこと」にあります。まず、今月の教会アシュラムに参加して、御言葉を聞くことを体験しましょう。「聖書の言葉を、神からの呼びかけの声として聞かせてください」と、共に祈りましょう。朝毎に神の愛に満ちた呼びかけの声を聞いて生きる、祈りの生活を築いていきましょう。
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