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2013年 4月 1日発行 No538 

「わたしを愛しているか」

                            金田 佐久子

 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネ21・15)
 
  復活の主の訪問
 十字架につけられ、息を引き取り、墓に葬られた主イエスは、三日目に、主の初めの日の朝早く、およみがえりになりました。マグダラのマリアにご自身を現されました。次いで鍵をかけて戸を閉ざし、恐れて部屋の中にいた弟子たちを訪れ、真ん中に立ち「平和があるように」と語られました。そのときには共にいなかったトマスにも、八日の後に現れてくださいました。さらにイエスは湖のほとりで、弟子たちにご自身を現わされました。

  湖のほとりで
 シモン・ペトロを含めて数名の弟子たちは、主イエスの死と復活の出来事の後、出身地であるガリラヤに帰ってきていました。ペトロは他の弟子たちを誘い、湖で漁をするために夜出かけました。しかし何もとれませんでした。夜が明けたころ、イエスは湖のほとりに立っておられ、弟子たちに声をかけられました。イエスの言葉のとおりに弟子たちが網をおろすと、網を引き上げられないほどの大漁となりました。弟子たちがイエスのところに行くと、朝の食事が用意されており、イエスはパンをとって弟子たちにお与えになりました。魚も同じようにされました。
 暗い闇の夜、イエスのおられないところでは弟子たちは何もとれなかったのに、朝の光と共にお出でになられたイエスの言葉に聞き従ったとき、網を上げられないほどの大漁になったというのは、わたしたちの歩みを示しているようです。何をどうしていいかわからないとき、以前のやり方で自分なりに始めてしまうことがあります。しかし、行き詰まる。そんなわたしたちを主イエスは訪ねてくださる。為すべきことを語ってくださる。こうしてわたしたちは、イエスによって導かれ、満たされる。主イエスのお言葉が、何とかしようともがく自分自身から解き放ちます。

  ただ一つの問い
 この湖のほとりでの朝の食事の後で、イエスはペトロを再びご自分の使命に立たせようと、ペトロに尋ねられました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。」。もう一度お尋ねになりました。「わたしを愛しているか。」三度目にも尋ねられました。「わたしを愛しているか。」
これは、ペトロばかりではなく、キリスト者すべてに問われている主イエスからの問いかけです。本当に単純な問いです。しかし、わたしたちの存在の深みに呼びかける問いです。「あなたはわたしを愛していますか。」イエスはわたしたち一人ひとりからの愛の応答を激しく求めておられます。愛は「愛さなくてよい」とは言えないからです。愛し愛されるところに愛があります。愛は通い合うから愛なのです。友のために命を捨てる愛でイエスは愛し、問われます。「あなたはわたしを愛していますか。」
 2013年度が始まります。教会の活動が行われます。主の愛に応え、働きを空しくすることないよう、御言葉に聞き従いつつ、担うことができますように。

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